第32話 角兎

 クロードは、以前のハクトと同じようにツナギ状になった防具の上半身をはだけさせていた。

 赤い川の中に足を踏み入れて、底をあさる。

 やがてハクト達が捨てたエッグを拾い上げると、それにかじりついた。


「……本当に、クロードなのか」

 ハクトはその様子を目で追っている。


「そう言ったじゃないか。ひどいな、たったひと晩でこの僕の顔を忘れたとでも言うのかい。なあハクト、君にはまずお礼を言わなくちゃならない。君がヒントをくれたんだ。そう、エッグを食べるってことさ」

 クロードは微笑みを浮かべながらもうひと口エッグをかじった。

「こんなもの瘴気の塊じゃないか、口にしてただで済むはずがない。普通はそう思う。僕もあの怪物に殺されかけなければ、手出しなんかしなかったと思う」

 彼は残りのエッグのひとかけらを口に放り込んで、両腕を広げてみせた。


「試して見たらこの通りだ。エッグを食べた時には想像を絶する苦痛に襲われたし、正直このまま怪物になってしまうものだと思ったけどね。まあ、それも僕なりのフィナーレかなと覚悟もした」


「……その苦痛のなか、意識を保ち続けたのか」

 意識を喪えば、そのままバニーになっていたはずだ。


「どうだろう、よく分からないな。けれど自分のフィナーレなんだから、最後まで見届けよう、とは思っていたかもね。で、気付いたらここにいた。怪物になるどころか、傷も治ってすこぶる調子がいい。こうして高密度の瘴気に触れているのに、どこまでも力が湧き出てくるみたいなんだ。実に素晴らしい身体だよ、これは。ああ、いや。ハクト、大丈夫。僕はちゃんと覚えているよ――」


 クロードは人差し指を立てて軽く振った。

「そう、ワーバニー……この身体を、ワーバニーって、呼ぶんだよね……?」


「……!」

 ハクトは無言でリッカの方を見た。

 彼女は眉根を寄せてクロードをにらんでいたが、やがて口を開いた。

「……完全に人格を残している。どうやら、あの男は自力で新しい命を選び取ったらしい」

「じゃあクロードも……あいつが言う通り、ワーバニーになったのか……!」

「そう考えるしかない」


 リッカは単車を下り、川の中に立つクロードを見下ろした。

「……こうして顔を合わせるのは初めてだな、クロード・マコーリー。わたしはリッカ。ハクトの師匠だ」


「ふうん……その姿、つまり彼にワーバニーのことを教えたのは、君か」

 クロードは柔和な表情でリッカを見返している。


「弟子が世話になったようだな。いつか礼を言わなければならないと思っていた」

「怒っているのかい? 他人のために腹を立てるなんて大変だね。そもそもこれは僕と彼との問題なんだし、僕は自分の方が充分悪いと思っているんだ。怒られる筋合いなんてないと思うな」

 と肩をすくめるクロード。


「お前がハクトにしたことは全てギルドに知られている。彼を陥れてまで得ようとした地位や名声はもはや望むべくもない。その上でお前はその人にあらざる命をどう使う? お前がワーバニーという道を選んだ遠因はわたしにある。あのまま人として命を落としていた方がまだ良かったとお前が後悔しているなら――」

 リッカが一歩前に出た。

「わたしが今ここで終わらせてやるぞ」


「……確かに、僕が人として栄誉を得ることはもう叶わないだろう。全く、必死にギルドへ巨大エッグを持ち帰ったことがまるで遠い昔のことみたいだ。でもまあ、先のことはハクトを殺してから考えることにするよ。僕はまず、約束を果たさなくてはならない。なあハクト、そうだろう?」


 ハクトはリッカの肩に手を置くと、黙って彼女に並んだ。

 クロードの言う通りだ。この因縁は、ハクトがケリをつけなくてはならない。


 彼の視線の先で、クロードの立っている場所の川面がざわりと波立った。


「それに僕が後悔、だって? ありえないよ、そんなのありえないとも。言っただろう、この身体は素晴らしい。エッグも、バニーも、この瘴気も、このワーレンの全てが僕に力を与えてくれるッ!」


 川面が赤く輝き、ざわざわと波立ってクロードを取り囲んで渦を巻く。


 何だ?

