第17話 出陣

 体重をかけて突き込もうとするクロードのナイフを両手で押さえ、ハクトは歯を食いしばって耐える。


 一か八かだ。


 ハクトは右手を外すと同時に顔を背けたが、数センチ押し込まれたナイフは彼の目の下の頬をかすめ切った。

 空いたハクトの右手は、床を思いっきり叩いている。

「マーク!」


 ハクトを中心として、赤く輝くテリトリーが円形に広がった。

「ッ?」

 ナイフの刃先が床板を貫く。

 驚愕に目を見開いたクロードの前に、ハクトはすでにいない。


 リープで移動した先は、クロードの横だ。


 全体重を乗せたドロップキックでクロードの顔面を蹴り飛ばす。

 部屋の扉の方へもんどりうって転がった相手を尻目に立ち上がったハクトは、部屋の窓を開け放った。


 窓から吹き込んだ風が、彼のフードをめくった。

 ハクトの長い耳があらわになる。


「な、何だ。何をしたんだ、ハクトッ?」

 クロードが蹴られた横顔を押さえながらうろたえた声を漏らす。

「それに……その、耳……? 何の冗談なんだッ?」


「……クロード。お前にワーレンの奥底へ落とされて、俺は瘴気の中で死にかけた。それでもこうして今も生きている理由がこれだ」

 ハクトはベランダの柵に足をかけ、暗い室内に座り込むクロードを振り返った。

「俺はエッグを喰って、人を捨てた。今の俺は、ワーバニーだ」


「ワー……バニー……?」

 混乱した様子のまま、クロードの表情に笑顔が戻る。

「エッグを……エッグを、食べただって? あはッ……」


 ハクトはベランダの柵を蹴って、向かいの建物の屋上に跳んだ。


 彼を追うようにベランダに出たクロードが愉快そうに笑い声をあげる。

「あは、あはははッ! 凄い、凄いぞハクト! エッグを食べた? あはは、君にそんなことができるなんて思いもよらなかったよ、でも信じる! 信じるとも! その姿と今の不思議な力を見せられて信じない訳にはいかないものね! そこまでして生き延びてみせたんだね、君はッ!」


 心底嬉しそうなクロードを、ハクトは黙って屋上から見下ろす。


「その執念、どうして僕と相棒を組んでた時に見せてくれなかったんだよ、そうしたら僕達、もう少し長くやれたかも知れないよ? ふふ!」

 と、クロードは開いた窓に手をかけた。

「……けどまあ、よく考えてみれば……こんな街中でやりあっても後片付けが大変だったよね。君の姿を見て、僕も少し気が動転していたみたいだ。そろそろ行かなきゃ。ワーレンでまたきっとまた会おうよ、そこなら後片付けの心配もいらない。もちろん、君も大探索に行くんだよね?」

「……」

「ハクト、僕は君のことをすっかり見直したんだよ。だから決めたよ、僕も全力で――」


 喋りながら窓を閉めるクロード。


「君を殺す」

 閉じられた窓の向こうで、彼の唇がそう動いた。


 ハクトはフードを被り直し、自室に背を向けた。

 テリトリーを展開した時、タスクを呼び出していれば今あの場でクロードを倒すことができていたのかも知れない。

 それをしなかった自分は、クロードから見ればやはり甘いのだろうか――殺しても構わないと思えるほどに。


 血が流れている目の下のナイフ傷を親指で拭い、屋根の上から壁や外階段を伝って地上に戻る。

 ハクトは少し息を整えて、リッカが待っているであろう単車の方へと向かった。


 リッカの単車には台車が連結され、すでに酒の箱が積みこれていた。

 荷物はベルトで固定したうえでロックされているが、リッカもサブリナもその場にいなかった。

「……マジか」


 通りに戻って街並みを見渡すと、案の定リッカは白ワインを振る舞っている屋台の前にいた。

 なみなみと注がれたワインを受け取っている所だ。


「……無用心だろ、師匠」

 背後から低い声で呼びかけると、彼女の両肩がびくりと跳ねた。


「……びっくりした。こぼれるだろうが」

 文句を言いながらリッカはグラスすれすれに満たされたワインに注意深く唇を寄せる。

「〈カルバノグ〉で散々呑んでたくせに……」

「何を言う、屋内と屋外で吞む酒は別腹なのだ」

「どういうことだよ。……ったく、荷物を街はずれに放置するなんて、奪われても知らないぞ」

 リッカのマントの裾を引きながら通りへと戻る。


「マントを引っ張るなと言うのに。それに荷物の番はサブリナが――待てハクト、その傷はどうした?」

 ハクトの顔を見たリッカが眉をひそめる。

「ああ……実は――」


 ハクトは自室でクロードに襲われたことをリッカに伝えた。


「そうか……よもや言ったそばからクロードとやらに遭遇してしまうとはな。無事で何よりだった」

 と、リッカはハクトの傷口を塞ぐように薬指を当てた。

「師匠があらかじめクリティカルヒットを教えてくれていたお陰だよ。まあ、俺がワーバニーだってことがクロードに知られた訳だけど……」


「その者にとってお前は不都合な存在だ、言いふらすような真似はするまい。この際ワーバニーの力を警戒して手出しすることを諦めると良いのだがな」

 ハクトはクロードの笑顔を思い浮かべる。

「……いや、あいつは諦めない。きっとまた俺を殺しに来る」


 リッカの温かな指先が傷口から離れた。痛みが引いている。傷も塞がっているようだ。

「これでいい……ワーバニーの回復能力は高いのだ。ワーレンで彼岸ノ血に包まれれば傷痕も消えるだろう。ワーバニーは滅多なことでは殺されはしないが、無茶をするなよ。いざとなれば師匠のわたしがいることも忘れるな」


「ありがとう、師匠。でもクロードのことは俺との因縁だ。俺が自分でケリをつけなきゃならないことだと思う」

「ふむ……まあ、困ったらいつでも言え。大切な弟子を傷つけられたのだ、わたしにも戦う理由はある」

 そう言ってリッカは薬指を舐める。


「師匠は、たまに凄く師匠っぽいことを言うよな」

「たまに? ぽいとは?」

 聞き咎めて詰め寄って来るリッカの向こう側に、手を振りながら近付いて来るサブリナが見えた。


「おーい、こっちこっち。もう、勝手にどっか行ったらダメじゃないすかあ」

 彼女の手には、屋台で買い求めたと思しき軽食がある。


「どの口が言っている。荷物の番を頼んでいただろうに」

 リッカの苦言をさらりと流すサブリナ。

「まあまあ。魚介のフリッターを串にしたの売ってたっす。いかがっすか?」

「魚介か、ちょうど白ワインに合うな」

 リッカはフリッターの串を受け取ると、嬉々としてかぶりついた。

 何やら脱力した思いで手渡された串を見つめるハクト。


「ちょうどそこでギルドマスターが出陣するって話を耳にしたんすよ。これはお見送りしなきゃと思って。せっかくだしお二人も見物して行くといいっすよ」

「ふむ……確かにわたしはギルドマスターのことをよく知らないからな。ハクトの元師匠だ、ひと目見ておくのも悪くない」


「……サブリナは仕事中だし、酒場に戻った方がいいんじゃないか」

「ぎゃっ? おのれハクト君め、口にしてはならないことを! 負けるかあ、お姉さんは正論に屈したりしないっす!」

「何でだよ。仕事しろよ。あと俺の方が年上だよ」


 通りの奥にある、ギルドの方から単車のうなり音がした。

 ハクトは近付いて来る音の方に目を向けた。



つづく

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