〈28〉こうして出会ったのもなにかの縁

 普段やらないことをやろう、と考えた時に真っ先に浮かんだのは町田さんの姿だった。自身の興味に素直で、身を任せているようでいてしっかりと手綱を握る毅然とした精神を、僕は思い浮かべた。


 彼女のように自分の欲求を隠さないことから始めよう。ということで、行き先をギャルのこしかけに定めた――直後、左から右へ移動する巨大なサメを視界に捉えた。なんと背中にメイドを乗せている。推進力はパンダときた。距離が遠く確信は持てないが、銃も携えているように見えた。サメとメイドと銃とパンダ、メインは一体どれになるのであろうか。


 是非間近で拝みたいという欲求に駆られた僕は、そのまとまりないカルテットを追いかけることにした。叶うならばメイドさんとチェキの一つでも撮りたいところだ。そんな大胆なことを考えた。


 人の多さに追跡は困難を極めたが、僕の中に生まれたツーショットへの渇望は気力と体力を青天井まで引き上げる。もしかすると文化祭で浮かれたメイドさんがほっぺにちゅーをしてくれるかもしれない。いや、そうに違いない。遠目に見ただけだが、乗っていたメイドさんは小柄で可愛らしいシルエットだったし、いざという時はしゃがんで位置を合わせてあげなければ。こうして僕は気遣いの出来る男性に一歩近付いたのだった。


 距離の縮まらないサメに必死に食らいつき輝かしい未来を求めていると――上からなにかが落ちてきた。


 落ちてきたというより、降りてきた。


「ふう。しつこい部下を持てて私は幸せ者だ」


 柔らかな動作でふわりと着地したメイドさんは嬉しそうな声で言って、身体を反転させると校舎を見上げた。視線を辿ると二階の窓から身を乗り出し鬼のような形相で謎言語を叫ぶ、部下と思しきメイドさんの姿がある。


 まさかとは思うが目の前にいるこの人、二階から飛び降りてきたのだろうか。


「頼んだ。私はスカウトの旅に出る」と、メイドの長が二階へ手を振る。


 それにより怒りが閾値を超えたらしい二階のメイドさんは、大きくのけ反ってから豪快に深緑の丸い物体を投擲した。しかし制球力は無いらしくメイド長ではなく僕目掛けて飛んでくる。空気抵抗でラフランスのように間延びしたそれは、誰にも当たることなく地面にぶつかり破裂した。何かと思えば水風船らしい。


「行こうか」


 メイド長がそれだけ言って、僕の手を引き中庭とは反対方向、つまり僕が辿ってきた道のりを逆走する形で歩きはじめる。


 ああ、ギャルのこしかけが遠ざかっていく。未練たらたらに手を伸ばす僕の頭に、水風船がぶつかった。



「私はメイド長という立場にいるけど、その恩恵を受けながらも責任だけはちゃっかり切り離しているんだ」


 濡れた帽子を乾かそうと窓辺に立つ僕の背中を押しながら、メイド長は喋り始めた。


 いま僕達がいるのは第二校舎の先、埃臭い建物の一室である。日陰者調査団の部室から二つ隣、主に衣装類が保管されている部屋だ。ここで制服の予備を発見しいざという時の為に拝借して、部室に置いていることを思い出した。


 帽子とネックレスを窓の桟に引っ掛け、メイド長に面を向く。彼女は凛とした顔に童心を混ぜ、微笑みながら僕を見据えた。


「ロバート・R・マキャモンの少年時代は読んだことある?」

「ありません」

「そうか。ま、私も読んでないんだけどね」

「どういうことですか……」

「雰囲気出るかと思ったんだよ」


 くるりと回ったメイド長は、次いで変なポーズをする。この人が何を考えているのか全く分からないし、もしかすると何も考えていないのかもしれない。美人なメイドさんに手を引かれて逆らえる者など存在しないとはいえ、深く考えず付いてきた僕も似たようなものか。


 それに、根本的な部分で僕はこの状況を受け入れているのだろう。


「僕は振り回されるのが好きなのかもしれない」

「いいことを言うね。人に言える以上は立派なことだよ」


 梶来さんの教えを早速実践してみると、頭の中でなにかが噛み合う感覚があった。当て所無く彷徨っていた無意識の欠片が繋がり、それはまるでジグソーパズルのようで、組み上がった物にははみだすくらいでかでかと絵が描かれている。それが腹の辺りに熱を送り込んでくる。身体が軽くなったような気がした。


「口に出せと学んだので」


 僕がそう言うと、メイド長は僕に背を向けた。


「他人に振り回される様は傍から見れば意思が薄弱であるように映るかもしれないけど、私は逆だと思うね。主体性の無い人間はそもそも他人に振り回されたりしない。自分で自分を振り回しているんだ。それを他人の所為にしたいだけ。他人に選ばれるのは強い人間だよ。弘法筆を選ばずなんて言うけれど、人を振り回す奴は総じて未熟だから筆はきっちり選ぶものさ。自分に足りない物を心得て割り切っているだけで、その違いが人によっては眩しく映るだけだ」


 メイド長は唐突に長広舌をふるい始める。一切の淀みなく次々と、継ぎ継ぎと。


「自己を強烈に肯定できる人間は自身を揺るぎない基準として物を選ぶ。そのお眼鏡に貧弱な筆がかなうだろうか。答えは否だとここに断じよう。選ばれるのは、選んだ者と同様に丈夫な物だろうね」


 そういうことさ、と締めてから微笑した。


 意思が弱いのではなく、強いから巻き込まれる。そんな風に、メイド長は人の弱さを肯定した。


 彼女の考え方は、人という存在に好意的で前向きな、ともすれば楽観しているとも取れる極端な論理だ。詭弁だと鼻で笑う人も、当然いるだろう。


「メイド長は……なんていうか、人を信じてるんですね」

「そんな大層な物じゃないよ。人をいちいち区別するのが面倒だから一元化しているだけさ。そもそも私は、譲れない信念とか守るべきプライドとか、そんな崇高な物を持ち合わせていないんだ。その場のノリで話すだけ。それっぽいことを言ってるだけだから真に受けると痛い目みるよ」

「それは……罪深いですね。案外人の心に響いたりするんですよ、そういうのって」


 何気ない一言が宇宙人の姿をしていた。人間関係が決して豊かでない僕でも経験したことがある。ふと、梶来さんの主義は自分のみならず他人にも良い影響を及ぼすのかもしれないなと思った。


「こうして出会ったのもなにかの縁だ。一つ私に振り回されてはくれないかな」

「何をするんですか?」


 不敵に口辺を歪めるメイド長からの回答は、この上なくシンプルなものだった。


「好きにやるさ」

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