〈31〉巡りゆけブーケトス
結婚式体験、という学生らしい背伸びの詰められた催しが体育館を利用して行われていた。服飾部主催のイベントだそうだ。
十四時半開始、そのギリギリに滑り込んだ僕とメイド長は、正面ステージへと伸びる列の向かって右側、その最後尾に加わった。席次のマナーなどちんぷんかんぷんだが、今回はそこまで気にする必要もないだろう。結婚式というよりもファッションショーだと思っていい、と受付に居た子が言っていた。
これから現れる新郎新婦が僕の知らない人である可能性はほぼ確定しているが、それでも心は小躍りをしていた。僕もまだまだ子供である。
隣でじっとするメイド長に僕は言う。
「邪魔しちゃダメですよ」
「あのねえ。キミは私をなんだと思ってるんだ」
「花嫁を掻っ攫うつもりなのかと」
「悪くないね。その結婚待った、言ってみたいセリフだよ」
サディスティックな笑みに身構えたが、それは間を置かず引っ込められた。
「これは普通に見たかったんだ。花嫁っていうのは女の子の憧れだからね」
「メイド長にも可愛らしい一面が」
「冗談だよ。だからキミの失礼にも目を瞑ろう」
そんな風に話していると、いよいよ新郎新婦の入場が始まった。あちこちから歓声が沸き、バージンロードを歩む二人組を暖かく迎え入れる。タキシードの新郎にウェディングドレスの花嫁が寄り添って、恥ずかし気に、けれども誇らしげにしながら、数多くの視線という荒波を跳ね返し進んでいく。
どうやら一組だけではないらしく、間隔を空けて別のカップルがこれまた嬉しそうに手を振りながら後に続いてきた。
込み上げてくる感動に僕は自然と拍手をしていた。
「この日の為に一年間準備してるんだよ、服飾部。恐れ入るよね」とメイド長も拍手をしながら言う。そして「別れたら悲惨だけど」などと場を弁えない発言をしたため、僕は大きめの咳払いを返答にした。
「キミは相手がいるのかな?」
「いませんよ。時間の問題ですが」
オタクに優しいギャルが実在する以上は僕にもチャンスは存在する。青春は近い内に訪れるだろう。
「来年は出てみるといい。希望者が多いと抽選になるけど、服飾部は頭がおかしいからよほどのことがなければ枠を作ってくれるよ」
「いいかもしれませんね。思い出になる」
「後に引けない感じがね」
僕はさっきよりも大きめの咳払いをした。
「相手が見つからなかったら私が相手になってあげよう。OBは参加できないなんてルールは無いし。たぶん」
「遠慮しておきます……」
「あっはっは、フラれたか。お姫様抱っこしてあげたかったよ」
迂闊に受けなくて正解だ。メイド長の花嫁姿も見てみたくはあったが、お情けで付き合われるのはあまりに惨めであるため、僕は見栄を張ったのだった。
それに出場資格を勝ち取った上で相方が不在という万が一に襲われたとしても、僕には雨傘という心強い味方がいる。奴はこういったイベントを忌み嫌う日陰者故あらゆる汚い語彙を総動員して断るだろうが、本気で頼めば折れてくれるだろう。そういう奴だ。だから僕はあいつを好きなのだ。
雨傘の花嫁姿を想像する。意外なことに白がなかなか似合っていた。あくまで想像に過ぎないが――雨傘をよく知る僕をしてそう思わされるのだから見当外れとはいかないはずだ。
隣にいるのは僕がいいなと、なんとなくだがそう思った。
そう思った。
僕が、そう思った。
「あれ……もしかして僕、雨傘を好きなのか?」
僕は言った――言っていた。
あまりにも口馴染みが良く、代えの利かないパーツ同士が在るべき形に組み上がるような、出来上がってしまえば今まで一つでなかったことに違和を覚えてしまう感覚があった。
「雨傘っていうのは?」
「……後輩です。妹みたいな」
妹、そうだ妹だ。少なくとも僕はそう思っている。
妹を可愛いと感じるのはおかしなことではなく、兄として生を受けた瞬間から宿命づけられていると言っても過言ではない。
それとも……奴と出会ってからほとんど一緒に居たせいで僕は鈍っていたのだろうか。
試しに雨傘が僕じゃない誰かと並んで歩く姿を想像しようとすると、得体の知れないムカムカが込み上げてきて、イメージが具体性を持つ前に木っ端微塵のバラバラにしてしまう。あいつの隣を歩く誰かは、僕の姿でしか考えられなかった。
