〈11〉血の特権

 町田まちだとうさんは教室を共にするクラスメイトである。


 大人びた雰囲気を嫌味なく着こなし常に落ち着いている様は、咲沙さんという太陽を擁する我が二年三組において、月になぞらえるのが自然だと僕は考える。大人しいながら存在感が薄いわけではない、くっきりとした存在の輪郭を持つ彼女にこそ適切だろう。


 月の美しさは人々から多種多様な言葉の数々を引き出してきた。しかしそれは遥かな距離を挟んで見上げているからこそ起こりうる作用であり、手の届く場所に位置した際には言葉を呑むのが必然なのだ。


 僕はドリンクバーまでの道のりを無言のまま歩き通した。並び歩く町田さんもまた、何も言わなかった。


 いかん、このままでは町田さんに気まずい思いをさせてしまう。もう遅いかもしれないが、ようやく意を決した僕はカラカラに乾いた舌を動かし、唯一持っている町田さんとの共通点を口にした。


「町田さんはプリトレが好きなんだな」

「大好き。私の生きがいだもの」


 即答である。言葉の一音一音から溢れんばかりのエネルギーが感じられる。

 素人考えだが怒っているとは思えなかったので、手応えのまま突き進むと決めた。


「どういう所が好きなんだ?」

「空気を清浄してくれる所。プリトレって映像から酸素が出てると思わない?」

「酸素……?」


 町田さんは穏やかに微笑している。本気で言っているのだと言外に語っていた。


 意気自如がよく似合う人だと思っていたが、内には人並み以上の熱い心を隠していたらしい。なんだか雨傘に似ているな、と思った。


「ナギくんって子がいるでしょ」

「え? ああ、あの少年か」

「私の最推しなの。あの子に認知されるのが私の夢」


 まさかの二次元相手だった。途方もない夢だが人に語れる以上は立派な夢だし、僕に明かしてくれた以上応援するしか道はない。


「僕に出来ることがあれば手伝うよ。……そういえば僕の後輩もナギくんが好きだって言っていたな」

「そうなの? 知り合いたいな」


「嬉しい言葉だ」

「出来れば今から」


 町田さんの表情が更に華やぎ僕へと一歩詰め寄って来る。顔を彩る実に可愛らしいあどけなさ。普段とのギャップに僕はくらくらした。


「連絡してみよう。どうなるかは分からないが、仲良くしてくれると嬉しい」

「どんな子なの?」

「どんな子……」


 口と性格が悪く短気。熱しやすい負けず嫌い。根に持つタイプ。すぐに手が出る。パッと浮かんだのはこの辺りだが、口が裂けても言えるはずがない。こんな奴を紹介するのかと思われるかもしれないが、勿論可愛い部分もたくさんあるのだ。


 僕は慎重に言葉を選んで言った。


「……激しく人見知りするが、打ち解けると愉快な奴だ。最初が大変かもしれないが……良ければ根気強く付き合って欲しい」

「任せて。私は弟がほしいからほとんどお姉ちゃんだよ」


「兄弟が欲しいのか」

「妹はいる。仲良しの」


 町田さんはさらりと言った。正真正銘お姉ちゃんじゃないか。町田さんも中々に愉快な人なのかもしれない。


「最合くんは、兄妹いる?」

「妹がいる。仲良しじゃないな。町田さんが羨ましい」


 いつからか自然と仲が悪くなった妹を思い出す。よくある思春期だと今でこそ割り切っているが、当時の僕は頭を抱えた。一番身近な存在と仲良く出来ない自分に人付き合いをする資格があるのかと、日がな一日悩んだこともあった。


