【23】若者とは斯様なれ

 正門を抜けると同時に、校舎の上を滑る影を見ました。人の型をしているようでしたが、だとすればどうしてあんな場所にいるのでしょう。何かを抱えているようにも思われます。


 我が葉土高校には七不思議やそれに類する怪談話は無かったはずですが、たった今生まれたのかもしれません。ワクワクしてきました。これはなんとしても正体を知りたいという欲求がにょきにょき生えてきます。


「な、なにあれヤバいんじゃないの」

「折奈は怖がりだね。私を守らせてあげる」


 咲沙さんと町田さんは怯えているようで、お互いの手を握り身を寄せ合っています。どうやら二人は怖い物が苦手らしく、これまで怖がり寒がりをあざとい女だと一蹴してきた私をして、可愛いなと思わされました。間違っていたのは私です、反省反省。


 ふと私の中に二人を驚かしてやりたい欲求が生まれたのですが、実行する勇気は伴わなかったので、勿体ないけど諦めることにします。


 しかし私の望みは梶来さんによって果たされたのでした。


「おいこっち来るぞ!」


 咲沙さんと町田さんは揃って悲鳴をあげました。


「嘘だけどな。ははは、ビビッてやんの」


 へらへらする梶来くんを、被害者の二人がぺちぺちと叩きます。梶来さんは嬉しそうでした。


 再度屋上の影を確認してみると、まさにその瞬間、驚くべきことに校舎端から飛び立ったのです。


「えっ、と、飛びましたよ!」


「あはははは! 相変わらず派手なことするなあ」と音矢くん。


「間違いない、あれは恋寺だ。一緒に居るのが雨傘ちゃんの先輩くんだろうね」

「は⁉ 先輩が⁉ そういうことは早く言ってくださいよ!!」


 なにを呑気にしているのでしょう、物見遊山に来たつもりか!


 おおよその着地点をプール辺りだと結論付け、私は駆け出しました。あれが恋寺さんだと言うのはいまいち納得できませんが、やっていそうではありますし、どの道確認するしかありません。


 プールへ近付いてきた時、つんざくような水を打つ音に合わせて特大の水飛沫があがりました。水がベル状に立ち上る様はフウリンソウを思わせます。とても綺麗な光景でした。


 パラパラと頭上から降り注ぐ水の花びらが私を濡らしていきます。


「いやいやいや……こうはならないでしょう」


 しばらく見惚れた後、我に返った私は思わず独り言を漏らしてしまいました。飛沫の全長は十メートル程ありましたが一体どういう原理に基づいた現象なのでしょう。不可解待った無しの怪奇現象です。


 しかしそんなことはどうでもよくて、先輩は無事なのでしょうか。一緒なのだとしたらとても無事ではいられないのでは?


 とたんに寒気が全身を突き抜けて、目の奥に真っ赤な熱が込み上げてきます。呼吸するのも辛くなりましたが、けれども身体は動き出し、私の倍くらいあるフェンスを乗り越え、びしょ濡れのプールサイドを横断して水位の減った槽を覗きこみました。


「先輩! 先輩どこですか!」


 呼びかけるも返事は無く、私を嘲笑うかのように水面が揺れています。槽へ下りると水は私の膝上までしかなく、いくら暗くとも人を探すことは容易でしたので、まずは中央を目指して進みました。


「先輩いるなら返事してください! 先輩なら出来ます!」


 鵜の目鷹の目でとにかく動き回り、時には顔を浸けたりと必死に捜索するも空しく終わりました。


 幸か不幸か分かりませんが、この場に先輩と恋寺さんの姿はありません。飛沫が上がって間もないというのに、それじゃあフウリンソウを咲かせた原因は一体どこへ?


