第41話 激昂

 ミラはため息をひとつ吐いた。

 

「まったく、わたしのハクトくんをこんなに悩ませるなんて……リッカさんも酷い人です、とても許せるものではないですね」

「そんなこと言ってる場合じゃ……」

「ですが当然のことながら――」

 ハクトの言葉を遮って続けるミラ。

「ハクトくんが悲しむこともまた、わたしにとって許せるものではないのですよ。リッカさんがいなくなってしまえば、あなたは悲しみに暮れることになります。彼女が本当に命を捨てることを考えているのなら、それは全力で阻止しなくてはなりません」


 顔をあげたハクトの目に、微笑むミラの表情が写った。

「でももし……それで世界が崩壊するなんてことになったら……」


「それも阻止する方法を、リッカさんに考えさせればいいのです。ここまでハクトくんを追い詰めているのですから、それくらいやってもらわないと」

「そんな無茶な」

「リッカさんはあなたの師匠、でしょう? 師匠に教えを乞うことが無茶なものですか」


 ミラはベンチから立ち上がると、呆気にとられるハクトの手を取った。

「それに……そうして悩んでいるということは、もうすでにあなたの中で心に決めていることがあるのでは?」

「……!」


「ならばやることはひとつだけです。あなたはすぐにでも彼女に会って話をすべきですね」

 手を引かれて、ハクトも立ち上がる。

「ミラ……」


「ねえハクトくん。ギルドの徒弟制度ではハンターとしてひとり立ちした後は師匠呼びをしなくなるのが慣例ですので、ハクトくんがわたしのことを師匠と呼ばなくなるのはやむを得ません。むしろミラと名前で呼ばれる方が特別な関係性が築けている感じがあって素敵なことですし、それで良しとしています。ですが言うまでもなく、わたしがあなたの師匠を降りた事実はない――たとえハクトくんがリッカさんの弟子になったとしても、わたしは現在進行形かつ未来永劫、絶対的にハクトくんの師匠な訳ですよ。そこのところはきちんと理解できていますよね?」

