〈09〉鑑賞、保存、布教の法則
「くしゅんっ!」
梶来くんの美声が英語だらけの曲を歌い上げると、全員一回ずつ出番を終えたことでしばらく雑談をする空気となった。その口火を切らんとばかりに放たれたのが、咲沙さんの隣に座る
町田さんの持つ大人びた雰囲気から隙の無い印象を抱いていた僕は、可愛らしいくしゃみに意表を突かれ胸がドキドキした。
彼女はクラスで大人しいタイプかつどこか取っつき難い空気を放っている人で、僕はこれまで町田さんと話したことが無い。その為内面のほとんどを知らないが、外見に関しては美人であると即答できる。町田さんは咲沙さんに負けない美貌を持っているのだ。
「風邪? うつさないでよねー」
「大丈夫。誰かが私の噂してるんだと思う」
町田さんと咲沙さんは意外にも仲が良いようで、冗談交じりに会話している。
周囲を見渡すとそれぞれ近くの人間と盛り上がっていた。
普段教室では見かけない取り合わせばかりで、雨傘が僕の耳をタコ星人にするまで唱え続けた「お調子者が大人しい者を虐げる」ような非道は影一つなく、ごく普通のクラスメイト同士が仲良く遊んでいるという素晴らしい光景が広がっている。
如何に雨傘が偏見に呑まれた捻じ曲がり小娘なのかが分かる。奴もこの空間を体験すれば考えを改めることだろう。
今頃どこで何をしているのやら。放課後に部室へ行ってみたが、鞄だけを残して姿を見せなかった。
「なあ最合。お前さ、彼女とかいるか?」
と興味津々に身を寄せて来る梶来くん。彼は妙に距離感が近い。これが光の下で育った人間なのだろうか。
「いないな。そもそも女子と話すことがほとんど無い」
「そうなのか? 咲沙にちらっと聞いたけど後輩いるんだろ? 女子の」
「女子……」
僕は雨傘と過ごした日々を思い返した。
一緒にアニメや映画を見たり漫画を描くのを手伝わされたり、放課後一緒にファミレスで時間を空費したこともあったし、休日は雨傘お気に入りアニメとのコラボカフェに付き合わされお目当てのステッカーが出るまで注文を繰り返したりもした。遊園地に行けばヘンテコな髪形になるまで絶叫マシンを梯子して、お目当ての本を探す為に県外まで遠出したこともあった。本に関しては僕が連れまわした気もするが、基本的には雨傘主催のわがまま放題ツアーなのだ。
以上から僕は一つの結論を導き出した。
「あれは妹だ。間違いない、あんなに我儘を言う年下は兄妹以外に存在しない」
「なんだそりゃ、って言いたいとこだけど……分かるぜ。俺の場合は上が我儘なんだけど」
「姉がいるのか?」
「まあな。確かにあれを異性としてカウントするのは無理がある」
梶来くんは溜息を吐いてから自嘲するように笑う。表情が多彩でどれも絵になるとは羨ましい。
「困ったら相談してくれよ。全く自慢にならねーけど、十七年わがままの下で育ってるから力になれると思うぜ」
「助かる。梶来くんもなにかあったら言ってくれ」
梶来くんは良い人だ。僕のような日陰者にも優しく接してくれる。オタクに優しいギャルというのはもしや梶来くんなのではないだろうか。有り得る。
「そういえば最合くん」と、不意打ちで町田さんが僕を呼んだ。
「えっ……と、なにか?」
「さっき歌ってたでしょ。プリトレの曲」
真っすぐ向けられる瞳に気圧されつつも頷いてみせた。
僕はさっきアニメソングを歌ったのだ。というのも咲沙さんがアニメのオープニングソングを可愛らしく歌い上げたため、これは僕も乗るしかないぞと雨傘曰く「大丈夫」な曲をこの空間へ流し込んだのである。
結果として大いに盛り上がったので雨傘には感謝感激嵐山だ。こうして町田さんと会話する切っ掛けになってくれるとは。
「アニメを見ただけであまり詳しくはないんだけど」
「そうなんだ。面白かったでしょ。ね」
「話がストレートで分かりやすかったし楽しめたよ」
「良ければ貸すけど。ライブの円盤」
「いいのか? 是非お言葉に甘えたいところだけど……」
そわそわする町田さんは、普段のクールな装いとは違う魅力を放っていた。これは是非ともお借りしたいところだが、高価な物だしわざわざ持って来てもらうのも気が引ける。
そんな僕の胸中などお見通しなのか町田さんは言う。
「鑑賞、保存、布教の法則を守っているから大丈夫。それに軽いし」