僕はかぶりを振って一度冷静になろうと試みる。
「シスコンってやつですかね」
「かもしれないね。私は違うと思うけど」
全ての組が入場を終えステージ前に横並びとなり、神父の服装をした生徒が誓いの言葉を読み上げる。
僕はその言葉が自分に向けられている気がして落ち着かなかった。この場に雨傘がいないことに心から安堵してしまうとは、いよいよ僕らしくない。無性に走り出したくなってきた。
一度声に出して確認作業をしたいところだが実行できるはずはなく、煩悶としている内に挙式が新たな展開を迎えた。
花嫁代表によるブーケトスが行われるらしい。
「あれが欲しかったんだ」メイド長が声を弾ませた。
「あのブーケを手に入れると来年度の席を確約して貰えるんだ。卒業を間近に控える三年生は参加しないのが通例だけど、私にそんな理屈は通じない」
「やっぱり企んでたんじゃないですか」
「あっはっは。もう分かったと思うけど、キミにも協力してもらいたい」
「僕が? まあ運よくこっちに来たら手伝ってもいいですけど」
「実はこのイベント結構人気でね。ほら、うちの学校バカばっかりでしょ? 奪い合いに発展するんだよ。去年はそれで私も負けた。文化祭終了の十六時まで保持している必要があるから中々えげつない」
「……騙された気分だ」
華々しさの裏側で虎視眈々と控える欲望の起爆剤を知り僕は嘆息する。けれども決して悪い気はしなかった。綺麗なだけでは物足りない。
丁度身体を動かしたかったし、それに僕には素晴らしい閃きがあった。是非とも実現させたい一手である。
「それでは皆様。これより無差別級ブーケトスのルール説明を行います」
マイクを持った神父が悪ノリを煮詰めたような催しの概要を口頭で述べる。
十六時時点でブーケを持っていた者が勝者となる。
開始は体育館を出てから。次の予定があるため速やかに体育館を出ること。
学校の敷地内から出ることは禁止。
暴力は当然禁止。
以上を厳守することを神に誓わされた。
メイド長は腕を組みじっくり味わうように頷きながらちゃっかり前へ移動していった。僕も後に続き、最前列の手前で待機しているとまずは一般客用のブーケトスが行われる。
こちらは無論手出し無用なので、ホームランボールを譲るような形で小学生くらいの女の子に渡った。彼女にはこれから巻き起こる醜い争いを見せたくないな、と全員が思ったに違いない。
「どうして私を見るのかな?」
「いえ……なんでもありませんよ」
そして遂に我々が奪い合うブーケが、最初に入場してきた花嫁によって放られる。高く舞い上がったそれは、僕の位置から遥か右側へ緩やかなアーチを描き飛んでゆく。
予備動作もなく駆け出したメイド長だったが――予め想定していた僕は咄嗟に右手を伸ばし、メイド長の右手首を掴むことに成功した。可能な限りこの人の手に渡ることは阻止した方がいいと、直観的にそう思ったからだ。
「なにを――」
と言いながらも右足を軸に反転したメイド長が、小匙一杯分すらも躊躇らわず飛びつき腕ひしぎ十字固めを仕掛けてきやがった。
バカかこいつは! 開始と同時に暴力を振るいやがった!
「ルール違反だ! 失格だ!」
地面に倒された僕は腕を引っ張られる痛みを両側から来る柔らかさで鎮めつつ叫んだ。
「先に手を出したのはそっちだろ。ルールは人を守ってはくれないからこうして自衛しているんだ」
すぐさま解放されたが、これ以上メイド長を引き止めることは叶わず泣く泣く見送る結末となった。彼女の主張通り先に手を出した僕が悪いとはいえ、メイド長にも非はあるだろう。彼女はスカートの中に短パンを履いていたのだ、憤懣遣る方無いとはこのことである。あれさえなければ全てが僕の責任だったというのに、メイド長も中々詰めが甘い。
起き上がった僕は腕をさすろうかと考えたが、無闇に感触を上書きするのは愚かであるためそのままにした。
遅れてブーケの落下地点を目指し一歩を踏み出すと歓声が湧いた。
人垣の合間からブーケを高々と掲げる姿が見える。その人物は右手にビデオカメラ、顔がサメのメイドさんという珍妙ないでたちをしていた。
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