 結局答えは出なかった。僕は今もいつかの雪解けを信じ生きている。


「ごめんなさい。立ち入ったことを聞いちゃって」

「……いや、世間話だ。町田さんは悪くない。良ければ姉妹仲の秘訣でも聞かせてくれないか?」


「そうだね……性別の違いもあるから一概には言えないけど。うちの場合は趣味の一致が大きいかな」

「趣味か。僕は筋トレが趣味だ」

「ごめんなさい役に立たない話しかできなくて」


 謝られてしまった。


「あとは、月並みだけど喧嘩すること。あれって血の特権だもの」

「血の特権?」


「私はそう思ってる。どんなに憎たらしくても許しちゃうし」

「それは町田さんが優しいからだ」

「そ。優しくなれるの。人の許し方を知れるから」


 許し方を、知れるから。


 この時見せてくれた町田さんの顔を僕は生涯忘れないだろう。僕もこんな風に笑える兄とならなければいけないのだと、そう思ったからだ。


 見ているだけで心が安らぐ、淡くとも深みのある笑顔に……ダメだ、僕にはこの表情を正確に表現するだけの技量が無い。それくらい魅力的なものだった。


 優しいから許すのではなく――許せるから優しい。許し方を知り、優しくなっていく。


 当たり前のことかもしれないが、これまで言語化してこなかった僕は目から鱗が落ちた気がした。


 町田さんは真っ当にお姉ちゃんをやっているのだ。


「ありがとうお姉ちゃん。間違えた、町田さん」

「次間違えたら怒るよ」


 うっかり口を出た戯言は、攻撃性の高い否定によって木っ端微塵となった。当然である。


 かくして一度区切りを迎え、僕達は本来の目的であるドリンクを四つのコップに注ぎ、来た道を振り返る。そこで、壁に身を寄せてこちらを観察している梶来くんと咲沙さんを見つけた。


 覗き見がバレたというのに二人は特に焦った様子もなく、むしろ堂々とした足取りで歩いてくる。


「どうだった? 最合くん」嬉しそうに僕を見上げる咲沙さん。

「どうだったとは?」


「丁って大人しい顔してるけど熱いからさー、同志見つけてウズウズしてたし」

「同志って、そんな大層なものじゃ」


 やんわりと否定してみたが、しかし咲沙さんは柳眉をひそめて言った。


「もー手遅れ。洗脳されるから」

「洗脳? なんて仰々しい響きを」


「あたしも最初はタイトル知ってるーくらいだったんだけどさ。それを丁に知られたのが運の尽き。今じゃセリフぜーんぶ空で言えちゃうの」


 想像を絶した発言に僕はたまらず町田さんを見た。誇らしげな顔で腕を組んでいた。


「運の尽きっていうのは気に障るけど。いい傾向だね」

「ほらこーいうこと言う。あたしも色々仕込んだからおあいこだけどさ」


 咲沙さんが「にひひ」とでも言うように口元を綻ばせ、町田さんから梶来くんに目線を転じる。


「梶来と最合くんのおかげであたしの負担減りそー、やりー」

「何言ってるの。包丁はしっかり研がないと、折奈」


「町田の言う通りだ。咲沙お前どうせ暇だろ」

「はー? 暇じゃないんだけど! むかつくー!」


 和気藹々とした微笑ましい友情を眺めていると、どうやら僕は咲沙さんのぷんすかの矛先に立ったらしく、やや怒った風で言われた。


「ちょっと最合くんもあたしが暇人だって思ってんの? そうでしょ、ニヤニヤしてー」

「ああいや、咲沙さんも町田さんもお互いのことが好きなんだなと思って」


 僕の反応は場にしばしの沈黙を生みだした。


 心なしか咲沙さんの頬が赤らんで見える。チラチラと町田さんと僕を交互に視界へ収めながら口をふにゃりと結んでいた。


「どうなの? 折奈おりな

「えっ、あたし? いやー、ストレートに言われるとさ、ほら」

「私は好きだよ。折奈のこと。折奈は違う?」

「だからさそんな風に……言われるとぉ」


 人差し指を突き合わせながら照れる咲沙さんの声は、尻すぼみとなりやがて消えた。僕達は揃って回答を待った。


 やがて顔すらも伏せてしまった咲沙さんは、数拍の間を置いてから勢いよく顔を上げ、真っ赤っかな顔で控えめに、けれども力強く叫んだ。


「なにさみんなであたしのことからかって! あほたれー!」


 小走りで戻っていく咲沙さんの姿を見送ってから、


「可愛いよね」「全くだ」「同感だ」


 異口同音に心を一つにした僕達三人は、誰からともなく歩き出し部屋へ戻った。

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