【18】アポカリプト

 幽霊よりも生きている人間の方が怖い、とは耳にすることの多い言説ですが全く持ってその通りだと諸手を挙げて賛同します。背後霊より背後から追ってくる人間の方がよっぽど怖いと言い切りましょう。それがスクールカースト上位種の煌びやかな存在であれば尚更のこと。走っていなければ私の足は震えでこっぱみじんに砕け散り、骨の欠片は彼女達のお化粧道具となることでしょう。


 どちらかと言えばマラソンが苦手な私は、消耗度外視の短期決戦を挑んでいます。持ちうる限りの体力を一気に消費しながら必死に逃げました。行き止まりのリスクも構わず角があれば迷わず曲がりましたし、普段は避ける人混みにも紛れました。陽気な人間には私のような人間の顔など全部一緒に見えているに違いありません。


 いよいよ体力の限界で立ち止まった私は額の汗を拭いながら、来た道を振り返りました。


「どうして……逃げるの」

「ひええ……」


 そこには氷の人形みたいな女性がいました。頼むから幽霊であって!


 願いは届かず、女性が肩を掴んできます。端正なお顔を濡らす汗で、私はこの人が確かに人間なのだと実感しました。


 なぜ逃げるのと訊かれましたが、どうして追ってくるのと言いたいです。ちょっと覗いただけじゃないですか。わざわざ暑い中追いかけ捕獲し引きずり回そうとするなんて、いくら私が悪いといえそこまでしなくても。


 しばしお互いに息を整える時間が続き、肩へ乗せられた手に力が籠ったのを潮に私は終わりを予感します。ですが氷のお人形さんは怒っていないようでした。


「雨傘さんだよね。最合くんから聞いた」

「えっ……え、あの」

「面白い子だって」


 先輩が私の話をしていたことに、大変驚かされました。私のことなんて過去の女だと頭の隅っこどころか外へ捨て去ったとばかり思っていたからです。


 嘘です。先輩はそんな人ではありません。しかしクラスメイトにわざわざ話したのは、やはり意外と言わざるを得ません。もっと他に話すことあるでしょうに。


「人見知りっていうのも聞いてる。気、遣わなくていいから」

「……はい」


 自分から出た声が殊の外柔らかくて驚きました。驚きまくりです。なにが私をそうさせたのでしょう、世の中は不思議で溢れています。


「私は町田。マチルダって呼ばれてる」

「マチルダさん……」


 あだ名があるとはやはり上位種といったところ。しかしいきなり言われても困ります。


 町田さんとマチルダさん、どっちで呼べばいいのでしょう。ここであだ名呼びをお断りすると怒られるかもしれません。けれども出会ってすぐにあだ名で呼ぶのは馴れ馴れしすぎるし……反射的に呼んでしまったことが悔やまれます。


 うぬぬと頭を悩ませていると、マチルダさんと一緒に私を追っていたギャルがやって来ました。


「二人とも……速すぎ…………死にそう」


 弱々しい姿のギャルにマチルダさんが言いました。


「もっと運動した方がいいよ。集中力にも繋がるし。私のアシスタントでしょ」

「はー? なにそれ」

「十八歳になったら同人誌を作るから」


 同人誌、という甘美な響きに私はマチルダさんの顔を見ました。まさかこの人は私と同じ趣味をお持ちの方なのでは。


「あ、あの……同人誌って」

「愛が止まらないの。雨傘さんも好きなんでしょ? プリトレ」

「はっ、あ、はい。好きです」


 降って湧いた共通の話題、圧倒的なホームグラウンドに私の胸から安堵がにょきにょき生えてきました。


 プリトレ、同人誌、推し活。なんと素晴らしいのでしょう! 先程まで身体中を這い回っていた緊張が霧散してゆきます。


「マチルダさんの推しは誰ですか? 私はナギちゃんです」

「私も。可愛いしちょっと虐めたくなるよね。でも男の子らしいところもあるし、私のこと大切にしてくれそう」


 うっとりした瞳で好きを語り上げる姿は魅力的でしたが、つられてというかなんというか、私はうっかり言ってしまったのです。


「推し被りはちょっと……」


 するとマチルダさんは鋭い眼光を私へ向けました。


「意外と小さいことを気にするんだね。でも安心して。雨傘さんはファンで私はお嫁さん。立ってる場所が違うから」

「はい? ちゃんと原作のゲームはプレイしましたか? ナギちゃんが好きなのは自分と同じくらいの背丈の子ですよ。私みたいな」

「外見だけだよね。包容力が無いよ。甘えられる人じゃないと」

「ちょっとちょっと! ストップ! なに喧嘩始めてんのあんたら!」


 ギャルが慌てて止めに入ってくれたおかげで、本格的な喧嘩に発展するのは阻止されました。


 私も私ですがマチルダさんも随分熱くなりやすい方のようです。親近感が湧いてきました。


「マチルダさんが怒るから……」

「私は怒ってない。怒ったのは雨傘さん」

「仲良くしなって。好きな物一緒なんでしょ? なんで喧嘩になんのさ」

「ごめん。カワイイカワイイ折奈ちゃん。大好き」


 という鮮やかな軌道転換から勃発したマチルダさんとギャルのいざこざを私がなだめる形(静観)で、この場に平穏が訪れました。


 そうして現在、日陰に退散してマチルダさん、ギャル、私の順で横に並び涼んでいます。


「気を取り直して。私は咲沙折奈。ごめんね、丁って割と中身子供だから」

「い、いえっ……ダイジョウブデス。雨傘って言います」

「最合くんの後輩だよね。聞いたよー、仲良いらしいじゃん。今日も後輩誘っていいかって最合くんに聞かれてさ」

「え……そう、なんですか」


 先輩……人知れずそんな立ち回りをしてくれていたんですか。なんだかんだと悪態をつきながら私がいないのは寂しいのでしょう。


 仕方のない先輩です。まったくまったく。ほんっとにもう、仕方ないんですから。卵焼きを一個多めに作ってあげましょう。今日学んだお洒落カフェに連れて行ってあげるのも悪くありません。


「てかさマチルダってなに? 丁あんた、また変な嘘吐いたんじゃないよね」

「ノリで」

「嘘だったんですか!」


 目を伏せてニヒルな笑みを浮かべるマチルダさん、もとい町田さん。なんて無意味な嘘をつくのでしょう! 安心できる方という印象は瞬く間に瓦解し音を立てて地に落ちました。恨みを込めた視線を送りますが華麗にスルーされ、この恨みは一生忘れるものかと誓った所存であります。


 しばらく経ってから、咲沙さんが一歩前へ出て私と町田さんを交互に見て言いました。


「どうしよっか。荷物あるから戻らなきゃだけど」

「私は雨傘さんとプリトレ談義をする予定。そのために追ってきたし」


 てっきり私を八つ裂きにせんと追いかけてきたのかと。


 話を聞けば咲沙さんは町田さんを心配して一緒に来たそうです。この時はじめてギャルは人を思いやれるのだと知りました。


 先輩方のいる部屋は十九時半を目処に退出しなければならないそうで、現在時刻は十九時に差し掛かろうとしています。辺りはいよいよ夜色の装いを見せ始めていました。


「あの……先輩は」私は尋ねました。


「あ、そうだ。二人に連絡しないと。雨傘ちゃんが大変だって出てっちゃったの」

「私が?」


 咲沙さんが、私を見たというクラスメイトの証言を聞くや先輩が顔色を変えて部屋を飛び出した、と説明してくれました。梶来さんという方も先輩を追いかけて行ったらしく、その梶来さんの携帯に電話を掛けてくださったのですが繋がりませんでした。


 恋寺さんと京塚さんと音矢くん。多少話した私から見ても怪しい仮装集団ですから、見かけただけの女生徒達が危ないと考えたのもむべなるかな。なんとはた迷惑な集団でしょう。しかし先輩が私を心配してくれたのはとても嬉しいことなので許すとしましょう。うんうん。


 ここに居ても打てる手はなさそうでしたので一度戻ることになりました。新たな組み合わせで道を歩いていると、私って見境ないなあとそんな風に思いました。

 カラオケボックスが近付いてきた頃、私たちの行く手を阻むように人影が現れました。


「やあ小唄お姉さん」

「音矢くん。どうしてここに?」

「当然だよ。あの二人とカラオケなんてごめんだね。というか二人ともどっか行っちゃったんだ」

「私のせいですよね……」


 いきなり水をぶっかけるという言い訳の余地がない蛮行は、場を解散させるに値するものでしょう。謝りませんけど。絶対。


 胸を張る私の脇腹を町田さんが突っついてきます。


「雨傘さん。いいえ小唄ちゃん。この子は?」

「なんですか急に……。この子は音矢くんというマセガキです」

「こんばんは音矢くん。私は町田丁」


 しゃがみ込んで音矢くんと視線を合わせ、更には手を握りました。


「彼女はいる?」

「いるよ。丁お姉さんもぼくの彼女にしてあげようか」

「そうしてくれる?」


 何を言ってるんだこの女。私は愕然としながら咲沙さんを見遣りましたが、やはり彼女も同様の反応をしていました。ギャルの方がまともです。


 出会ったばかりの小学生に告白するなんて、頭がイカれているに違いありません。迂闊に触れると火傷で済まないことは明白でしたので、私は無言を貫き通すと決めました。


「あはは……丁、あんた子供好きだもんね」

「折奈の方が好きだけど」

「茶化すなあほ!」


 流石は陽キャにして年上の咲沙さん。私では成し得なかったことをやってのける姿に感銘を受けつつ、三歩ばかり引いた位置から観察を続けました。


 そうしている内、類は友を呼ぶと言うべきでしょうか、いつの間にか隣に京塚さんがいました。


「やあやあ雨傘ちゃん。楽しそうにしているね。しかしその役目は私に譲ってほしい、キミもあそこに混ざって揉みくちゃになるべきだ」

「げぇ」


 変な人が多すぎて辟易していた私ははしたない声を出してしまいました。恥ずかしいことです。


 またよく回る舌を存分に振るうつもりだろうという私の読みは正鵠を射抜き、京塚さんは言いました。


「キミ達は酸いも甘いも無邪気に経験できる場所にいる。それに気付くのはまだまだ先だろうけどね」

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