 こちらを見るミラの青い瞳が怪しく輝いている気がして、ハクトは反射的にうなずいた。

「え? あ、ああ。もちろん」


「よろしい。ではわたしは師匠として弟子の背中を押しましょう。行ってきなさい」

 油断するとミラの不穏な思考が暴走する気配をみせるので気が抜けない。

 だが彼女にはっきりと言われてハクトは決心した。


「……行ってきます」

 ――リッカを止めるのだ。


 ひとり医務室の扉を開いたハクトは、中に向かって声をかけた。

「師匠、入るぞ」


 リッカはベッドではなく、部屋の出窓に軽く腰を預けて外を眺めていた。

「ハクトか。ちゃんと身体を休めているか?」

「ああ、まあ……知らないうちに寝落ちしてたみたいだ。あんたこそ横になってなくていいのか?」


 リッカは腰のくびれた部分に当てられた大きめの絆創膏を軽く叩く。

「治療にあたった職員も安静にしていれば良いと言っていた。見ての通り、傷はここまで回復しているゆえ」

「そうか。けど酒も呑まずに安静にしてるなんて師匠にしては珍しいな」


 そう言うと、リッカは不思議そうな顔で背中に隠れていたウィスキーのボトルを手に取った。

「酒なら呑んでいるが……?」

「……。だよな」

 彼女の場合、酒を呑んでいない方が心配になる。

「というかそんなものいつの間に医務室に持ち込んだんだ?」


「ジェイムズがもって来た。とりあえずこれを呑んで大人しくしておけと」

 ハクトがうたた寝している間に、ジェイムズも前を通りかかっていたようだ。

 半分ほど残っているボトルをちゃぽんと揺らす。

「ゆえにこのボトルを空けるまでは大人しくしてやろうと思う」

 普段酒を呑まないハクトはよく知らないが、ウィスキーとはそんな気楽にボトルを空けるような強さの酒なのだろうか。


 窓の外に顔を向けるリッカ。

 そこから街の向こうに広がる荒野まで一望できる。

「しかしあらためて酷い有様だ。ワーレンの周囲がああまで崩壊してしまっては、森のセーフハウスもダメだろうな。せっかく買い込んだ酒がふいになってしまったのが惜しい」

 と、ウィスキーのボトルを傾ける。


 ハクトはベッドに腰掛けてリッカと向き合った。

「……それを呑み干したらいよいよ、か」

「そうだな。リヴァイアサンはあれからまだ姿を見せていないが、それも時間の問題だろう」


 窓の外を眺めたままの彼女に、ハクトは何でもないことのように軽い調子で告げた。

「俺が行くよ」


「……」

 リッカは窓の外からハクトに視軸を戻した。怪訝な顔をしている。

「……何の話だ?」


「だから――リヴァイアサン。俺が何とかする」


 ボトルに口をつけて中身をあおると、リッカは言った。

「何を言っているのだ。ハクトにはまだ何をどうするかも分かっていまい……お前の役目はまず、わたしの仕事を見届けて“鎮め”を学ぶことだ。余計なことは考えず、専念することだな」

「確かに俺にその知識は無い。けど、あんたが何をしようとしているのかは、何となく分かる」

 ハクトは彼女の顔を指差した。


「彼岸から生まれたリヴァイアサンを鎮めるならその場所は当然、彼岸だ。あんたの師匠、エヴァンジェリンは、彼岸にリヴァイアサンを鎮めた。そのためにエヴァンジェリンは彼岸に――あの世に行った。だから彼女は”もういない”んだ。そして今度は師匠、あんたの番だ。エヴァンジェリンに代わって、師匠がリヴァイアサンを鎮めるためにあの世に行く。そしてもう、この世に戻って来るつもりはない」

 リッカは、険しい顔で黙っている。


「自らを犠牲にしてリヴァイアサンを鎮める。エヴァンジェリン、師匠、そして次は俺だ。ワーバニーはそのためにいる。俺達ワーバニーは、この世界を崩壊から守るために捧げられる供物――生贄なんだ、違うか?」


「違う、そうではない」

 と、彼女は険しい顔のままで言った。

「わたしはワーバニー。人にあらざるものだ。だがそれゆえに――人であらざるがゆえに、人をかけがえなく思うのだ。そして人の営みが続くこの世界も、かけがえのないものだと思っている。わたしは自らの意志でこの世界を崩壊から守るのだ。世界の為に身を捧げているのではない、わたしがわたしの為に、この世界を選び取るのだ」


「あんたが、いなくなるって結果は同じだろ……!」

 やはりリッカがやろうとしていることはハクトの考えていた通りだった。


「それにハクトまでがわたしに倣う必要はない。わたしがお前に“鎮め”を伝えるのは、選択肢を与えているにすぎないのだ。この先また同じことが起きたとしても、お前はお前の意志でどうするかを選べばいい」

 選択肢。

 リッカがハクトにエッグを差し出した、その最初の出会いを思い出す。


「そんなのあんたの独りよがりじゃないか。この先のことも俺のこともどうだっていい。問題は今、師匠が弟子の俺を置いて勝手にいなくなろうとしてるってことなんだ。何でひと言も言ってくれないんだ、何でそんな真似ができるんだよ!」

「……黙っていたことは謝る。わたしもどう伝えるべきか答えが出なかった。だが受け入れて貰うしかないのだ。これはさだめのようなものだからな」


「ふざけるなッ!」

 ハクトは立ち上がって乱暴にリッカの細い両肩を掴んだ。床に落ちたウィスキーのボトルが硬い音を立てて転がる。


「さだめだなんて適当な言葉でごまかすな! 師匠、俺はあんたとこれからも一緒にいたいだけだ! どうしてそれがダメなんだッ!」

 ハクトの声が、医務室の空気を震わせた。


つづく

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