〈26〉いずれ嫌でも背が伸びる

 襲撃犯の一人として実行委員に取り押さえられようとしたその時、奇妙な光景を見た。


 どこからともなく現れたサメの着ぐるみを纏う集団が、僕と、サメの親分である梶来さん(仮)を救い出してくれたのである。実行委員を羽交い絞めにして動きを封じ「逃げろ」と促してくる。


 サメの直撃を受けてなお立ち上がった実行委員長が忌々しげに言った。


「なんのつもりだお前ら! これ以上問題を起こすな!」


 すると着ぐるみの一人が反論したのだが、声を聞く限り中身は女性のようだ。


「悪いのはあなたでしょ! 梶来さんがどれだけ今日を楽しみにしてたと思ってんの!」


 怒気の籠った声に続き別の着ぐるみが声を発する。こちらは男らしい。


「そうだそうだ! 梶来さんとの約束が最優先だろうが! てめぇそれでも男か!」

「なにが実行委員だそんなもん俺が代わってやるわボケ!」

「学校で私事より優先すべき仕事なんかねえわ! バイトでもやっとけこのアホタレが!」


 実行委員という面倒事を引き受けてくれたことへの感謝は各々持っているのだろうが、それ以上に僕の与り知らぬ事情があるようだ。


「言いたいことはそれだけか…………うるせえんだよっ! そこまで言うなら今すぐ代われ!」


 ついに堪忍袋の緒が切れた実行委員長とサメの着ぐるみが取っ組み合いの喧嘩を始めた。おっかないので僕は帽子を目深にかぶり直し、身を低くしてそっと離脱を試みる。そこで肩を叩かれた。


「や。ごめんね巻き込んじゃって」

「梶来……さん?」

「うん、そう。三年の梶来。君は?」

「二年の最合もやいです」


 騒ぎの渦中にいるべきである梶来さんが、争いとは無縁だと言わんばかりに純真無垢な微笑みを見せてくれた。恐ろしい物を見た気がする。


 僕は一度実行委員長の方を見てから言った。


「いいんですか?」

「いいよ知らない。怪我はない?」

「平気です。まさか突っ込むとは思いませんでした」

「威力が増すかと思って」


 あの一撃には相当な恨みが込められていたことを知り、僕は女性の恐ろしさに身震いしそうになった。もし雨傘を本気で怒らせたらあのような報復をされるのだろうか、勘弁願いたい。


「お詫びになんか奢るよ。だから愚痴聞いてくれない?」

「構いませんよ。自慢じゃないけど慣れてますから」

「彼女だ」

「違います」


 梶来さんの後ろに付いて人だかりを抜け、伏し目がちに元来た道を引き返していると、梶来さんがなにかにぶつかった。そのなにかとは、頭部がたこ焼きの実に奇怪な生命体だ。その背中に頭をぶつけたようである。


 葉土高校の制服かつ僕と同じく夏服を着ていてわずかだが親近感を覚えた。


「た、たこ焼き星人だ」

「うわっ、なにこいつ」


 たこ焼き星人が振り返ろうとして、びくりと肩を震わせ動きを止めた。


「あーごめんね。よそ見してた――ってちょっと!」


 果たして効果はあったのかと疑問を抱く程の一瞬だけたこ焼き星人はこちらを見て、梶来さんの声が慌てたものに変化したのと同時、モノスゴイ速度で走り去っていった。恐ろしいモノを見た、とでも言うような、そんな感じである。


「なにあれ。私を見てソッコーで逃げてったんだけど……いや、なにあれ。腹立ってきた」


 この人追いかけていきそうだぞ、と経験に基づく直感から僕は梶来さんの前に出て気を逸らそうとする。勝手気ままに周囲を振り回しそうな人という印象を僕に与えたこの人が、仮に梶来くんの姉だった場合、聞いた話も得心がいくというもの。もしここに梶来くんがいたらどのように捌くのか気になった。


 僕の目論見は成功の一途を辿り、新たなる火種を刈り取った勢いのまま校舎へは戻らず中庭を目指すことにした。外の方が気分も晴れるだろうと思ったからだ。


 未だ苛烈を極める男の戦いから離れてゆき渡り廊下を横断すると中庭に到着した。二つの校舎に挟まれる普段は見向きもされない空き地だが、文化祭となれば話は変わる。


 片側の辺には校庭と同じくテントが並んでおり、対面には謎のオブジェや真っ黒な天幕に覆われた如何にも怪しいスペースなど悪ノリを形にした様々が構えている。何より気になったのは列の端にひっそり佇む「ギャルのこしかけ」という文字だけでも人を引き付ける吸引力の塊だ。なんだあれは、SM倶楽部かなにかか。


 叶うならば頭から突っ込みたいところであったが、梶来さんは既に近くのテントへ流れていた。中の生徒といくらか言葉を交わした後、両手にペットボトルを持って戻って来る。


「はいこれあーげる。自作なんだって」

「自作……?」


 ラベルを確認してみると、今まで見たことのないデザインで「そりゃそーだ」と書いてあった。梶来さんは僕の顔をじっと見つめて動かない。僕はそれを様子見なのだと察したが中々踏み切れずにいた。事態は根競べの様相を呈し始めたが、梶来さんに「美味しい?」と急かされ観念した。


