〈17〉終わってしまえば笑い話
礼儀後輩に教えて貰った「ぷらあな」を目指し、暮れなずむ空の下を全力で駆けた。熟した空気が肌に纏わりつき額から大粒の汗が垂れてくる。立ち止まろうとは少しも思わなかった。
堂々と構えるお洒落カフェを左に折れ、映画館の方へ進む。詳しい場所を聞かなかったという痛恨のミスを取り戻す為、気合を入れて周囲を確認する。煌びやかなアパレルショップや出入りの激しいコンビニ、呉服店や中華料理店と目まぐるしく景色が変わってゆく。
やがて映画館に辿り着かんとした時、路地の奥に看板が見えた。ひらがなで「ぷらあな」と書かれた袖看板だ。その場で右に九十度方向転換して路地へ突っ込む。そして勢いのまま、息を整えることも忘れてぷらあなの扉を開いた。
店内は薄暗く青白い光が辺りを照らしている。恐る恐る奥へ進みながら、目を凝らし雨傘を探すもそれらしい姿は見当たらない。それどころか店内は無人である。念の為テーブルの下など光が当たらなそうな場所を捜索しようとすると、勢いよく入り口の扉が開く。思わずしゃがみ込んで身を隠すがその必要はなかった。
梶来くんだ。僕は立ち上がって片手を挙げた。
「最合……お前、結構速いんだな」
呼吸を整えながら梶来くんは近くの椅子に座り、背もたれに体重を預けた。
「どうして梶来くんが」
「悪い。えらく鬼気迫った顔してたからさ。荷物は咲沙達に頼んだ」
「しかしわざわざ付き合ってもらうようなことでは」
「気にすんなって。お前さっき俺のこと庇ってくれただろ、あれ嬉しかったよ。だから俺もお前を手伝う」
梶来くんの発言に目頭が熱くなる。なんと良い人なのだろうか、彼は間違いなく善の化身だ。人間性において雨傘よりも遥かに信用できる。
「といっても居なかったみたいだな。一応聞くけど、本当に親戚の集まりってことはないのか」
「あると思う。だが、あの小娘が自分の予定を自慢しないのは引っ掛かる。急に決まったというのも考えられるけど……」
「ま、なんにせよ付き合うぜ。万が一ってこともあるしな」
底抜けの優しさに僕は頭を下げて礼を言った。
「だからいいって。それより探そうぜ。連絡は取れないんだよな」
「さっき電話してみたが繋がらなかった。いつものことだ。大方鞄の底に眠っているんだろう」
「もう一回掛けてみたらどうだ?」
「全部置いてきた」
「マジかよ抜けてんなぁ。番号教えてくれりゃ俺が…………やべぇ俺も全部置いてきた」
僕達は声を揃えて大笑いした。梶来くんも意外と抜けているようだ。ちなみに雨傘後輩は知らない番号からの電話には決して応じないのだが、別にどうでもいい情報なので呑み込んだ。
さて、梶来くんの協力は涙が出る程嬉しいけれども、行き詰りは否めない。すぐさま打てる手は闇雲に走り回るのみであり、僕一人ならまだしも梶来くんにも課すことは躊躇われた。
であるため、僕は探偵さながらに手掛かりを捜索することにした。再び店内をぐるりと見回す。そして天井から地面までくまなく確認しつつ、目についた椅子に顔を近付け匂いを嗅いだ。無臭である。
「なにやってんだよ」
「匂いが残っていないかと」
「変態っぽいからやめとけって」
十分ほどうろうろした末、いよいよ手詰まりかと思われたが、天は我に味方せり。
からんと小気味のいい音が来客を告げた。
店に入ってきた人物、その女性の特徴的な部分である甚平という服装を見て、全てが繋がった気がした。
女性は僕達の視線を一身に受け、不敵に口辺を歪める。
「お兄さん方、まだ開店前だよ」
「すみません。一つお尋ねしたいんですが、あなたは雨傘という後輩を知ってますね」
「男の敬語は苦手だ。普通に喋ってよ」
「失礼。雨傘というキノコみたいな少女を探しているんだ」
僕の発言に女性は腕を組み首を傾げて考える素振りを見せる。焦れて急かしそうになったが、ぐっと堪え続きを待った。
「私は恋寺。青春の恋に坊主の寺だ」