「す、すごい。三つも買ったのか」
「これが三セットある」
「そんな筋トレみたいな」
合計九つの円盤を所有しているらしい。高校生離れした財力に驚愕させられる。バイトをしているのだろうか、もしそうならメイドさんがいいなと思った。
しかし、それだけにとどまらず町田さんの次なる行動は更に僕を驚かせた。
「はいどうぞ」
傍らにある自分の鞄からライブの円盤を取り出したのである。
テーブルに置く事はせず手を伸ばし差し出された円盤を、僕は慎重に両手で受け取った。少し手が震えた。
この様子を見ていた咲沙さんが苦笑いをする。
「
「名刺みたいなものだから。最合くん、見たら感想教えて」
僕は心の中で一回転してガッツポーズをした。これは間違いなく青春である。
今夜は徹夜を決意した僕の耳に、咲沙さんの楽しそうな声が流れ届く。
「あたしも見たよそれ。丁がめっちゃ推すからさー、でも見て良かったかも。ちょー盛り上がるよ」
眩い笑顔の咲沙さんと、得意げな顔で頷く町田さん。この友情に僕が挟まって良いものか甚だ疑問であったが、挟まったところで存在を維持するだけの弾力を持ち合わせていないと気付き、どうせ消滅するならばいいかと思った。
円盤を自分の鞄に入れたタイミングで、梶来くんが勢いよく立ち上がった。
「なあ町田、俺にも貸してくれよ。興味ある」
「え? 梶来くんが?」
町田さんだけでなく、咲沙さんも驚いているようだった。当然僕も、梶来くんが女性向けアニメを見るなど想像だにしていなかったため、思わず「梶来くんが?」と零した。
「悪いか?」
「別にいいけど」と町田さん。
「見るならアニメの方も見なよ」咲沙さんがからかうような顔で言う。
「町田が良ければアニメのも貸してくれ」
スキージャンプのような体勢で身を乗り出す梶来くんに、町田さんは落ち着いて頷いた。
「勿論礼はする。それと持って来て貰うのも悪いから家の近くまで取り行くよ」
「心配しないで」
まさか、と僕は身構えた。
町田さんの眉宇が引き締まり、そして予想したそのままの現象が発生した。
「一巻だけだけど」
「まじかよ! ははっ、サンキュー町田! お前すごいな!」
プリンストレイターの一巻が梶来くんへと手渡される。これには咲沙さんも大笑いだ。
「あははははは! マジ? そのカバンなに入ってんのさ! 全然知らなかったんだけど!」
「尊敬を込めて今日からアルケミストって呼ばせてもらうぜ」
「是非そうして」
満更でもないどころかえらく気に入っている様子の町田さん。彼女は隠れ蓑すらアニメプリントが施されるタイプ、所謂オープンなオタクのようだ。些か開けっぴろげすぎる気もするが、咲沙さんを見るに町田さんのそういう部分を気に入っているのだろう。
光の下で育った人達というのは、なんというか、良い人だ。他人を受け入れられる豊かな土壌を備えている。変化に柔軟な対応をできるこういった人が、自分を持っているってやつなのだろうと、そんなことを考えた。
梶来くんが円盤をカバンへ入れるのを見ていると、なにやら視線を感じた。発生源を辿ると、町田さんが無表情でじっと僕を見ていた。
感情が読み取れないため心当たりを探ろうにも手掛かりが無い。まさか保管方法に苦言を呈するものか。慌てて自分をカバンを見る。もう一度念入りに位置を確認して大丈夫だと目顔で合図を送ってみるが、町田さんは微動だにしない。言い知れぬ冷たい塊が胸奥から込み上げてくるようで僕は息を止めた。
そうしていると、梶来くんが空になったコップを持ち上げて言った。
「最合、悪いけど俺の注いできてくれねえかな。コーラ」
「え、ああ分かった。ありがとう梶来くん」
思わぬ助け舟に僕は即断で乗り込んだ。梶来くんは救世の王子様である。
僕は梶来くんのと自分のコップを片手に一つずつ持って席を立つ。
「あたしのもなくなっちゃった。ね、丁行って来てよ」
「私が? いいけど」
と言って、僕と同じような構えの町田さんも立ち上がった。そして再び僕を見る。
心臓を鷲掴みにされたと脳が錯覚したらしく、僕は反射的に右手のコップを口へ運んだが、ぬるい水滴ではなんの慰めにもならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます