第40話 葛藤

「こんな傷、エッグと酒があれば治る!」

 作戦会議室に向かう途中、リッカを医務室に連れて行こうとするミラに、彼女はそう言って抵抗した。


「駄目ですよ。きちんと手当しないと、治るものも治りません」

 ワーバニーの身体能力は高いが、ギルドマスターの膂力もかなりものだ。もがくリッカの腕をしっかり捉えて離さない。

「ミラはワーバニーの回復能力を知らないからそう言う!」


 ハクトが口を挟んだ。

「エッグはともかく、酒は傷の回復と関係ないだろ」

「そんなことはないぞ! 酒は別名“百薬の長”と言ってだな」

「その“百薬”に傷薬は含まれていないんじゃないかな」


 ジェイムズが苦笑して声をかける。

「お酒ならいくらか用意があるから後で医務室にもっていくわ。奢ってあげるから、ここは大人しく治療を受けておきなさい、リッカ」

 ハクトも彼の後に続いて言った。

「師匠、ミラの好意に甘えて少し休ませてもらおう。考えて見れば俺達、朝早くにここを出てから動きっぱなしだ」


 観念したようにうなだれた後、リッカは彼の顔を指差す。

「……仕方がない。ハクト、お前もしっかり休息をとっておくのだぞ」

「ああ、分かってる」


「……注射とかしないよな?」

「しませんから……」

 ミラに連れられて医務室へと姿を消すリッカを見送ると、ハクトは廊下に据えられたベンチに腰を下ろした。


「さてと、それじゃ我らが姫のためにお酒を用意して来ようかしら」

「うちはギルドホールに行って、賄いのお手伝いして来るっすよ。何か食べる物分けてくれるはずっすから」

 サブリナとジェイムズはそう言い残して階下へと戻って行く。


 ハクトはベンチの背もたれに寄り掛かった。天井を仰ぐと思わず細く長いため息が口から漏れる。


 ふと気がつくと、ミラが顔を覗き込んでいた。

「……大丈夫ですか、ハクトくん」


「え? ああ、うん……師匠の治療はもう終わったのか?」

 いつの間に戻って来たのだろう。

「ええ、少し前に。医務室のベッドで休んでいますよ。わたしは一度作戦会議室に行って、状況を確認して来たところです。怪我人は出ているようですが、住民の避難は完了しているそうで、少し安心しました」

 と、ミラはハクトの横に腰かけた。


 思いのほか時間が経っている。どうやらハクトは座ったまま少し眠ってしまっていたようだ。

 ミラが心配して声をかけたのもうなずける。


「あなたも怪我をしていたでしょう。ベッドで横になった方がいいのではないですか?」

「いや……ワーバニーは傷の治りが早いんだ。エッグも食べておいたし、俺は大丈夫だよ。師匠が受けた傷はクリティカルヒットだったから、回復に時間がかかってるんだよ」

 クロードとの戦闘でハクトが負った傷はまだ残っているが、痛みはない。


「……頼もしくなりましたね、ハクトくん」

 彼女はぽつりと告げた。

「わたしが出会った頃のあなたとは随分変わりました」


「そりゃまあ、駆け出しの頃と比べたら少しは……」

「いえ、ハンターとしての実力ではなく、生き方のようなものについて言っています。かつてのあなたはどこか捨て鉢というか、無気力というか……そのままハンターになったらすぐに死んでしまいそうでしたよ。わたしは師匠として、できる限りをあなたに仕込まなくては――と、ちょっとした使命感を覚えたものです」


「そうだったかな。当時はまだ……自分のことが分かってなかったし」

 もちろん今だって自分のことが自分でよく分かっているという訳ではない。

 それでも――。


 ――こんな所で! こんな形で! 死んでなんかたまるか!


 ワーレンの底でそう叫んでワーバニーとなることを選んだ時、自分は生まれ変わった。

 その実感は、確かに彼の中にある。


「……きっと、リッカさんのお陰ですね。彼女には感謝しないと」

 ミラの言葉に、ハクトは素直にうなずいた。

「……ああ。師匠に新しい命をもらったから、俺は今ここにいる」


 ハクトは医務室の方に顔を向けた。

 少し休めば、リッカは本調子に戻るだろう。そうなれば、今度こそリヴァイアサンに対峙しなくてはならない。一度地面の下に沈んだあの巨龍が、いつまた姿を見せるか知れない状況だ。

 そして次に姿を見せた時に何とかしなければ、今度こそこの街も無事で済むとは思えない。


 それは防がなくてはならない。


 だが――。

 本当にこのままリッカの仕事を、自分が手伝ってしまっていいのだろうか。


 ハクトはミラの方を振り返った。

 元師匠の彼女になら、相談できるかも知れない。

「ミラ……師匠のこと、なんだけど……」

「リッカさんがどうしました?」


「……あの人は、

 そう言葉にして口に出した途端、ハクトは急に胸苦しさを感じた。


 とっくに気付いていた。

 彼にとって直視したくない事実だった。リッカがそばにいる時は特にそうだった。

 それでもハクトは、向き合わなくてはならない。

 このまま目を逸らし続けていては、きっと本当に取り返しがつかないことになってしまう。


「……」

 ミラはわずかに息を吸うと、真顔で問いかけた。

「……彼女が、そう言ったのですか?」


 彼は小さく首を振る。

「いや……でも、何となく分かるんだ。師匠は、あの人の師匠、エヴァンジェリン・フリントと同じことをすると言っていた」

「その名前、昨日リッカさんが言っていましたね。にわかには信じられませんが、彼岸の崩壊を防いでみせたとか」

「あの怪物――リヴァイアサンこそがその彼岸の崩壊そのものということらしい。つまり、エヴァンジェリンがリヴァイアサンを鎮めたってことだ」

 ハクトは続けた。

「そして、エヴァンジェリンはいなくなった」


 いなくなった、という言い回しにミラは少し面食らったようだが、意図は汲めたようだ。

「まさか……彼女のやったことは命と引き換えだった、と言いたいのですか?」


「……そうとしか思えないんだ」

 ワーバニーは歳を取らず、不死身だという。

 だから寿命や怪我や病気などで命を落とすはずがない。どう考えても、エヴァンジェリンがいなくなったのはリヴァイアサンが原因なのだ。


 エヴァンジェリンは、もうこの世にいない。

 あの世――彼岸に、行ったのだ。

 そしてその身をもってリヴァイアサンを彼岸の向こう側に、封印した。


 恐らくそれこそが、リッカの言う“鎮め”なのだ。


「どうやったのかは分からない。でも師匠は“鎮め”の方法を知っていて、俺はその仕事を手伝う……つまりこの俺が、かつての師匠なんだ。師匠がエヴァンジェリンの仕事を見届けたように、俺は師匠の仕事を見届け、“鎮め”の方法を覚えて次に備える……いつの日か、またリヴァイアサンが“鎮め”を解いた時のために」

 ミラは細い眉根を寄せる。

「……まさか……リッカさんがそんな残酷なことをあなたに強いるとは思えません」

 確かに彼女の言う通りだ。

「強いてはいないんだ……師匠は最初に言っていた。無理強いはしない――彼女の仕事の手伝いが終わった後は俺の判断に任せるって」

 少なくともリッカは、自分の仕事だけはやり遂げるつもりでいるのだ。


「そんな……では本当にリッカさんは……」

「……リヴァイアサンを放っておくことなんてできない。この街はおろか、世界まで崩壊してしまうって話だ。でも俺は師匠をこのまま行かせたくない。リッカは俺の恩人だ。大事な人だ。何より俺達、まだ出会ったばかりなんだよ……ッ!」

 ハクトは銀髪に指を入れてうなだれ、うめくように問いかけた。


「ミラ、俺は……どうしたらいい……ッ?」



つづく

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