〈15〉重なり合う不一致
「ごめんなさい梶来くん。服汚して」
「いいよ別に。町田が謝ることじゃないだろ。それよりさ、町田って咲沙と仲良いのに教室じゃあんまり話さないよな。なんでだ?」
「独り占めしちゃ悪いから。私、折奈が好きな物のこと詳しくないし」
部屋を出された僕達は階段で一階まで下り、カウンターの前にある休憩用と思しきスペースで雑談をしていた。白の丸テーブルを中心に正三角形を描くようにそれぞれ位置している。余談だが僕はこの時はじめて三階の部屋に案内されていたことを知った。
「咲沙さんが好きな物? 二人は趣味が合うんじゃないのか」
僕がそう訊くと、町田さんはわずかに首を振った。
「合う部分もあるってだけ。折奈は映画とかドラマの方が見るし。他にも服とか爪とか、あとは流行の色々」
「なるほど。つまり町田さんの人柄が好かれているわけだ。凄いことだ」
例え共通点が少なくとも人柄で友人を作れるというのは、人に誇っていいように思える。
町田さんは一瞬間だけ驚いた顔をして、すぐに見慣れた無表情に切り替えた。
「まあね。折奈に甘えてるだけかもしれないけど。あの子、優しいから他人を拒まないでしょ。何しても笑ってるし。何でも楽しめるんだよ。だからたまたま好きな漫画が一緒だったってだけの私とも」
「町田」話の途中で梶来くんが割って入った。トーンを落とした重みのある声だ。
「そういう言い方やめろよ。『他人』とか『だけ』とか。きっかけなんてそんなもんだろ。あいつが仕方なくお前と付き合ってるって思ってんのか?」
「……ごめんなさい。愚痴を言うつもりじゃなかったの」
「あいつ嫌なことは嫌って言うだろ。まあ確かに誰にでも良い顔するから不安になるかもしれないけどな、あいつの人付き合いに裏表はねえよ。町田の方が咲沙と仲良いんだからそれくらい分かってるだろ」
真剣な表情で、ともすれば怒っているような口調でそう言った梶来くんは、町田さんから目を逸らさないままちょっとだけ意地の悪い顔をした。
「あー、分かったぜ俺。町田さ、拗ねてんだろ」
「……なんのこと?」
梶来くんが嗜虐的な笑みを見せ、町田さんは逃げるように顔を背けた。
つまりは拗ねているらしいのだが、何のことだか僕には分からない。拗ねるということは不満があるわけで、町田さんの不満とは一体なにか。
拗ねるという点において、僕の近くに優秀なサンプルがいることを思い出した。雨傘である。町田さんと雨傘を同列に並べて考えるのは無理があったが、僕に打てる手はこれくらいだ。
雨傘がいじけるのは、あからさまな誘導に僕が応えなかった時か。
その経験を下敷きにして、ここまでの動向を思い返していく内に、一つの答えに行き当たった。
「町田さんは咲沙さんから好きって言われたいのか」
口にするとえらくしっくりきたもので、正解だと確信する。
町田さんは絶句していた。さっきの咲沙さんとまではいかないが、顔が赤くなっている。
「ははは! 最合、それは言わないでやれよ」
「閃いたからつい」
僕達は揃って町田さんの次なる一言を待った。誤魔化しようのない程目を泳がせる町田さんはとても可愛らしい。
「……ぜ、全然違うから。ヤンデレとメンヘラくらい違う」
「可愛いとこあるな」
「同感だ」
好きな人から好きと言われたい、そんな当たり前の感情を町田さんは持て余しているのだ。おちゃらけた空気に持って行こうとするのも照れ隠しなのだろう。
まさしく可愛いの一言に尽きる。なんとしても叶えてあげたい。僕も骨身を惜しまず協力するからその瞬間に立ち会う権利が欲しいなと、そんな傲慢なことを考えた。