 マークではない。テリトリーを展開しているのではないようだ。


「実に稀有なことさ、獲得し続けるという行為はね。獲って獲られて、世界はとかくゼロサムゲームだ。一方的に、徹底的に、ただひたすらに奪い獲るこの充足感というのはッ! そうさ、かりそめの栄誉に浴することなんかより遥かに僕を充たしてくれるッ!」


 川面に生じた渦は、クロードのいる場所に向かって流れを作っているようだ。

「……師匠、あれは……?」

 ハクトがリッカの方を見るが、彼女も首を振った。

「分からない……だが彼岸ノ血でできた川をよく見てみろ」


 言われてみれば、川幅が明らかに細くなっている。水深も下がっているようだ。

 クロードが、液状で流れる彼岸ノ血を取り込んでいるとしか思えない。

「吸収……している……」

「あの男、本当にワーバニーなのか……?」

 リッカがそう言って呻いた。


 クロードがこちらに向かって一歩を踏み出した。

 彼の足元にすでに水気は無い。

 そこに流れていた赤い川を、全て取り込んだのだ。


「これって――」

 ハクトは自分のいるネザー・ワーレンを見回した。

「ワーレンのエッグが大量に失われていたのは、クロードが自分の中に全部取り込んだから……?」


「つまり抑えを失って大量のバニーが地上に溢れ出たのも、この男が原因か。一晩でここまで彼岸ノ血の循環を乱れさせたとはな――恐れ入る」

 リッカは口の端を歪め、踵で地面を打ち鳴らす。赤いテリトリーが展開された。

「ハクト……クロードはもはやお前だけが倒すべき敵ではなくなったぞ!」 

「そうみたいだ……!」

 ハクトも地面を殴りつけた。彼のいる場所を中心に赤い円が広がる。


 クロードはさらに一歩を踏み出し、二人のテリトリーをおもむろに指差した。

「……それ、見たことがあるよ。ハクトが部屋で見せてくれた。僕の場合は、こう……だな!」

 彼は地面に膝を着くと、上体を反らせ思いっきり額を地面に打ち付けた。


 彼を中心にテリトリーが展開され、ハクト達のテリトリーと重なった。

「マーク……?」


「ふふ……分かるよ、これが僕の力が及ぶエリアだ」

 クロードの額が割れ、柔らかく笑う彼の顔を血で濡らした。


「気付くのに時間はかかったけど……バニーを殺せばエッグが生まれることを僕はこの場所で学んだ。この赤い光に包まれた状態でバニーを見ると、奴らのそれぞれに何かこう、“命の核”のようなものが視えるんだ。それを壊す。すると不死身のバニーも殺すことができるんだよ。なあハクト――」


 クロードの目が赤く光を放った。

「君にも、視えるね……その“命の核”が……!」

「……!」


「なあ君を殺せば、君からもエッグは獲れるのかなッ? そうしたら僕はそのエッグを食べよう! 僕は思うんだ、そのエッグを食べればッ! 僕はさらに充たされるんじゃないか――僕の全てがッ! 肯定できるんじゃあないかってねッ! 君もそうは思わないか、ハクトッ! ふふ、あはは……」

 膝立ちのまま、彼は勢いよく全身を仰け反らせた。


「あははは、あははははは、あーっはっはっはははああッ!」


 満面の笑みで喉を震わせて笑うクロードの割れた額が、赤い光を放つ。

 そこから、赤く輝く突起が伸びる。

 彼の額に、ゆるく湾曲した円錐状の突起――鋭い角が生えていく。


 ネザー・ワーレンに、クロードの哄笑が轟然と響き渡った。



つづく

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