【14】私は強い子、優しい子

 空から落ちてくる陽射しなる夏の塊に体力を持っていかれた私は抵抗を止めました。カラオケボックスへ入店した際、冷房こそが人類の結晶だと痛感しました。


 ようやく解放されると思ったのですが、バカヤロウ共は私を架け橋にしたそのままで手続きを済ませ、階段で五階まで上がったのです。階段を上らなくて済んだのは嬉しいことですが、背骨がへし折れそうになったので収支はマイナスで間違いありません。


 私が自由を取り戻したのは部屋に入りソファに下ろされてからでした。まずは身体を伸ばし五体満足に感謝して、それから利き手ではない左の拳を握り、三人に猫パンチをお見舞いしてやりました。恋寺さんはお腹、京塚さんもお腹、音矢くんは頭に。これは身長の関係でこうなっただけの平等なものであり、個人的怨恨は一切含まれておりません。


「精神的苦痛による損害賠償を請求します」

「殴っておいてたくましいなあ。分かりやすくて好きになってきたよ」


 嘆息する音矢くんはソファに座って京塚さんを見ました。


「任せたまえ。私は若者への投資を惜しまない性分でね、見返りは勝手に貰うから好きなだけ食べて飲んで騒ぐと良い」

「えっ、好きなだけですか」


 とたんに私の脳内はめくるめくカラオケフードの数々で一杯になりました。「学生の本分は人付き合いである」と標榜する両親のおかげでお小遣いは毎月イチマンエンもの大金を頂いてますが、だからといってカラオケフードを好きなだけ食べるなんて暴挙は犯せません。本当に必要かどうか考えることをしなければ、折角の好意は紙くずへと成り果てるのです。


「音矢くん一緒に選びましょう。私はパンにアイスが乗ったものを食べたいです」


 しかし奢っていただけるのであれば遠慮はしません。私は卑しい人間なのです。

 注文用の端末を操りながら、移り変わる写真付きメニューにいちいち心踊らせていると、恋寺さん達の会話が聞こえてきました。


「京塚、喉乾いた」

「ドリンクバーがある。私の分も注いでこい」

「嫌だ。お前が行け、趣味だろ。お節介」

「私は若者専門だ。成人は自分でやれ」


 口喧嘩が始まりましたが対岸の火事です。喧嘩できるのは仲が良い証拠、ということで私はハニートーストをタッチして注文しました。音矢くんはフライドポテトと枝豆という渋い子供でした。


 ああ、早く届かないかしら。私は甘い物が好きなのです。卵焼きを作る際も砂糖を多めに入れるのが雨傘流です。


 ウキウキする心を優しく撫でながら、カラオケ店ならではの王道を外れた甘ったるいハニトーを心待ちにしている私でしたが、ふと本来の目的を思い出しました。


「丸め込まれるところでした! 私は先輩を探しに来たんですよ!」

「うわっ、いきなり大声出さないでよ。もういいじゃないか、普通に楽しもうよ」


 選曲中の音矢くんがそう言いましたが、私の普通は先輩を光の世界から助け出してから訪れるもの。こうしちゃいれられません。私は意気揚々に起立しました。


「音矢くんも一緒に来てください。一人じゃ心細いので」

「小唄お姉さんの子守はぼくには荷が重いね。恋寺、言い出しっぺなんだから行ってよ」

「もちろん。さあ行こうかお嬢さん」


 悩みましたが恋寺さんは背が高く盾としての実績がありますし、先輩方の顔を知っているので……良しとしましょう。私と恋寺さんは二人で部屋を出ました。


 ここからが大変です。どこに先輩達がいるのか見当もつきません。


 近くの壁にあったフロアマップによると、私達のいるカラオケボックスは五階建てで、各階十五前後の部屋があるみたいです。その内大人数を収容できるであろう部屋は二つか三つずつでした。つまり五階から順繰り覗いていけば発見安心一件落着。階段の上り下りを除けば大した手間は掛からずに済むようです。


 という旨を恋寺さんにも伝え、まずは五階の大部屋を覗きに行きました。背徳感にゾクゾクします。


 ここで忘れてはならないのが、先輩達の軍団と鉢合わせるリスクがあること。万が一にも先手を取られる形で顔を突き合わせる事態は避けたい所です。心の準備が必要だからです。


