【33】隙間の空いたプロポーズ

 今日の午後だけで既に一年分くらい走っていた私は、あの不届き者に天罰を下さなければ死にきれないという気力だけで足を動かしていました。


 せめて十発。あのたらふく溜め込んだ水風船を頭にお見舞いしてやらなければ。


「メイドさんが走ってるー」と言う無邪気な子供に羞恥心を突っつかれながらも私の心は折れません。ここで諦めたらただの目立ちたがりに成り下がるからです。私を励ましてくれた少年にモデルガンをプレゼントしました。


 中庭方面へ進んでいくワンオペさんの背中だけを睨みつけ、届かないことは承知の上で私は「しゃー!」と威嚇しました。


 しかしなんということでしょう、私から溢れ出るプレッシャーに身動きを封じ込められたとでも言うのでしょうか、ワンオペさんの足が止まります。予期せぬボーナスタイムに私は距離を一気に縮めました。


 そこでワンオペさんが水風船を握ったのを見て、まさか迎撃するつもりか小癪な、と身構えましたが正面を向いたまま振りかぶっています。


 豪快な上手投げで投擲された先へ目を凝らすと、そこにはメイドに抱えられたシャークメイドがいました。メイド長と町田さんです。


 人を抱えながらも軽やかな身のこなしで水風船を回避したメイド長は、ワンオペさんに構わずこちらへ向かってきます。私はその場で止まり二人を見つめました。


 やがて私に気付いた町田さんがすれ違いざまに、


「あ。これ、最合くんから」


 と言って私に何かを投げて寄越すのでした。油断していて取り落としたそれを拾い上げてみると、恐らくですがブーケと呼ばれる呪物のようで、背中が痒くなりました。


 よく分かんないけどキレーな花がたくさん集まっています。


 そんな呪物をしげしげと眺めていると、身を翻したメイド長が町田さんを抱いたまま寄ってきます。


「奇遇だね。それ、私のなんだ」

「最合くんが雨傘さんに渡したいって言ってたよ」


 どちらを信じるかと問われれば、消去法でもなんでもなく迷わず町田さんの一択です。


 私はブーケを両手で抱きしめました。


「どういうことですか町田さん。先輩いたんですか!」

「会って来た。雨傘さんの花嫁姿を見たいって言ってたよ」

「は~~~~?」


 意味不明です。どこで何をやってんだあの先輩は。


 私がいない所で私を褒めるとか……嬉しいけどそういうのは直接言うべきでしょう。


「ニヤけて」「ません」


 町田さんの戯言は途中でぶった切ってやりました。


「そ、それで。先輩はいまどこに?」

「分からない。メイド長に攫われたから」

「私にも事情があってね。それを――と」


 飛んできた水風船がメイド長の言葉を遮ります。それもむべなるかな、ワンオペさんにとってメイド長は命に代えても討たねばならない悪党なのです。激しい剣幕で詰め寄ってきたワンオペさんが水風船を投げながら叫びました。


「見つけた! お前だけは絶対に絶対に!」

「全く本当に厄介な部下だ。幸せも度が過ぎると不幸だね」


 遂には肉体言語で会話を始めた二人から、私と町田さんはそっと離れるのでした。


「町田さんこれなんですか」

「持ってると結婚式出来るんだよ」

「意味分かんないです」

「最合くんが雨傘さんにあげたいって言ってた」


 だからぁ……それが意味分かんないんですよ。いやいや町田さんは変な嘘を吐く方ですから、無闇に信用してはいけません。危ない危ない。


「ニヤけて」「ません!」


 なんてしつこいのでしょう。


「ちなみにそれ持ってると狙われる」

「誰にですか」

「不特定多数から」


 頭の中に疑問符が充満していく中、町田さんの発言を裏付けるように知らない女性が私を見て大きな声を上げました。


「あったよブーケ! ここに!」


 その一言はさながらバードコールで、四方八方から人人人。私は今まで以上にブーケを強く抱きしめました。


 何が起きているのか輪郭すらも掴めていませんが、このブーケを渡すつもりはありません。


「あ、あげませんよ! 先輩がくれたんだから!」


 万が一これが本当に先輩からの贈り物なのだとしたら、絶対誰にも渡してたまるもんかです。先輩が花束なんて代物を用意できるとは思えませんが、あの人なら周囲のノリに合わせて変なことをやりかねません。つまりこれは私の物!


 呑気にカメラを構える町田さんが身震いをしました。


「全知全能になった気分」

「何言ってるんですか逃げますよ!」


 そうは言ったものの敷かれた包囲網に隙間は無く突破が困難であることは一目瞭然です。片っ端から噛みついてやるぞこら! と歯を噛み合わせていると、突然、人波を掻き分けて巨大なサメが突っ込んできました。パンダエンジン好物メイド、私の良く知る組み合わせです。


「やっほーなにやってんの? あたしも混ぜてよさびしーじゃん」

「乗せてください!」


 説明は後に回して私は急いでサメの背中に乗っかりました。


「え、あ! 雨傘ちゃんが持ってるのってもしかしてブーケ? そっか忘れてた! うわーミスったぁ」

「進んでください!」


 急発進の号令にも即座に反応してくれるパンダさん。おかげで私はこの窮地を乗り切ることが出来そうです。


 町田さんを置き去りにしてしまうことには胸が痛みましたが、振り返った先で彼女はひらひら手を振っていました。それはやがてサムズアップに変わりました。

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