ようやく口を開いたと思えば肩透かし。掴みどころのなさそうな人だと思った。
僕と梶来くんが名乗ると恋寺さんはしげしげとこちらを見つめ、何度か頷いた。
「知ってるよ。あの卑屈なのか強かなのか分からないお嬢さんだろ。意外と好戦的な」
「間違いない。絶対それだ。確定した」
「私もやられたよ。おかげで大変気に入った」
恋寺さんは自分の胸元を指して僕達の視線を誘導する。破廉恥コミュニケーションかと思ったが、少なくとも僕はそう思ったのだが、梶来くんの出した答えがそれを否定した。
「濡れてるな、多分。雨傘って子にやられたってことか?」
「やらせたっていうのが正しいかな。あのお嬢さん、挑発したら面白いくらい乗ってくれた」
想像に難くない光景だった。二人の間にどんなやり取りがあったか定かでないが、本気で怒らせたのなら水を掛けるくらい雨傘なら平気でやるだろう。しかしここで一つ疑心が生まれる。
「僕は恋寺さんのことを雨傘から聞いたことが無い。恐らく今日出会ったのだろうが、それで怒らせるとは一体なにがあったんだ? あの小娘が初対面の相手にそこまでするというのはよく分からない」
「意外と分かっていないんだね。あのお嬢さんは年上への壁が薄い。年上というより……まあいいか」
「よく分からないけど、もし。もし雨傘を傷付けるために悪意を用いたというのなら、僕はあなたを許せない」
自覚した悪意であの愉快な小娘を傷付けたというのなら、僕は怒らなければならない。それは先輩として、雨傘の兄として果たすべき僕の責務である。
というのは後付けで、実際には理屈より先に胸が熱くなっていた。
「へえ」と恋寺さんが目を細める。
「許さないとして、お兄さんは私をどうするのかな」
「今後雨傘後輩に近付かせない」
「どうやって?」
至極真っ当な質問で、勿論予想もしていたのだが、説き伏せるだけの回答は浮かんでいなかった。
どうやってか……どうしたらいいのだろう。僕は唸りながら梶来くんに助けを求めた。
「お、俺に聞くのかよ。まあ……傍にいてやるのが一番じゃねえかな」
「やっぱりそうなるか。たった一日別行動しただけでこうなるとは、全く世話の焼ける」
「ほんとに仲良いんだな。その雨傘って子気になってきたよ」
雨傘の偏見にまみれた意識を正すためにも、梶来くんを紹介してやろう。正す必要があるかどうかは諸説あるのだが。
再び恋寺さんを見ると、彼女は人好きのする柔らかい笑みをしていた。
見守るように笑っていた。
「お兄さんはあのお嬢さんのためなら何でもやりそうだね」
「なんでもは無理だ。僕はそこまで面倒見が良い人間ではない。出来る範囲で無理をすることはあるけど」
「気に入ったよ。私はお兄さんに協力することにした。お嬢さんを取り戻そう」
さらりと不穏当な発言をして飲み物を作り始めた恋寺さん。表情に危機感は見られないが、聞き捨てならない情報だ。
「取り戻すというのはどういうことだ」
「連れて行かれたんだ。黒いスーツにお面をかぶった胡散臭いおっさんにね」
「だったら今すぐにでも探さなければ! 警察に連絡は」
「危険はないよ。私は警察を呼んでやりたいところなんだけどね。そうなったらあいつは本気で隠れる。面倒だ」
手際よく作られた三つのドリンクの内、身体に入れる物と思えないビビッドカラーの二つが僕と梶来くんの分らしかった。飲んでみたが、甘ったるくてかき氷になった気分がした。
「めちゃくちゃ酸っぱいぞこれ」
梶来くんは顔を顰めてまだ半分以上残っている液体をまじまじと見ている。
自分だけまともそうなドリンクを一息に飲み干した恋寺さんが、気持ちよさそうに言った。
「それじゃあ行こうか。青春に」
「青春?」梶来くんが首を傾げる。
「酸いも甘いも飲み干して、終わってしまえば笑い話。それに気付けるのは今だけだよ」
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