〈19〉こんな淀みの吹き溜まり

 僕の考える青春は、まさに恋寺さんの言う通りだと考える。


 楽しいと感じる時間は前提として、その眩しい輝きの裏側に存在する影もまた、大切にしなければならない。ままならなさに苦労する、楽しさなど微塵もない忘れたくなる苦渋の数々。それらを笑い話に昇華できることが、僕にとっての青春に必要不可欠な条件である。


 という考え方の合致を以って僕は恋寺さんを全面的に信用した。梶来くんは恋寺さんと世間話を始めるという特異な順応性を発揮していた。若者とはかくあるべし、そう思わされる。


 ぷらあなを出た我々一行の針路は西を向いていた。僕達の通う高校がある方角だ。恋寺さんの話によると雨傘は京塚なにがしに連れられ学校にいるという。詳細を尋ねてみると「そういう奴だから」とだけ言われた。そういう奴であるらしい。


 既に日は落ち景色は明度を下げていたが、未だ活気づく店舗の数々は遺憾なくカラフルな人工光を発している。眠るにはまだまだ早いということだ。


「お兄さん方は仲が良いんだね」

「ちゃんと話したのは今日が初めてだけど、仲良いぜ。良い奴だしな。お互い我儘に振り回されてる身だし、あと……まあ、他にも共通点あってさ。そういや恋寺さんと雨傘って子は結局どういう関係なんだ?」


 僕と梶来くんが返答待ちの視線を送る中、恋寺さんは勿体ぶるようにタバコを咥えた。慌てて止めると何事もなかったかのように話を続けた。


「面白そうな子がいたからナンパしたんだ。私の趣味はナンパでね。座右の銘は『お前ら付き合っちゃえよ』」

「恋寺さんは……暇なのか?」

「暇じゃない日が無いんだ。参ったことに。だから活きのいい子供を捕まえて遊んでもらってる」


 行きずりの少年少女に声を掛けて共に過ごすとは、僕が知るコミュニケーションの枠を突き破った行動である。見習うべきだとナンパ術を学ぼうとしたが、生憎メモを持っていない。故に泣く泣く諦めた。


 そんな僕に対して、恋寺さんはこれまでで一番愉快そうに口端を持ち上げて言った。


「私は恋の神様だ。さてこれから年に一度の本気を出そう」


 恋の神様とは良い響きだな、などと考えていると眼前にて不可思議な現象があった。恋寺さんの姿が瞬き一つの内に消えてなくなったのだ。


「はあ⁉ どういうことだよこれ」梶来くんに同意しつつ周囲を見渡してみたが、恋寺さんの姿はどこにもなかった。狐につままれた気分とはこういう状態なのだろう、身体が浮き上がるような感覚がある。というよりも、実際に浮き上がった。背後から腰へ回ってきた腕が、鞄を抱えるようにして僕を持ち上げたのだ。首を回すと恋寺さんの顔が目に入った。


「これは一体どういうことなんだ」

「お姫様を連れ去るのは悪者だけじゃないんだよ」


 そして恋寺さんは、僕を脇に抱えたまま走り出した。実に軽やかで、僕の重さをそのまま推進力に変えているような足取りだ。


「おいどこ行くんだよ! 待てって!」

「梶来くん! 助けてくれー!」


 後ろから聞こえてくる梶来くんの声に僕は叫んだ。


 僕を締め付ける力は思いのほか強く、抵抗してみたが大した成果は得られなかった。しかし恋寺さんから漂う花のような香りを満喫できそうだから、これはこれで悪くないかもしれない。美人の香りを味わう機会など早々あるものではないだろう。僕はしばし大人の魅力を楽しんだ。


 段々と梶来くんの足音らしきものが遠ざかってきた頃、恋寺さんは路地を折れビルに挟まれた狭い道を進んでいくと、両側の壁を使ってジグザグに飛びながら屋上まで上がった。明らかに重力を無視した動きに自分の目が点となるのを感じた。


 屋上を駆け抜ける恋寺さんは腰ほどの高さがある柵に軽快なジャンプで乗り上げると、そのまま向かいのビルまで跳んだ。


「恋寺さんは怪盗団かなにかか」

「舌噛むよ」


 音もなく着地して、同じように建物と建物を渡ってゆく。人間離れした技を前に僕は動揺しきりであったが、空を流れていく感覚が気持ち良くやがて気にならなくなった。


「気持ち良いよね。たまにやるんだ」

「どんな時に?」

「暇じゃない時」


 発言に込められているだろう真意は測りかねた。だが、分からないでもない。


 足下に広がる光の水溜まりと頭上を飾る明日へのグラデーションは、暇な時見るには勿体ないかもしれないな、と思った。


 時折わざと手を滑らせたフリをする恋寺さんの悪戯心に肝を冷やしながらも、元々目指していた場所である学校に到着する。そこでようやく僕は自由を取り戻したのだが、冷めやらぬ浮遊感のせいで歩き辛かった。


 恋寺さんは迷い無い足取りで進んで行く。僕も後に続いた。


 校舎を懐かしむように見上げ「あそこへ行ってみよう」と呟いてから向かったのは、第二校舎のさらに奥、近付くことも躊躇われる我々日陰者の住処である建物だった。


 玄関口は施錠されており侵入者を拒んでいるが、実は僕達の部室は窓の建て付けが悪く鍵が役割を放棄しているため、忍び込むのは容易いのだ。という旨を恋寺さんに教えてあげようとするも、僕が言うより遥かに早く恋寺さんは動き出していた。建物の裏に回り部室の窓の前に立つと、ガタガタと揺らし開錠してみせる。一息に窓枠へ飛び乗り中へ入るのを見届け、僕は拍子抜けしながら同じようにした。


 日中でさえ薄暗く感じられるこの部室は、夜であればなおさら暗い。


「埃臭いね相変わらず」

「来たことがあるのか? こんな淀みの吹き溜まりに」


「まあね」簡潔にそれ以上はなく、恋寺さんは辺りを見回すとテーブルの上にある鞄を漁り始めた。


「お嬢さんの鞄かな。お菓子が多いね、食いしん坊だ。ちょっと分けてもらおう」


 そう言って取り出した何かをポケットに仕舞う恋寺さん。


 止めようとしたが「冗談だよ」と機先を制される。ポケットから出した拳を鞄に戻すと、次はノートを取り出した。しかしすぐに戻して僕を見た。


「埃臭くて敵わないから移動しようか。やること無いし」

「否定はできない……だがここで引き下がっては雨傘に顔向け出来ない。一つ紹介させてもらおう」


「へえ」と顔に喜色を塗った恋寺さんに、本棚から取り出した一冊のノートを差し出す。中身は雨傘後輩が描いたジャンル不明の漫画である。僕も絵心がないながら一部手伝わせてもらった。


 それから、窓枠に腰掛け楽しそうに一ページずつ味わう恋寺さんの隣に座って、あーだーこーだと言い合いながら一緒に漫画を読んだ。

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