【07】魔法の詠唱

 S・M・L以外の規格を使うお店を私は断固として許さない所存であります。


 やれトールだやれヴェンティだと知り合いに聞かれたら恥ずかしさでコーヒーミルに頭を突っ込みたくなります。


 だからといって「一番小さいのを」「中くらいで」「一番大きなものを」と言うのも屈辱的ですし、メニューを指さして「これを」などと言おうものなら子供の背伸び感が丸出しです。


 気にしすぎかもしれませんが、私は理解が行動の燃料となる構造をしていないのです。


 そも、最初に立ちはだかる魔法の詠唱が如き商品名にすら私の細く繊細な心は耐えられません。ストローの方が太く逞しいでしょう。


 レジ前に並んで間もなく、私達の番が巡ってきました。


 恋寺さんの出方を横目に窺うと、彼女は年上の余裕たっぷりな様子で店員さんに言いました。


「この甘そうなのにしよう。これだね。これを二つ。サイズは店員さんにお任せするよ」


 信じられない人です。喋る割に具体的な内容がこちらへ伝わってきません。任せるな。


 店員さんは当然戸惑っておりましたが、しかし流石は接客業を仕事に選んだ御仁、すぐに切り替えたようでした。


「キャラメルフラペチーノ……ですね。サイズは」

「さてお嬢さん。好きなのを選んでいいよ。私の奢りだ」

「え、えっ……」


 恋寺さんは前触れもなく私を混乱の渦へ引きずり込みました。私の分まで注文してくれたことで安全圏へ避難完了したつもりでしたが、それは大きな間違いだったのです。


 私は脳みそをフル稼働させて最適解を探しました。これ以上店員さんに迷惑を掛けてはいけません。サービスを受ける側として、店員さんが気持ちよくサービスを提供できるようにするのが客の務めです。


 つまり速やかにお店側が定めるサイズに従うべき!


 慌てた私は舌を噛みながらも言いました。


「ヴェ、ヴェンティでお願いします!」


 思いのほか大きい声がずっこけながら飛び出してきます。奢りならばと卑しさを抑えきれなかったバチが当たったのでしょうか。


 それだけならばまだ耐えられたのですが、どうやらヴェンティではなくベンティらしいのです。舌を巻いてかっこつけた私の恥ずかしさたるや。誰か私を一思いに殺してください。


 こうして私はオトナの階段をのぼったのでした。


 注文して間もなくお出し頂いたベンティサイズのキャラメルフラペチーノは、小学生が遠足でぶら下げる大きな水筒を思わせる雄々しき姿を誇っていました。しかし傷だらけになった私のプライドと比べればとても小さく見えました。



 〇


 テラス席という処刑場に腰を据え、私と恋寺さんはキャラメルフラペチーノを啜っています。今までに味わったことの無い甘ったるさに落ち込んだ気分もいくらかマシになりました。