 私は恋寺さんの背中にぴったりくっついてで存在をなるたけ薄めておりました。


 やがて辿り着いた一つ目の大部屋を前に、胸の高鳴りがドキンドキンからドキンコドキンコへと一音足されます。


 ドアに設えられた縦長のガラス、そこに施された模様の隙間から、恋寺さんが内部を窺いました。


「いないね。次へ行こう」

「ふぅ。緊張しますね」


 それから空振りを繰り返し、その度に若干安堵しつつ三階までやって来ました。折り返しという分かりやすいチェックポイントが迫っていたので気を弛めそうになりましたが、ここで恋寺さんの言動が変化します。


「いたよ。寝癖の王子様」

「ほ、ほんとですか?」


 恋寺さんの脇元から首を出し中の様子を覗き見ます。そこには確かに、尾行中見かけた顔ぶれがありました。角度を変えて奥を確認すると、そこには先輩の姿が。私を差し置いて楽しそうにオトモダチと話しています。光と影が手を取り合い共存する光景に愕然としました。


 ぐぬぬぬぬ。私の歯が丈夫でなければ粉々に砕け散っていたことでしょう。奴め、だらしない顔で何を喋っているのやら。どうせ私のことなんて頭の中からすっぽり抜け落ちているのよ! 向かいのあれがオタクに優しいギャルか!


 私は壁にべたりと張り付き身を隠しました。


「とりあえず混ぜてもらおう」


 とドアに手を掛けた恋寺さんの腕を掴み、私は首を振ります。


「いいんです」そして、はっきりと発音して言いました。


「戻りましょう」

「……分かった。そういうことね」


 あっさりと受け入れた恋寺さんと一緒に大部屋を離れ、階段を上がっていきます。


 途中で私の頭を撫でるように恋寺さんが手を置いてきましたが、私はそれを払いました。


「素直じゃないねお嬢さんは」

「私は誰より自分に素直です」


 心底腹が立ったし、同時に途方もない寂しさが私の心をズタズタに切り裂こうとしましたが、追っ払ってやりました。


 私は強い子。先輩が楽しそうなら、それでいい。あくまで私は先輩が陽キャ軍団による辱めを受けていないか心配で、様子を見に来たにすぎませんから。


 それに嫌われたら嫌ですし。私が先輩に、はもちろんのこと、先輩があの場にいる人達から悪印象を抱かれるのも許せません。


 だからこれでいいのです。


 というのは冗談で、ただハニートーストを食べたくなったから見逃してやっただけなので、先輩は知る由もないでしょうが勘違いしないように。


「そんなに寂しそうな顔をするなら混ぜて貰えばいいのに」

「してません。しつこいですよ」

「私は恋の神様だ」

「改めて言いますけど、私にとっての先輩はお友達です」


 堂々巡りを避けるために私は恋寺さんより前に出て、駆け足で部屋へと戻りました。扉を開けると真っ先に飛び込んできたのが、テーブルに置かれたハニートーストの姿。真ん丸のバニラアイスが甘ったるい汗を垂らしています。顔を近づけてみるとバターに蜂蜜の香りが食欲を刺激してきました。


「ありがとうございます京塚さん。いただきます」

「召し上がれ。用は済んだみたいだね」


 ナイフで耳の部分をカットしてフォークを突き刺し、アイスを付けて口へ入れると極上の味がしました。おいしーです! 私は休みなくハニトーを口へ運び続けました。


「なんかヤケ食いに見えるなぁ。恋寺、小唄お姉さん大丈夫なの?」

「大丈夫さ。たぶん」

「おいしいです! おかわりはありますか!」

「ぼくにも一口ちょうだい」

「超嫌です」


「ケチ」音矢くんが唇を尖らせましたが、とんでもない、私は心の広い大人の女性です。


 完食を目前にして少し間を置こうと手を緩めたとたん、恋寺さんが言いました。


「まあ、でも良いんじゃないかな」


 視線から察するに私へ向けられた言葉のようです。

 また変なことを言うつもりでしょう、無視無視――


「あんなつまらない男にこだわらない方が」

「は?」


 私は机を叩いて立ち上がりました。目の裏側に熱の塊が突き上げて来る感覚があります。


 ブッ飛ばしてやろうか!


「見たら分かるさ。あいつはつまらない――」


 言い終える前に、それ以上を形にするより早く、私は、手元にあったコップの中身を恋寺さんに向けてぶちまけました。


 びしょ濡れとなった姿を見ても、清々しいとはわずかも思えませんでした。


「帰ります」


 それだけ言って私は部屋を出ました。

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