【10】シドロモドロ
「私はアルバイトで生計を立てている。ついでに大学生もやっているよ」
京塚なにがしの到着を待つ間、必死に絞り出した「恋寺さんは学生ですか?」という話題で場を繋いでおりました。第一印象で抱いた大学生という読みは正解だったようです。
「ここと古本屋が主だね。お嬢さんも隙あらば遊びにおいで」
「そうは言うけど、恋寺ほとんどいないじゃないか」
「いる時はいるさ。いない時にいないだけ」
何を言ってんだこの人は、と思いましたが言うだけ野暮というもの。漂ってくる大人な空気に中てられた私は優雅にカフェオレを啜るのでした。
実際は一刻も早く退散したい気持ちでいっぱいいっぱいですが、大人の階段をのぼる感覚は悪くありません。
そんな風に自分を落ち着けていると、心に幾許かの余裕が生まれました。これならば京塚なにがしがヘンテコな方でも動じるまいと高笑いしたい気分が込み上げてきます。
カラリンという鈴の音が来客の合図を店内へ響かせました。私は努めてオトナな表情で右方向へ首を回します。
そこには二人の女生徒が。私と同じ学校の制服です。それだけならまだしも、見たことある顔でした。具体的には教室で。忌まわしきベンティの店でも!
「ぎゃっ!」
椅子からひっくり返りそうになった私を恋寺さんが支えてくれました。だけど私はひっくり返って気を失いたい心地です。
どうして彼女達がこんなところに? 高校生になったばかりの身でこんな場所へ来るなんて――私は不可抗力です――まさか不良なのでは。
入り口から覗き込むようにして、四つの瞳が私達の方へ向けられています。私を見ている気がするのですが、人違いですヒトチガイ。
私は顔を正面へ戻して棚に並んだ酒瓶を数え始めました。
「さっきコーヒー飲んだ時に見た子だね」
「私は今この世の飲み物は全てお酒なんじゃないかと錯覚してます。十二、十三、十四……」
席を立った恋寺さんが私の背中を肩をポンと叩いて、足音から察するにそのまま入口へ向かったようです。一度カウントを止めて耳を澄ますと、こんな会話が聞こえてきました。
「お嬢さん方。悪いけどまだ開店前なんだ」
「あ、そうなんですね。ごめんなさい」
「知ってる顔が見えたからつい」
心臓を平手で引っぱたかれたような感覚に私は背筋を正しました。助けて先輩いますぐに。
「知ってる顔? もしかしてあそこに座っているお嬢さんのことかな?」
「そうです私達クラスメイトで。話したことはないんですけど」
おいこら恋寺なに話広げてんだ。私は震える唇でカフェオレをちびちび舐めました。
「なんか危ないことやってんじゃないかって。変な感じで移動してたし」
「やめなよ失礼でしょ」
「そこは否定できないな。危険なことって楽しいからね」
ダメだあの女を早く何とかしなければ。最悪です。ケンタウロスなんてやったせいで見つかったじゃないですか!
私は隣の音矢くんを肘で突っつき少しだけ身を寄せ耳打ちをしました。
「なんとかしてください。このままじゃ私は珍虫標本に入れられて肩身の狭い思いをしながら生きていく羽目になります」
「いいじゃないか。会話のきっかけになる」
「ムリムリムリムリ。いきなり誤解を解くなんてノー問題文うみがめのスープですよ」
「だよねえ」
懇願の甲斐あって音矢くんが動いてくれました。さすが男の子です。私は様子を窺いつつ応援していましたが、しかし聞こえてくる音矢くんの声は妙に歯切れの悪いものでした。
「あー……えー……うわぁ嫌だな」
「どうした音矢」
「…………はぁ。オ、オネーチャン。ぼくお腹が空いたよ。いつまで話してるのさ。小唄お姉ちゃんも待ってるよ」
大きな葛藤があったのでしょう、恋寺さんをお姉ちゃんと呼ぶことに長い時間を要していました。そんなに嫌なことを我慢してまで私を助けてくれるだなんて、音矢くんは大変いい子なんだなと思いました。
一方で年上の私が、小学生に無理をさせて座っているだけ。鉛のような罪悪感に身体の真ん中辺りを占拠され、とてもカフェオレを舐める気分ではなくなりました。
いやいや私は巻き込まれただけだし何にも悪くない……そんな言い訳はなんの慰めにもなりはしません。
意を決して立ち上がった私は、床を見つめながら入り口の方へ進み、人の足が視界に入ったのを頃合いに止まりました。かといって何かを言えるわけでもないので、なるたけ顔を伏せたまま流れに身を任せます。
「えー、ぼくと小唄お姉さんは親戚なんだ」
「親戚?」女生徒の内失礼な方が言いました。
「あっ、えぇ、いやっそのぉ」
シドロモドロってキャラクターがいたなあ、なんて心の中で取り繕おうとする私。なんとか一瞬だけ顔を上げることに成功し、女生徒の頭らへんを見ながら答えました。
「そ、そぉーなんですよ。はい、えへへ」
「ふーん」
素っ気ない返答を受け私の心に冷たい風が吹きすさびます。ああ最悪だ変な奴と思われたどうせあとで陰口を言うのよ。
「そういうことだからお引き取り願えるかな? 久しぶりの集まりなんだ」
「そうだったんですね。ごめんなさい邪魔しちゃって。それじゃあ私達はこれで。ほら行くよ」
ひとまずこの場を凌ぐことが出来たのでほっと胸を撫で下ろしたのですが、それは前座だと言わんばかりに、背後から声がしました。
「なんだ帰ってしまうのか。若者と触れ合える機会にときめいてたんだけどね」
声の方を向くと、さっきまで私が座っていた席に一人の男性が腰を下ろしていました。檳榔子黒のスーツに狐の面で顔を隠した、一目でわかる変質者です。
いつの間に現れたのでしょう。前触れなく気配もなく、当たり前のように座っています。私は恐ろしくなって一歩後退りました。それから恋寺さんの背後へ回り盾代わりにします。
「あ、あれも親戚……?」
後ろにいる女生徒の失礼な方が、恐る恐るといった感じで疑問を零しました。
それに答えたのは恋寺さんでした。
「あれは知らん。警察でも呼んでくれ」
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