 私はなるたけ縮こまりながら対面に視線を見ます。いつの間にやらカップの半分を減らしていた恋寺さんが、にやりと口角の片側を引き上げました。


「さてお嬢さん。私が恋愛相談に乗ってあげるよ」


 もはや訂正する気も起こりません。


 そんなことより私は、いかに自分の存在を希釈するかで必死なのでした。万が一にも知っている人間に目撃されてしまったら……考えるだけで寒気が治まりません。


 短い間隔で大通りを確認しながらカップの丸屋根に開いた穴を覗き込んでいると、恋寺さんが言いました。


「どうしたのそわそわして。落ち着かないね」

「……その、誰かに見られたらと思うと」

「話のきっかけになる」

「なりませんよ」


 初対面の相手を話し相手に選ぶ勇ましさから薄々感じていましたが、恋寺さんは根本的に私と作りが違うようです。


 昨日キャラメルフラペチーノを飲んだんだー、しかもベンティ。


 これでどう話を展開しろと? 言われたのが私ならば「ただでさえ小さい脳が砂糖でドロドロだね」と返すでしょう。無理ですけど。


 私は意を決して恋寺さんの金魚鉢みたいな瞳を見据えました。


「なりませんよ。喧嘩にしか」

「私が悪かったよ。お嬢さんは会話が苦手なんだね」

「別にそういうわけじゃ」


 苦手というわけではありません。ただ、考えている内に焦って変なことが飛び出したり、無難に落ち着いてしまうのが恥ずかしいです。


 私がストローを咥えて話を打ち切ろうとすると、恋寺さんはタバコに火を点け、煙を吐き出しながらついでとばかりに言いました。


「臆病者」


「は?」反射的に私の口は応戦します。


「あっはっは。冗談だよ、お嬢さんの緊張をほぐしてやりたくてね。私は整体師なんだ。たぶんね」


「……そうなんですか」


 思い通りに弄ばれている感じがして屈辱です。噛みついてやろうかしら。


 私の企みを看破したのでしょうか、恋寺さんが身を乗り出して私の頭に右手を乗せました。


「難しいよね。見られたいように見られるってのは」


 と言って、左手のタバコを口元へ運んでいます。右手は乱暴に私の頭をくしゃくしゃと撫でました。


 子ども扱いされて嫌な気持ちにならなかったのはこれが三度目でした。


 私はその不可思議な心地良さを受け入れ、視線の置き所を探します。ふと目についたのは『禁煙』の文字でした。


「ちょ、ちょっ! 禁煙ですよここ!」

「え? 外なのに?」


 呑気なことを言う恋寺さんの脳天にチョップをくれてやりました。無法者の一味と思われてはたまりません。決して私怨によるものではないのです。


「あで」と気の抜けた声を出した恋寺さんが、ポケットから取り出した携帯灰皿に吸殻を押し込みます。なんとか大事になる前に事を収めることが出来ました。


 ほっと胸を撫で下ろした私に去来したのは「一体なにをしているんだ私は」という至極真っ当な思考でした。


 そんな私の顔をしげしげと見る恋寺さんが怪しげに笑みます。


「寝癖君のことを考えているね。安心してよ、こうして付き合って貰ったお礼に次はお嬢さんに振り回されるとしよう」


「……いや、いいです」


「それは無理な相談だ。私は四六時中暇しているからね」


 もはや恋の神様という肩書すら使いませんでした。ここで使わずしていつ使うというのでしょう。私はとんでもない人に目を付けられたようです。


 しかしまあ、恋寺さんは寛容なのか鈍感なのか定かでないにしろ余裕があるのは確かなので、大分慣れてきました。


 自分がこんなにちょろかったとは。それとも恋寺さんが先輩と似た安心感のような物を持っているからでしょうか。


「たまにはカラオケもいいね。よしお嬢さん、私達も乗り込むとしよう」

「えっ、それは……まあ? いいですけど?」


 なんということでしょう。棚から牡丹餅、渡りに船。高笑いしたい気持ちが込み上げてきます。


「知り合いを何人か呼んでおいたよ」


 まさかの大型船でした!


「な、なんてことをするんですか!」


 不意打ちの泥団子に私は思わず声を荒げました。


 でたでた出ました、陽キャがやるやつ。盛り上がると思ってーとか人数多い方が楽しいっしょーとか謎理論で勝手に人増やすやつ! それで集まってきた野郎共は圧倒的なフィジカルで場の中心に位置取るものだから、私のようなか弱き少女は埒外まで吹き飛ばされるのです。むごすぎる。


「気に入らなかったら私に言ってよ。追い返すから」

「追い返してください」


 恋寺さんの愚行を止めるべく身を乗り出す私でしたが、視界の端に捉えたとある光景に意識を全て持っていかれました。


 私は急いで椅子に座り直し、出来る限り身体を丸めて額をテーブルに押し当てます。私は空気。私は空気。


「どうしたのお嬢さん」

「気にしないでください」

「何かいいことでもあったのかな。お、朗報だよ。お嬢さん」


 恋寺さんが椅子を立つ音が聞こえてきます。顔を上げると背中がこちらへ向いていたので、これは不味いと私も立ち上がり、恋寺さんの腰に抱き着く形で動きを制しました。


「おやおや。大胆だね」

「なにを……するつもりですか?」

「お嬢さんと同じ制服を着た女の子がいるんでね。折角だから一緒にと思って」


 嫌な予感が的中です。見過ごしていたら私の命はここで終焉を迎えておりました。


 恋寺さんがナンパしようとしているのは、私を空気へと擬態せしめたクラスメイトの陽キャ、つまり私の天敵と換言できるでしょう。


 私は恋寺さんの細い腰に頭を押し付けながら言いました。


「今すぐここを脱出しましょう」

「それはときめく口説き文句だね。そんなにお嬢さん達と顔を合わせたくないのかな」


「当然です。今が人生の分岐点となるくらいには重要なんです」

「そこまで言うなら仕方ない。でも安心しなよ、彼女達は中でくつろぐみたいだ」


 だったら問題無し、とはいきません。あの連中は根っこの部分が光を求める存在ですから、いつこちらへやって来るとも分かりません。


 いくら私がコミュニケーション難ありの不良物件といえども、必死になれば口も動くのでした。


「ダメですよ。顔を合わせなければ問題無しとはいきません。いいですか、お洒落カフェにいる所を目撃されただけで私のような下等種族はクラスの珍虫標本に入れられるんですよ。学名は『友達いないくせに無理してお洒落カフェに行く虫。ウケる』です」


「偏りすぎだよ」

「それが私の美点です」

「お嬢さんは逞しいのか卑屈なのかよく分からないな」


 腰に回した手の力を最大限まで引き上げ、いよいよとなれば千切ってやる心積もりでしたが恋寺さんは諦めてくれたようです。


「出ようか。そろそろあいつらも来るだろうし」

「ごちそうさまでした。それじゃあ私はこれで」


 宇宙へ上がるロケットさながらに私エンジンを切り離そうとしたのですが、しかし恋寺さんは私の手が組み合っている部分をがっしり抑えて歩き出しました。


 予想だにしない事態に驚きながらも私の足は勝手に動きます。


 即席ケンタウロス。なんというファンタジー。


 抵抗するも拘束から逃れられず、恥ずかしさのあまり顔を上げることも出来ないままカフェを後にしました。

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