 しばし立ち尽くしていると、梶来さんと京塚さんがフェンスを越えてやって来ました。


「雨傘! 最合はいたか?」

「……いえ、それが」


 梶来さんも加わってくれてもう一度隅々まで見て回りましたが、やはり空振りに終わります。


「まあ、いないってことは無事ってことだろ。なんでこうなってんのかは全然分からねえけど」

「言っただろう? 危険はないとね。恋寺はバカで自分勝手だけど、人を怪我させる奴じゃない。万が一には身を挺してでも守るさ」


 へりに腰を下ろし足を組み合わせた京塚さんがそんなことを言いました。自分は全てを知っている、といった風で。


 私はこのヘンテコな人の手のひらで転がされているのでしょうか。だとすれば屈辱です。


 段々と腹が立ってきた私は語気を抑えることができず、乱暴な調子で言葉を吐きました。


「……なんなんですか。いい加減にしてください」

「そう怒らないで欲しい。勿論キミには怒りを私にぶつける権利がある。だから――」


 だからなんだっていうのよ!


「うるさいうるさい! 知ったこっちゃねーんです! それより私は! まだっ! 先輩と遊んでないんですよ! 今日!」


 心の堰が決壊し土石流の如く感情が溢れ出てきました。


 先輩と遊ぶことが日課となっている私にとって、丸一日空くだけでも翌日へ繰り越せるだけのストレスが掛かるのです。それなのにも関わらず、慣れない環境見慣れない現象にイヂメラレテ……もう我慢の限界だわ! もう知りません! 言いたいことを言ってやるんだから!


「梶来さんも咲沙さんも町田さんも! いい人でしたよそうですいい人です! だけど私は先輩が一番好きなんですよ!」


 身体中の血が残らず頭へ集まって来る感覚に私の舌は層一層活気づき、本心を放つことなど恐れません。


「梶来さん!」

「お、おお。なんだ」

「先輩の一番の仲良しは私ですからね! 横取りしたら噛みつきますよ!」


 今まで虫歯になったことの無い私の歯は、相手の骨まで噛み千切る頑強さを誇っているのです。


 梶来さんの控えめな「気を付ける」を受け、次は京塚さんに矛先を向けました。


「京塚さんも! 大体なんですかそのヘンテコな格好は! 恋寺さんよりあなたの方がよっぽどアホっぽいですよ!」

「お、おおお……いいじゃないか雨傘ちゃん。その意気だ、もっともっと言ってくれ!」


 奢ってもらった恩も忘れ稚気丸出しにキャンキャン叫ぶ私。これこそが雨傘小唄。現在私を満たしている、高揚に似た得体の知れない感覚。嫌われるかもしれないとか、恥をかかないようにしたいとか、一切合切がどうでもいい物へ成り果てます。


 嫌われたって構いません。恥をかいたって、構いません。


 そんなことより先輩はいずこ!


 私が地団太を踏んで水を揺らしていると、この場へ繋がる更衣室の扉が開き音矢くん達が姿を見せました。


「どうやったの? すごいじゃん音矢くん」

「鍵を開けるのは得意なんだ」

「流石。私の家も勝手に入っていいから」


 咲沙さんと町田さんに向かって、私は叫びました。


「遅いですよ! 先輩は見つかりましたか! 見つけてくれたらハグしてあげます! 嘘ですけどね!!」

「あ、雨傘ちゃん……? どしたの?」

「いい感じに酔っぱらってるなぁ」


 もう一度水の中へ頭を突っ込もうとした時でした、靴下まで脱いだ町田さんが槽に下り、スカートの裾を摘まんで私の元まで近づいてきます。徐々に表情が見えてくると、彼女が無邪気な笑みを湛えていると分かりました。