すっかり黙り込んでしまった町田さんを微笑ましく見守っていると、事態は急展開を迎えた。
「さっきの話、折奈に言うから」
「え? さっきの話って」
「覗きのこと」
「なんだと⁉ 話が違うじゃねえか!」
慌てて立ち上がる僕と梶来くん。非常にまずい流れだ。
「推しに恥じない自分でありたいと言っていたじゃないか」
「譲れない信念を持った人がナギちゃんのタイプだから」
「ま、町田ぁ! 待ってくれよそれだけは勘弁してくれなんでもする!」
「お願いだ町田さん、調子に乗ったことは謝罪する」
徐々に両手を地面に近付け、最上級の謝罪に移ろうとする我々罪人組は、現在この街で最も情けないだろう。こうなったらどこまでも梶来くんと進み続けるぞと覚悟した。
「せめて最合だけは助けてやってくれ! 俺が持ちかけただけでこいつはまだ何もやってねえんだ!」
梶来くんが、僕を庇おうとする。しかしそれを黙って受け入れるわけにはいかない。
「な、なにを言ってるんだ梶来くん! あの話を聞いた時僕は確かにパンツを見た。眩いほどの純白だ。あの光をキミと見たいと思ったんだ」
「最合……お前」
「キミとなら地獄からパンツを見上げるのも悪くない」
大切なのはどこで見るかではない、誰と見るかなのだ。僕は他ならぬ梶来くんと共にパンツを見たいと思う。だから、これでいいのだ。
僕達は熱く固い抱擁を交わした。掛け替えのない瞬間だった。例え堕ちた先が灼熱地獄であったとしても、僕はこの熱を忘れない。
「ずるい」と町田さんが言った。むず痒そうな表情をしている。
「……分かった、言わないから。狙ってやってなければだけど」
「狙うって、なにをだよ」
「なんでもない」
かくして何故か命拾いをした僕達は町田さんにあらゆる感謝の言葉を伝え、果ては胴上げしようとしてお断りされたものの、町田さんの顔から赤みが引いた頃にはすっかり元通りとなった。
それからはたわいもない話を繰り広げた。五分ばかり経って、部屋へ戻ろうという意見にまとまった。席を立ちカウンター横を抜け、角を曲がり階段を上ろうとすると、丁度下ってきた咲沙さんと鉢合わせた。
「咲沙さん。どうしたんだ」
「こっちのセリフでしょー。全然戻ってこないから心配したじゃん」
なんていい子なんだ、と言いかけて唇の裏に留める。梶来くんも町田さんも同様にしただろう。
咲沙さんはバツが悪そうにして控えめに笑った。
「ごめんねあたしもちょっと怒りすぎた。でもやめてよね、あれほんと恥ずかしいんだから」
頬を掻く姿が実にチャーミングで、この愛らしい存在に謝らせてしまった自分を恥じた。
「どうして折奈が謝るの。ごめん。調子に乗りすぎた」
「うう……ショックで週末映画見に行けないかも。買物もしたかったのに。一人じゃ無理かもなぁ、誰か一緒に来てくんないかなー」
「私でよければ付き合います」
「あははは! やったー約束ね!」
鮮やかな手腕で週末の予定を彩った、強かな咲沙さん。町田さんもどこか嬉しそうだ。
二人の仲の良さを改めて目前にすると、町田さんの望みが成就するまでの道のりと、辿り着く光景に僕が入る余地はないなと実感した。
三階へ上がり部屋までを歩いていると後ろから陽気な声が投げかけられた。
振り返った先には二人の女の子がいる。
「こんちわー! やっぱり咲沙先輩だ」
「お久しぶりです先輩」
一方は一直線に咲沙さんへ抱き着き、もう一方は礼儀正しく会釈をする。コントラストが美しい。
「おー元気してた? といってもちょいちょい学校で見かけるけどさ」
「たまには誘ってくださいよ」
