【08】暇人
私が恋寺さんから独立したのは、「ぷらあな」というお店に到着してからでした。ここはどこでしょう。カラオケは?
おかしいと思いました。カラオケ店なんて目と鼻の先であるにも関わらず、移動時間が長いことに疑問を持たないほど鈍くはありません。歯向かうだけの物理的な力さえあればここまでの好き勝手を許しはしなかったでしょう。
「恋寺さん」
「話なら中で聞くよ。お酒以外も出してくれるから安心して」
木製の扉を押し開けて中へ入っていく恋寺さんを見送り、私はゆっくり後退ります。このまま逃げ出そうと踵を返したその時、目の前にいた少年の姿を見て足が止まりました。
「あ、小唄お姉さん。何してるのこんなとこで」
右手をヒラヒラさせながら笑う音矢くん。私はその手を掴みました。
「ここで会ったが百年目」
「え? あ、もしかして根に持ってる?」
「私は受けた屈辱だけは生涯忘れない女なので」
うわぁと漏らした音矢くんの顔は困惑気味です。どうやらこの少年、持ち前の美顔で数々の悪逆非道を放免されてきたのでしょう。
しかし今回ばかりは相手が悪かったと言わざるを得ません。さてどうやってお仕置きしてやろうかしら。
私は空いている方の手をワキワキさせてプレッシャーを与えます。
「ぼくの両親は警察官だよ」
「私は権力に屈しません。親の七光りとなれば尚更です。漏れなく吸収してやります」
「ベンタブラックみたいなお姉さんだ」
カタカナらしき知らない言葉が出てきましたがその程度で煙に巻けるはずもありません。音矢くんの整ったヘアースタイルを片手でぐしゃぐしゃに乱してやりました。サラサラの頭髪が指の間を動き回る感覚は中々に気持ちの良いものです。
ひとしきり揉みくちゃにした後、私は音矢くんを解放しました。恨みがましい目が私を見上げてきます。
「まったく。ぼくは年上の女の人以外に頭を触られるのが苦手なんだ」
「問題ないじゃないですか」
「小唄お姉さんは中身が子供すぎる」
なんだともっぺん食らわしてやるぞこらと沸騰した私でしたが、恋寺さんに肩を掴まれ行動を制されました。
「早く入りなよ。お嬢さん、音矢と知り合いだったんだね」
どうやら恋寺さんと音矢くんはお知り合いのようです。逃亡に失敗した私は恋寺さんに引きずられ、音矢くんにお腹を押されながら入店しました。
芸術的な阿吽の呼吸、なんと小賢しいのでしょう。
店内は反吐が出る程お洒落な内装で飾られていました。薄暗い中を青白い光が照らしていて、棚には目が回る量の酒瓶が並んでいます。学生じゃなかったとしても私には無縁な、自分大好きな方々がお酒と自分に酔いしれる為にあるような空間です。
勝手に私の寿命を吸っているような気さえしました。
こんなところ高校生の来る場所では――そこで私の危機感がけたたましい警鐘を鳴らします。そう、これはいわゆるぼったくりの手口であると。私のような純真無垢を食い物にする悪の巣窟なのだと気付いたのです。
けれど既に事態は深刻、カウンター席で恋寺さんと音矢くんに挟まれている私は遅きに失していると言う他ないでしょう。
「お、お金ならありませんよ……学生証も携帯も持ってません」
恐る恐る左隣の恋寺さんに言いました。
「お金はいらないよ。払ってくれる奴がいるからね」
「払ってくれる人……?」
「
「大丈夫なんですかそれって」
「たぶんね」
知らん知らん、といい加減なことを言いながら恋寺さんはカウンターの内側へ回りました。慣れた手つきでドリンクを作り始めます。
ややあって私と音矢くんの前にお洒落なグラスに入ったカフェオレが差し出されました。私の左隣の席にも同じ物が。私と音矢くんは当然にしても、恋寺さんはお酒を飲まないようです。
「恋寺は酔うとうっとうしいんだ。京塚がいない時に飲まれちゃたまらない」
「今でも十分うっ……つくしいですよ」
先輩と話す時の癖で本音が零れそうになりましたが、一休殿もかくやの機転を利かせ切り抜けるのでした。突っ込まれてはたまらないので話題を無理やり変えることにします。
「あの……恋寺さん。どうして私をこんな場所に」
「言ったじゃないか。私は暇なんだ」
「ひま……」
「私は面白そうなことが好きでね。物陰からコソコソ様子を窺っている少女に興味を惹かれないはずがない」
隣へ戻って来た恋寺さんがカフェオレに口を付けながら語ります。「物陰?」という音矢くんの疑問を右手による物理で捻じ伏せ、話の続きを促しました。
「お嬢さん。私はキミの恋を応援しよう」
「だから違いますって」
「手始めにカラオケをぶっ壊すことからはじめよう」
「えっ!」思わぬ展開に私は立ち上がりました。恋寺さんが女神に見えたからです。
「言っただろう。私は恋の神様なんだ」
「こ、恋寺さんっ……!」
なんて素敵な人なのかしら。きっと天から遣わされた御方に違いありません。追放されたとするのが正しい気もしますが、その程度は些事でしょう。小さなことです。
私は両の手を組み合わせて祈るようにしながら恋寺さんを見ました。
「京塚が来たらすぐにでも動き出そう」
「はい。そうしましょう。ここに来たのは京塚さんという方と合流するためだったんですね」
「いや、それは別に関係ないよ」
気勢を削がれずっこけそうになりましたが、ここで踏ん張れるのが小唄ちゃん。
なみなみ注がれたカフェオレをぐいっと一気に飲み干して、私は拳を握りました。
その様子を見ていた音矢くんが唇を尖らせて言いました。
「ぼくはそういうインケンなのは反対だな。友達を作るチャンスだって考えようよ」
「何を言い出すかと思えば……音矢くんのような子供には大人の事情なんて分かりませんよ」
「ぜーったいぼくの方が大人だね」
学校という治外法権に生まれるヒエラルキーの真の恐ろしさは小学生に分かろうはずもありません。故に戯言だと聞き流してあげるのでした。
今頃カラオケではしゃいでいるであろう先輩の姿を思い浮かべます。私と八時間渡り合った実績のある先輩ですから、ノリだけで生きている連中とのカラオケなど悠々乗り切ってみせるでしょう。どうせ私のことなんて忘れて楽しんでるのよ!
「小唄お姉さんが性格悪いのはなんとなく分かったけどさ」
「舌を引っこ抜きますよ」
「好きな人に迷惑かけるのは良くないよ」
音矢くんまでヘンテコな勘違いをしているようです。否定するのも面倒なので無反応を以って回答としました。
迷惑か。迷惑ね。分かっています。それでも私はやりたいことをやるのです。
「まあ合コンっていうのは面白そうだし賛成だよ。高校生の彼女も悪くないなあ」
「マセガキ」
「冗談だよ。でも言い寄られるかもしれないよね。ぼくって可愛いし」
「はいはい。もしそんな人がいたら危ないので近寄っちゃいけませんよ」
私は恋寺さんにカフェオレをもう一杯注文しました。
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