〈32〉年に一度はバカになれ

 ぞろぞろと体育館から出て行く群れの真ん中辺りで、周囲を寄せ付けず孤高を誇るサメ人の隣に並び僕は言った。


「どこの誰かは存じませんが、そのブーケを僕に譲ってはくれませんか」


 サメ人は僕を見ると足を止めた。布製のコミカルなデザインのおかげで恐ろしさは感じられないが、反面表情が分からないため緊張感がある。


「ナニユエジャ」とサメ人がやけに甲高い声で言った。口調もあってこの人のキャラが分からない。


 僕は悩んだ。


 言ってしまえば僕がブーケを欲しがる理由は余計なお節介である。金言へのお返しに梶来さんへ渡すか、もしくは実行委員長に渡してそれとなく告白なりへ仕向けようというものだ。ただの勘だが、実体験に基づく……というと語弊があるが、実行委員長側も梶来さんへの好意は少なからずあるだろう。


 他人の恋路に口を挟むのは無粋であり、かつ自分に他者を導けるだけの器量が無いと承知の上で、あの不器用な彼女の為に働いてみようと思ったのだ。梶来さんは雨傘と共通する部分が多い為だろう、無性に応援したくなる。


 しかし見ず知らずの相手に事情を明かすわけにはいかず僕は頭を抱えたが、なんてことはない、こんな時に便利な奴が僕にはいる。


「後輩に贈ろうかと思って」

「コウハイジャト?」

「今日は来てないんですけどね。まあ……本人には絶対言えませんが、あいつの花嫁姿も悪くないなと」


 僕がそう言うと、サメ人は大袈裟なくらい身震いをした。地上の温度は肌に合わないのかもしれない。そんな彼女の右手に握られているビデオカメラが瞳をこちらに向けている。


「もしかして撮ってますか?」

「ウム」


 雨傘に知られるかもと危惧したが、状況が状況だから、杞憂に過ぎないだろう。


 再び歩き出したサメ人と一緒に出口へ向かう。開始が近付くにつれて隣の僕にも視線がびしばし突き刺さってくる。


 そして外への一歩を踏み出しながら、声のトーンを下げたサメ人が言った。


「私ノ正体ヲ教エテヤロウ」


 カメラとブーケで頭を挟み引き上げようとする。僕は息を呑みマスクの下を心待ちにしたが、しかし素顔を拝むことは叶わなかった。


 どこからともなく現れたメイド長が電光石火の早業でサメ人をお姫様抱っこして連れ去ったのである。


「やられた!」と誰かが言った。


 状況が動き出せばあとは雪崩の如く、盛りに盛った者共が我先にと後を追う。負けじと僕もブーケを求め駆け出した。サメ人の素顔へあと一歩まで迫りながらも取り逃がしたことで余計に悔しかった。僕は生まれてこの方サメ人の中身を見たことがないのだ。


 それはともかく、闇雲に追い回してもメイド長を捕まえられると思えないし、何か策を打つべきだ。あの人は大人げない年上なので生半な一手は大人ぶった顔して執拗に踏み潰してくるだろう。


 立ち止まり、どう出し抜いてやろうか知恵を絞っていると何者かが僕の肩を掴む。


「おいお前」


 そして開口一番に凄んできたその人は梶来さんの想い人である実行委員長だった。


「さっき梶来と一緒に俺を撥ね飛ばしただろ」

「その節は……どうも」


 会釈をして立ち去ろうとしたが、それは許してもらえなかった。


「待て。まだ話は終わってない」

「失礼ですが僕には偉大なる夢が」


 その場で足踏みをして急いでいる旨を全身で伝えてみても実行委員長の眼光は鋭さを増すばかりだから、観念して一度足を止めた。


「僕になにか?」

「梶来がいまどこにいるか知ってるか?」

「知りません。池の辺りで別れたので」


 すると実行委員長はバツが悪そうな顔をして目を落とした。五秒ばかり経って顔を上げると、眉をひそめて言った。


「梶来、怒ってただろ」

「怒って……まあ、そうですね」


 怒ってはいたものの割合のほとんどを惚気話が占めていたから反応に困る。まさかこの場で梶来さんの恋心を詳らかに語るわけにはいくまい。


 お節介とは押しつけがましいものだが、やはり節度を持たなければ。大局に影響を与えるか与えないか、くらいが望ましい。それを踏まえた上で好き勝手やるべきだろう。


 何をするにしても情報は必須であり、またとない機会なので実行委員長に探りを入れることにした。


 空咳で一区切りをつけてから僕は言った。


「あなたは梶来さんのことが好きなのか?」


 しくじった、ストレートに攻めすぎだ。実行委員長の目が細くなり、あからさまに僕を訝しんでいた。


「ぼ、僕もよく喧嘩をする相手がいるんです。妹のように思ってるんですが、同じような感じかなと」


 慌てて取り繕うと、実行委員長は「ふん」と鼻を鳴らす。


「少し付き合え。そこら中で問題が起きてるせいで実行委員は過労死寸前だ。俺にもやりたいことがある。絶対にやると決めたことだ。その為に一人でも多くの手を借りたい」

「どうして僕を」

「喧嘩するやつは活きが良いからだ」


 こうして僕は強引に文化祭の治安維持部隊へ編成されたのだった。僕が喧嘩をするのは雨傘限定なので期待を持たれても困る上、ブーケを手に入れるという命題も抱えていたが、そもそもブーケ争奪戦に参加したのは梶来さんと実行委員長の関係に進展があればという動機によるものだから、むしろこれは願ってもないチャンスである。