かくあるべき先輩後輩の関係をじっと観察していると、梶来くんが補足してくれた。
「中学の後輩らしいぜ。俺も何度か会ったことある」
「すごいな。中学校にも後輩という存在がいるのか」
文化の違いをしみじみと感じながら観察を続けると、咲沙さんに抱き着いていた陽気な子が梶来くんを見て言った。
「梶来先輩もおひさです」
「おう。それよりここだと邪魔になるし中入ろうぜ」
「それじゃ私達も一瞬だけ」
陽気後輩は軽快な足取りで吸い込まれるように僕達の部屋へ入った。その後ろに礼儀後輩が続く。
新たなメンバーにクラスメイト達はざわついたが、
「こんにちはー咲沙先輩の後輩です。ちょっと話したら戻るんでお気になさらず!」
という陽気後輩の自己紹介があるとすぐに元の空気へと戻った。
二人の後輩は咲沙さんと町田さんの間に挟まるように腰を下ろす。あとは自然に世間話をしていたのだが、不可解なことが起こった。礼儀後輩が僕の顔をじっと見ているのである。
間違いなく今日が初対面であるにも関わらず、礼儀後輩らしくない不躾な視線だ。
たまらず僕は町田さんに目顔で助けを求めた。すると町田さんは目を逸らした。無念。
「あの」礼儀後輩が話しかけてくる。
「もしかして普段雨傘と一緒にいる方ですか……?」
いきなり飛び出してきた我が後輩の名前に驚き、僕は上手く言葉を返せなかった。パラダイスを暴かれた際の梶来くんくらい動揺した。
しかし年上である以上みっともない姿を晒し続けるわけにいかず、大慌てで会話を繋いだ。
「そ、そうだけど」
「やっぱりそうでしたか」
「雨傘は僕の唯一の後輩だ」
恐らくだが年上は会話のリードをするものである。その思考から徐々に平静を取り戻した僕は、必死も必死で会話を引っ張る。
「雨傘のクラスメイトなのか? キミは」
「はい。話したことはないんですけど」
「意外に愉快な奴だ、出来れば話してやってほしい」
「愉快……確かに」
頷く礼儀後輩の姿に会話の糸口を発見し、意外とやれるものじゃないかと高笑いしたくなった。
「なにか愉快なエピソードが?」
「え、ああ。さっき雨傘を見たんですけど、確かに愉快な集団だったなと思って」
「……集団? 詳しく聞かせて貰えるか」
あの群れをはぐれた一匹狼が集団だって?
「詳しくって程は知らないですけど、なんかバーに居ましたよ。甚平の人と小学生と一緒に。あとスーツにお面被った変なおじさんも。親戚の集まりだとかで」
なんだその珍妙な軍団は。親戚にそんな変わった人達がいるなどという話は聞いたことが無い。それになにより、雨傘はバーだとかカフェだとか、お洒落に大別できる空間を蛇蝎の如く嫌っているのだ。仮に親戚が相手なら、あの我儘小娘が素直に従うはずはない。
「場所を教えてもらえるか」
「え……あ、符葉通りのスタバから映画館のある方に曲がった所です。ぷらあなっていう」
ありがとう、と告げて僕は立ち上がった。
そこで陽気後輩が会話に混ざってくる。
「なんか危なそうでしたよ。悪いことやってんじゃないかって思っちゃって」
「雨傘はそんな奴ではない」
自分の財布から取り出した樋口一葉をテーブルの上に置き、梶来くんに言う。
「すまない梶来くん。僕の鞄を頼めるか?」
「は? そりゃいいけど、なにすんだよ」
「僕はこれで失礼する」
荷物を梶来くんへ託し、僕は急いで部屋を出る。階段を駆け下り、外へ出たと同時に全力で走った。
あの小娘、まさか変なことに巻き込まれてはいないだろうな。
僕の胸には奇妙な熱い感覚があった。
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