【30】処刑人

 生まれてから十五年、乗り物の操縦を他人に委ねてきた私には人を撥ねた際の対処法という項目が存在しません。


 被害者が同じ学校の生徒という点は幸いですが、しかしそれにしても大問題。まさか爆走するサメの前に立ちはだかる方がいようとは。


 私は気絶したフリをして難を逃れようとしたのですが、咲沙さんに揺られ叶わぬ愚策と成り果てました。


「雨傘ちゃん起きて。だいじょぶ?」

「うーん……ここ数分の記憶がありません」

「人を撥ね飛ばしておいて図太い奴だ」


 目を開けると被害者男性が私を睨むようにしていました。腕章を見るに実行委員の方のようです。


 弁解させて頂くと、撥ねたのはパンダさんで私は悪くありません。冗談です、反応が遅れた私にも非は大いにあるでしょう。


 私は無言を貫いた後、明後日の方向を見ながら咲沙さん達の会話に耳を澄ませました。


「ほんっとにごめんなさい。よそ見してました」

「いや……俺も悪かった。知り合いと勘違いして飛び出した。このサメ、どうした?」

「あったから貰いました」

「……そうか。まあ止めはしねえけど」


 許されそうだったので私は二人を横目に見ました。


 苦々しくも寛容にしながらサメの頭に手を置く実行委員さん。その動作から事故の影響は感じられません。頑丈な方です。


 感心していると徐々に増えてきた野次馬の内の一人が、酔っ払いみたいな軽口を投げ込んできました。


「また夫婦喧嘩やってんのか! そういうのは他所でやれよ!」

「夫婦喧嘩? え、なになにセンパイ彼女持ち?」

「うるせえ黙れ」


 咲沙さんによる追及を一蹴する実行委員さんでしたが、しかし恐ろしきかなギャルとは猟犬。一度噛みついたら満足がいくまで牙を食い込ませるものなのです。


「えー、いーじゃん教えてよ。どんな人? どれくらい付き合ってるの?」

「おい、お前の友人だろ。なんとかしてくれ」


 私に助けを求める実行委員さんの目は節穴だと言わざるを得ません。そんな高等技術があればとっくに見せびらかしています。私はそっと目を逸らしました。


「ねーねーねー、どうなの?」

「うるせえんだよ。付き合ってない」

「へーそっかぁ。でも付き合ってるみたいなもんなんでしょ? 告白しちゃいなって。ね?」

「おい! なんなんだこいつは!」


 なにやら呼ばれていますが、私は青すぎる空がまるで作り物のように思えて、もしかしてこれも誰かが文化祭の為に用意した物なのかと考えていました。


 先輩はこの空を見て、何を感じているのでしょう。早く会いたいです。私をこの疎外感から連れ出してくださいお願いします。


「そーいえば、知り合いと勘違いしたって言ってたけどもしかして関係ある?」

「……分かった、答えるから少し黙れ。俺が探してるのはこれを作ったアホだ。名前は梶来」

「梶来……? あー、そゆことか」


 咲沙さんが何度か頷いて半笑いになりました。


 どういうことか図りかねていると、実行委員さんが驚いた風で言います。


「知ってるのか?」

「まあ、ちょっとね。で、その梶来さんがこのサメ作ったの?」

「みたいだな。さっきもこいつで突っ込んできやがった」


 二人の会話を聞いて、私はどうしても聞かずにいられなくなり口を挟みました。


「あ、あのっ。男の人……乗ってませんでしたか?」

「乗ってたな。それがどうした、お前の恋人か」

「全然違います。その人がいまどこにいるか知りませんか」

「さあな。騒ぎに乗じて逃げやがった」


 実行委員さんは肩を竦めました。


 先輩、ご壮健で何よりですがちょこまか動き回らずじっとしていて欲しいものです。いっそ私がこの場に留まっておけば先輩の目につく可能性が高まるのではないでしょうか。しかし好奇の目に晒され続けるのは精神衛生上よろしくありません。


 そこで思いついたのが、サメの中に入り身を潜め、咲沙さんとパンダに哨戒班を任せてしまおう、というもの。


 私はサメを降りてそのまま頭の方へ向かおうとしましたが、背後から大声を投げつけられ足を止めました。


「見つけた! 裏切り者!」


 誓って潔白の身であるものの、いきなりの怒号に怯えながら振り向くとそこには、髪を乱し息を荒げるかつての盟友ワンオペメイドさんがいました。持ち手のついた大きめのバスケットを握っています。中には深緑の丸い物がたらふく詰め込まれていて、なんとなくですが軽そうには見えず、体力のある方だなあと感心させられました。


「裏切り者ってあたしらのこと? あ、メイド長と見間違えちゃった?」

「私の敵は全てのメイド! どいつもこいつも! 私に全部押し付けて自分だけ楽しんでっ!」

「なるほどねー、そりゃそうだ」


 激しい剣幕にたじろぎながらも咲沙さんはどこか楽しそうにしています。


 一方で髪を逆立てるワンオペさんの勢いは留まる所を知りません。私は沈黙を貫き、この争いとは無縁な顔をしていたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。


「私の恨みを思い知れっ!」


 怨念の籠った重々しい声と一緒に、バスケットに入っていた深緑の一つが私に向かって放られました。頭目掛けて一直線に飛んできます。


 当たったら死ぬ! 直感は反射となって私の身体を動かし、手に持っていたマシンガンを握り替え日本刀のようにして、左足を踏み出し深緑を叩き落とすべく上段斬りを振るいました。が、野球も剣道も未経験である私は見事に空を切り裂き、自分から突っ込む形で深緑を額で受けてしまいました。


 パン、と小気味の良い音が響き、中から水が噴き出してきて私の頭をびっしょり濡らします。


 冷たい水が私の頭を冷静にさせてくれる――はずがあるか!


「ぶっ×す!」私は叫びました。


 それからワンオペさんへ接近すべく駆け出します。彼女はへらへらしながらヘンテコな踊りで私を挑発した後、身を翻して逃走を始めました。


 受けた屈辱の分だけあの水風船を叩きこんでやる! 私はベンティサイズの衝動を胸に無我夢中で走りました。

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