 見た目は炭酸水そのもので、この無色透明が不安の種を発芽たらしめる。深呼吸の後に意を決し、僕はそりゃそーだを一口飲んだ。


「普通の炭酸水だ」

「そりゃそっか。変なのだったら弟に持ってってやろうと思ったんだけど」

「僕を実験台にするのはやめてくださいよ」


 それから袋詰めのクッキーも入手して、ギャルのこしかけに後ろ髪を引かれながらも中庭を離れ、教員用駐車場のそばにある池まで移動した。しゃがみ込み水面を覗き込む梶来さんに倣って、僕も隣で鯉を眺めた。


「最合くんのクラスはなにやってるの?」

「SM倶楽部です」

「は?」


 間違えた。僕は思考のチャンネルを切り替えて訂正する。


「冗談ですよ。レモネードか何かを売っているんじゃないですか」


 事情を説明しようにも僕自身理解の及んでいない部分がほとんどだったため、去年の記憶から引っ張り出して回答した。


 すると梶来さんはさして興味も無さそうに相槌を打った。


「ふーん。最合くん、文化祭ってあんまり興味ないの?」

「まさか。楽しいですよ、サメに乗る機会があるとは思ってもみなかったので」


 梶来さんが僕を見る。答えがお気に召したのだろうか、口角がみるみる吊り上がりほのかに喜色が差した。


「大事だよ。大切なことは口にしないとね。言葉にしてはじめて気付くことってあるでしょ? 感情なら尚更だよ」

「そんなものですかね」


「特に前向きなことはね。楽しいとか好きとか、そういうの意外に見落としがちなんだよ。大人に近づいていくとさ。感情を外に出すことって恥ずかしくなんかないのにね。私はまだまだ子供だから、思ったことは全部言う」


 確固たる自信のもとに自身の考えを言い切る姿は凛として、けれども確かに幼さが残る可愛らしいものだった。感情的であることに理屈を伴わせているところが雨傘とは違うな、とも思った。


「私ね、あいつのこと好きなの」


 梶来さんが、不意打ちでそんなこと言う。

 それはどこまでも実直な宣言だった。


「どういうところが好きなんですか」

「顔。あとは憎まれ口ばっか叩くけど、結局優しいとこ。子供とかお年寄りにも優しいし」


 梶来さんは指先を水につけて揺らめかせながら続ける。


「それにあいつと喧嘩するの楽しいんだ。勝手かもしれないけど」

「……分かります。楽しいんですよね、ほんと」

「でもいつも喧嘩ばっかじゃ悪いからさ、今日は優しくしようと思って……一緒に回る約束したの。だけど忙しいからやっぱ時間取れないって」


 そういうところも好き。梶来さんの声が柔らかくなる。


 僕程度では込められた気持ちを理解することは出来なかったが、愚痴の相手に選んでもらった以上何か言うべきだと思った。


「頭で分かっていてもってやつですか」

「そうなの。理屈では分かっててもムカついた。さっきの話に繋がるんだけどさ、学生時代は思う存分感情を発散した方がいいと思うんだ。出し方を知らなきゃ扱い切れないでしょ?」


 感情に説明書は存在しない。正しい扱い方なんて人それぞれなのだから、若い内にその全容を掴んでおくべきだと、掴もうとしておくべきだと――梶来さんは語る。


 いずれ嫌でも背が伸びる。背伸びをするのは勿体ないと、そんなことを言った。まずは等身大を見つめるのが学生らしさなのだと、そう言い切った。


 彼女は自分のやり方で、ともすれば不器用に、恋をしている。


 真っすぐな恋心とはこんなにも心を揺さぶるものなのか。


 あくまで彼女の信念であり、他人に強制するものではないと分かっているが、僕もそうしてみたいと思わされる。


「勉強になります」

「ワガママでしょ」

「魅力的ですよ、すごく」


 梶来さんは顔をこちらに向けて小さく笑った。喜怒哀楽を素直に表へ出す人だから、僕も素直に受け取れる。


 いま僕は綺麗な部分しか見ていない。怒りや悲しみが自分に向けられた際同じ風に思えるかは分からないが、感情を剥き出しにできる異性が僕のタイプなのかもしれないと、そんなことを考えた。


「告白はしないんですか」

「しようとも思ったけど……やっぱあいつからしてほしい。私を好きになってほしい。私を好きだって言ってほしい」

「そういうものですか」

「私が恥ずかしくなるくらいのやつがいいな。一生忘れられないようなやつ。あとは強引さも欲しい。言葉はストレートなので」


 流石我儘を自称するだけあって注文が多い。実行委員長が梶来さんに好意を抱いていたとして、この難題の回答を導き出せるのだろうか。少なくとも僕だったら無理だ。


 難儀なもんだなぁと心の中で同情していると、立ち上がった梶来さんは気持ち良さそうに伸びをした。


「話したらスッキリした! もう一発食らわしてこよっかな。サメもう一匹いるし」

「またやるつもりですか」

「せっかくの文化祭だもん。最合くんも大いにはしゃぎなさい。無茶したり、普段やらないようなことやってみたりね」


「それじゃね」と小走りで去っていく姿を、僕はクッキーの包み紙を開けながら見送った。

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