〈24〉文化祭

 目を開けると綿菓子の在庫を切らした青空が広がっていた。その下には我が葉土高校の校舎が雄々しく構え、玄関口は人でごった返している。毎朝見かける光景だが、今回のそれは明らかに普段と異なるものだった。


 我が校の指定する制服を着た男女はもちろんとして、見慣れない意匠の制服もまた数多く見て取れる。それだけでなく私服の大人達も大勢いた。


 その全てが長袖を着ていて、晩秋に手を通しているようだった。


 振り返った先の校庭に並んだテントの数々、それらが制服姿の運営する模擬店であることを見て、僕の記憶から去年の秋が呼び起こされる。


 初めての文化祭。そうだ、これは文化祭の光景だ。


 たったの三度しか担ぐことを許されない神輿。年に一度のお祭り騒ぎ。


 至る箇所から噴き出してくる熱気に、肌寒さも気にならなくなった。


 不意に視界の外から煙の線が空へと高く伸びていき、豪快な音と共に炸裂する。同時に近くの少年が嘆いた。


「ああまただ! 次は何がはじまったんだ!」

「誰だ勝手に花火を上げたのは! とっ捕まえてひき肉にしてやる!」

「大変です! 科学部が自作の惚れ薬を密売しています!」

「二年七組で不穏な動きが! 奴等のメイドカフェには野郎しかいません! 至急向かって女子生徒を用意させます!」


 あちこちから慌ただしく聞こえてくるまとまりのない祭囃子は非常に心地が良い。


 次々と訪れる問題に奔走するのは、腕章を付けた実行委員の方々だ。皆々揃って休む間もなく走り回っているが、その表情は楽しんでいるように見えた。


 去年は二つ上の先輩とメイドカフェ巡り(七クラスあった)をしただけで、それはそれで十分楽しかったのだが、野望としては僕も祭りの骨組みとなり賑やかしてみたいところだ。


 その決意は一度脇に避けておくとして、何故僕はこんな場所にいるのかを考えてみた。実に奇妙な状況である。


 恋寺さんの姿は見当たらない。目を凝らして屋上を見上げてみたが、やはり姿はなかった。


 顎に手を当てるポーズを取って今の状況に対する納得を探してみたが、夢を見ている以外には浮かばない。五感に訴えてくる全てがリアルでとても夢には思えなかったが、明晰夢とはそういうものなのだ、と半ば無理矢理自分を頷かせた。


 かくして僕は騒ぎの中を歩き出す。どうせなら楽しまなければ損である。文化祭の手引きを受けた相手が曲者であったため、僕が最初に開けた引き出しからは「メイドカフェ」の文字が飛び出してきた。最初の目的地はメイドカフェに決定した。


 我が校の文化祭は、期間中校舎の出入りに土足が許される。五年前かそれくらいに誰かが決めたのだそうだ。祭の後に待ち受ける大掃除は骨折りを強いられる過酷なものだが、結局は騒ぎの延長にあるため皆一様にあの手この手で楽しみはじめ、結果的に隅々まで手の行き届いた清掃活動が行われるのである。


 その活動に僕が参加できるかはさておき、校舎の中へ入ると、服飾部の女生徒から熊のような蛇のような生物を模した帽子を貰った。それを頭に乗せると次は野球部らしき坊主頭から、折り紙製の金に光るネックレスを渡される。


 首に提げて進むと、計ったようなタイミングで曲がり角から巨大なサメの頭が飛び出してきた。


「うわっ! な、なぜサメがこんな所に! ここはハリウッドか!」


 三歩ばかり退き、爆散寸前の心臓を両手で抑えながら僕は叫んだ。大きく口を開いたサメは僕の下半分を噛み千切ろうとしているようで途轍もなく恐ろしい。


 さらに驚いたのは、サメの口から腹ばいで女の子が出て来たことだ。これはまさかテケテケか!


「ごめんね驚かせちゃった? よく出来てるでしょ」


 女の子は舌を出して微笑するとピースサインをこちらへ向ける。やや幼さの残る顔立ちによく似合う動作だと思った。


 作り物であることに安堵した僕は、しかし万が一本物である点に注意しながら尋ねてみた。


「こんな物で一体なにを?」

「ふふん、よく聞いてくれたね。実行委員が暇しないように邪魔してやろうと思って」

「なるほど。それは納得だ」


 参加する者が文化祭を楽しめるよう身を粉にして働く実行委員の英傑方。そんな彼ら彼女らも楽しめるようにという心遣いに僕は感服しきりであった。


「分かってくれる? そうだ、折角だから乗っていきなよ。結構丈夫に作ってあるから」


 角を曲がりきって全身を表したサメは腹部が台車に固定されていて、二人の男子生徒が後方から押すことで動いていた。


 申し訳ないと一度断ったが、推進力である男性方が快活な笑みで勧めてくれたので甘えることにする。促されるまま僕はサメの背中に跨り、背びれを抱きしめた。


「よーし! いくぞー!」


 女の子の号令でサメは廊下を真っすぐに泳ぎ始める。


「危ないよー! どいてどいて!」


 周囲に気を配りながらも力強く前進するサメは、昇降口を抜け――段差で振り落とされそうになった僕は、腕に層一層力を込めて背びれを抱いた――そのまま外へ飛び出した。頭上に広がる秋晴れの空はこの世を水に閉じ込めているかのようだった。


 突如出現したサメに周囲が色めき立ち、僕はその視線を一身に受けながら凱旋パレードを連想する。むず痒いが悪くない――人波を左右へ掻き分け邁進を続ける内、正面に腕章を付けた一人の男性が立ちはだかった。さながらモーセのようなその人を見るや、台車を押していた男子生徒が言う。


「実行委員長だ! 梶来先輩ご武運を!」

「よーしこのまま発射して!」


 梶来、という名前を深堀りする暇もなく、男子生徒が踏み込む音がして――サメは一気に加速した。実行委員長へ一直線に食らいつかんとする。


「待て! 僕はどうしたらいい!」


「なんとかしろ!」首を捩ると投げやりに笑う男子生徒が見えた。


 再び視線を前に戻す。行く手を阻む実行委員長は精悍な顔立ちを引き攣った笑みで歪めている。


「またお前か梶来! 俺の邪魔をするんじゃねえ!」

「うっさいあんたが約束破ったからでしょうが!」

「それは何度も謝っただろうが!」

「嘘つけ!」


 痴話喧嘩の応酬を聞きながら、激突する瞬間に僕は思い切ってサメの横っ腹を蹴飛ばして跳んだ。背後に人身事故を感じながら、僕の身体は着ぐるみのパンダに突っ込むのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る