 ついでに「甚平を着た背の高い女性の目撃情報を集める」ことを頼んだ。恋寺さんのことだから文化祭が終わればふらりと現れそうな気もするが、早めに手を打っておいて損は無い。彼女がいなければ僕は目の覚まし方が分からないのだ。


「そういえばお前を探してるメイドがいたぞ」

「え! 詳しく聞かせて貰えますか」

「俺もよく知らねえよ。うるさい奴と小さい奴だ」


 うるさいメイドも小さいメイドも知り合いにはいない。もしかするとメイド長絡みなのかもしれない、というよりもその可能性が高いのだが、メイドさんが僕を探しているという事実は気持ちの良いものだ。是非お会いしたいところである。


 近くで悲鳴が挙がったのを皮切りに実行委員の手伝いが始まり、体験してみて分かったが掛け値なしに激務だった。一つの問題を解決すると、待ってましたと言わんばかりに新たな問題が発生し、片付けたと安堵すれば見計らったかのように次なる騒ぎが産声を挙げる。


 文化祭は盛況を極めており、このまま最後まで衰えることはないのだろうなと思った。


 再び体育館へ戻って機材トラブルを処理してから、ようやくインターバルが訪れる。


「……こんなことをずっとやってるんですか」

「俺達の苦労が分かったか? まあ好きにやるのは悪くねえよ。上品よりずっといい」


 だがな、と声が一段重みを増した。


「楽しむ権利は俺にもある。そもそも実行委員長なんかやりたくなかったんだよ俺は」

「では、どうして」

「誰もやりたがらねえからだ。仕方なくやってんだよ俺も」

「災難ですね」

「全くだ」


 投げやりに同意する実行委員長。口調は荒いが根っこの部分はお人好しのようだ。


 誰だって文化祭という年に一度の羽目をはずせるイベントで、理性と手を繋いで歩きたくはない。


「でも、秩序があるから楽しいんですよね。こういうのって」

「へえ。いいこと言うな。他の実行委員にも聞かせてやりてえよ。お前になら次の委員長を任せられるな」

「考えておきます」


 思ったことを口にしただけなのに、法外に買いかぶられてしまった。僕に彼ほどの器量は無いと分かっているので、調子に乗らず自分を律した。


 特に目的地を定めず歩き進む中、委員長が唐突に言った。


「どの道分かることだしお前には話しとくわ。さっき絶対にやりたいことがあるって言っただろ、俺。あれだけどな、梶来に告白するつもりなんだよ」

「えっ! マジか!」


 降って湧いた特大ニュースに僕の口からギャル用語が飛び出してくる。ヤバい。


 文化祭で告白、青春のど真ん中をゆく眩いばかりの決意である。


「だからその時は、他の何よりも優先する」

「誰も文句は言えないでしょう。いや、僕が言わせない。具体的にはいつどこでどのように?」

「梶来を見つけて邪魔が入らなければすぐにでもだ。場所は校舎の裏。ストレートに好きだって伝えるよ」

「普通ですね」

「悪いかよ」

「いえ……悪くないのが悪いといいますか」


 梶来さんが話していた中で、告白されたいという点は見事クリアしている。ストレートな言葉というのも花丸だ。


 しかし残りの、「恥ずかしくなるくらい」「一生忘れられない」にはやや弱い。「強引」の項目は、委員長の性格的になんとかなりそうではあるが……と、ここで再び僕の中に妙案が誕生した。上手くいけば二項目を達成できるであろう閃きだ。


「僕に考えがある。乗っかってもらいたい」


 委員長の眉が跳ねる。


「なにやるつもりだよ」


 思い付きをそのまま話すと、委員長は呆れの色濃い顔になった。


「お前、俺の邪魔したいのか」

「違いますよ。成功率を上げるための提案です」

「自信あるのか」


「あります」僕は実行委員長の目を見据え、断言した。力強くはっきりと言い切った。


 目立つことを厭わない梶来さんならば気に入ってくれるはずだ。


 それに、学生時代は無茶やる方がいいと、おおよそそういった旨の発言をしていたのもある。


「もう一度聞くぞ。お前、梶来となに話した」

「普段やらないことをやれと。だから僕も大いにはしゃぎます」

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