「夜の学校のプールへ忍び込むって、憧れだよね」


 町田さんが右足を上げ、つま先で水面をつつきます。


 そっか、私いまプールにいるんですね。


 町田さんのおかげで幾許かの冷静さが戻ってきました。創作物を嗜む人間ならば誰しも憧れる夢のシチュエーションでしょう。


「……気持ちいいですね」

「うん。ドキドキする」


 町田さんと同じようにして下りてきた咲沙さんは、私の前まで来てくすぐったそうな顔をしています。「海よりこっちの方が好きかも」なんてことを言いながら。


「落ち着いたか、雨傘」


 梶来さんが優しい声で言いました。それに対して咲沙さんがむっとした顔を作り反発します。


「なにかっこつけてんのさ。いいとこ取り」

「俺も多少は顔売っとかないとだろ。最合とは仲良くしていきたいしな」

「あ、あげませんよ」

「盗らねえって。でもたまに貸してくれよな」


 検討の余地があるかどうかを検討していると、咲沙さんと町田さんが私の左右につき腕を絡ませてきました。


「その時はあたしらと遊ぼっか。女の子同士でしかできない話もあるじゃん」

「そうだね。相談とか乗るよ。私これでも恋愛上手だから」

「丁ってすぐ嘘吐くよね」

「失礼な」

「もしかして私が先輩を好きだと勘違いしてませんか?」


 私はため息交じりに今日何度目とも知れない否定をしました。


 咲沙さんも町田さんも概ね良い人なのですが、すぐ色恋沙汰に結び付けるのはよくないと思います。恋愛なんて男女が営むもの、私と先輩は仲の良いお友達でしかありません。恋だ愛だロマンチックだなどという甘ったるい代物は、とうの昔に綿菓子にして空へ放り投げています。


 含みのある笑みをする両側の二人へ、私は首を思い切り左右させて髪の鞭をお見舞いしてやりました。


「雨傘ちゃんかわいー」


 それでもなお止まらない咲沙さん。こうなったらもう武力行使しかありません。

 両手で掬った水を咲沙さんの顔目掛けて放りましたところ見事に命中、「むぎゃ」とお間抜けな声がして――それから、咲沙さんはあどけなく笑うのでした。楽しそうに、笑うのでした。


 恐るべき陽キャ、私が勝てる相手ではありません。旗色が悪く私の負けは予定調和のように訪れるかと思われましたが、何故か町田さんが咲沙さんを狙いはじめ、怒った咲沙さんの反撃を契機に、私達はしばらく水遊びをしたのでした。


 口にはしませんが、楽しかったです。


 一段落つき、三人して手が止まった瞬間を狙い澄ましたかのように、京塚さんが言いました。


「いやあいいモノを見せてもらったよ。若者とは斯様なれ。青春此処に見つけたり。これは私も負けてられないな」


「いい歳してなに言ってんのさ京塚」音矢くんが隣に呆れ顔を向けます。


「ここで一つ確認させてもらうよ。これからキミ達を文化祭に案内したいと思っているのだけど、構わないかな?」


「ブンカサイ?」私は首を捻りながら復唱しました。京塚さんは小さく頷いてから続けます。


「無理にとは言わないよ。気が乗らなければ断ってくれていい。選択の余地がないと後悔はただの現象に成り果てるからね。勿論のこと、後悔させるつもりはサラサラないが私はキミ達の意志を尊重する。雨傘ちゃんの先輩は私が必ず連れ戻そう」

「何言ってるんですか、場所が分かるなら早く連れて行ってください」


 続いて咲沙さんが「あたしも行く」と名乗り出て、呼応するように町田さんも同調すると、締めとばかりに梶来さんが「だな」と言いました。その様子を見て、素直に感謝したくなった私は会釈をしました。


 もしかして性格が良くないのってこの世に私だけなのかしら……と落ち込みかけましたが、今はそのような感傷に浸っている場合ではありません。


 まずは先輩を取り戻しましょう。全くまったく、世話の焼ける先輩です。


 京塚さんが私達をまじまじと見て深く何度も頷いてから、快哉を叫びました。


「最高だ! 私は人生の先達としてキミ達を誇りに思う!」


 その言葉は普段の上滑りするような胡散臭さが鳴りを潜めた、感情をそのまま外へ出した物であると感じられました。


「思い切り遊んできなさい。後始末は大人の仕事だ」


 とたんに足元の水溜まりが意志を持つ龍の如く時計回りにとぐろを巻き始めます。自然、私達四人は中央で身を寄せました。


 轟々と唸りを挙げる水流はあっという間に私達を呑み込み、身体が空へ空へと天高く引かれる感覚がこそばゆくて私は目を閉じました。

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