第42話 二兎

「ハクト……」

 驚いたように彼の顔を見つめているリッカに向かって、ハクトは言葉を継ぐ。

「このまま師匠を彼岸へ行かせたりなんかしない。それで師弟の縁を切られたとしても、あんたがいなくなるよりずっとマシだ」


 部屋に沈黙が降りた。

 どこかで動く時計の針の音が、耳を打つ。


 やがて口を開いたのはリッカだった。

「……まったく……弟子をもつというのは、大変なものだな……」

 そうつぶやくと、泣きそうな顔でハクトから視線を外した。


「……!」

 見慣れない表情に驚いて、ハクトは思わず彼女の両肩から手を離す。


 リッカはその場にしゃがむと、床に落ちたボトルを拾いあげた。

「不思議なものだ……ワーレンの底でお前にエッグを与えた時は、なかば気まぐれのような考えだった。出会ったこと自体が偶然だったし、これほど早くリヴァイアサンが顕現するとも思っていなかったしな。だがいざ師弟関係になってみれば、やはり弟子が愛しくもなる。まだ出会って間もないが、わたしにとってすでにお前は特別だ」


 立ち上がってこちらを向いた彼女は、普段通りの様子で微笑んだ。

「わたしとてお前と別れたくはない。お前を失いたくはない。当たり前だろう」


「だ、だったら……!」

 リッカの表情に胸の苦しさを感じる。ハクトは喘ぐように訴えかけた。

「別の手段を探そう。師匠が彼岸に行かなくても世界の崩壊を防ぐ方法を――」


 リッカはゆるく首を振った。

「そんな方法があれば、とっくにやっている」

「けど……!」

「現実を見ろ、ハクト。二兎を追う者は一兎をも得ることができない。ひとたびリヴァイアサンが世界を崩壊させてしまえばわたしやハクトどころか、全てが失われるのだぞ」

 ボトルの栓を開けて、リッカは中身をひと口呑んだ。

「わたしは、今の世界をこの先も残したい……そしてこの先の世界を託すとしたら、弟子であるハクト、お前なのだ。お前であって欲しいのだ。分かってくれ」


 リッカの目の奥に、どこかすがるようなものを感じる。

 このままリッカの考える通りにさせてやるべきではないのか。自分は自分で、師匠のことを追い詰めているのではないか。


 それでも――。

 ハクトは奥歯をかみしめた。


 リッカを失う訳にはいかないのだ。

 彼女自身が否定した別の手段を、考えなくてはならない。


「話は聞かせてもらいました」

 その時、背後から声がかかる。


 いつの間にか、ミラが医務室の中へ入って来ていた。腕組みをして、壁に背を預け立っている。

「……わたしは認めませんよ、リッカさん。あなたの言う通りにしたら、ハクトくんの心の中はこの先ずっとリッカさんで占められてしまうではないですか。自らの命と引き換えにハクトくんの心をひとり占めするだなんて、それはさすがにズルい。それはダメです」

「……本当に聞いていたか? 人の話……」

「リッカさんがいなければ、わたしはハクトくんと再会することはできませんでした。あなたには感謝していますし、あなたの考えも尊重します。ですがこればかりは認められません。何より、ハクトくんを悲しませるのは絶対にダメです」


「……」

 無言で眉根を寄せるリッカに、ミラは微笑んでみせた。

「ねえリッカさん。自らもたらした結果なら、自ら全力をもってどこまでも立ち向かうだけだと、前にあなたは言っていましたね」

「うむ……」

「その通りだとわたしも思います。なら人の営みがもたらした結果には、人こそが立ち向かうべきですよね」

「うむ……?」

「世界を救うという責務を、あなた達ワーバニーだけが担うのはおかしいと言っているのです。わたし達ギルドは、街を支え街の秩序を保つ組織だと自認しています。つまりは人の営みを守る組織です。人の営みを守る組織こそが、担うべき責務なのではないですか。ましてわたしはその組織の長――」

 まなじりを決したミラは胸に片手を当てる。

「ギルドマスターたるわたしを差し置いて、あなたに全てを抱え込むような真似をされては困るのですよ」


 ようやくミラの真意を察したリッカは、わずかに苦笑を浮かべた。

「気持ちはありがたい。だがリヴァイアサンを鎮めることは、ワーバニーにしかできない。ここにいる、わたしとハクトだけだ。そしてそのやり方を知っているのはわたしだけだし、実践を通じてハクトにそのやり方を伝えなければならない。わたししか――」


「いや――」

 ハクトは知らないうちに言葉を発していた。

「ワーバニーは、もうひとりいる」


「……何?」

「ミラの言う通りだ。あんたひとりが何もかもを背負うなんておかしい。ワーバニーにしか世界の崩壊を止めることができないとしても、そのワーバニーにしたって俺と師匠だけじゃないんだからな」

 リッカは怪訝な顔でハクトを見ている。

「エヴァンジェリンだよ。あんたの師匠だ」


「エヴァ……だと?」

「ワーバニーは不老不死、なんだろう。その不老不死ってあの世に行った後も続くんじゃないか? だからエヴァンジェリンは、この世を去った後も今に至るまでリヴァイアサンを鎮めることができていた」

 怪訝な顔のままうなずくリッカ。

「……そういうことになる。無論、彼岸という地ではその不老不死すらも曖昧になる。いずれは彼女の人格は完全に彼岸に還るのだ。そうなればエヴァの“鎮め”は解け、リヴァイアサンは完全に顕現する。そしてその時は近い」

 リッカの背後の窓からは崩壊し、赤いバニーに満ちた荒野が見える。


「……逆に言えば、リヴァイアサンの封印が完全に解けていない今なら、エヴァンジェリンはまだ彼岸に存在してるってことになるんじゃないのか」

 ハクトの問いかけを、リッカは否定しなかった。

「それが……どうしたの言うのだ」

「彼女が彼岸に還ってしまう前に、こちら側に連れ帰ることはできないか?」


「何を……言っている?」

 ハクト自身も自分が何を語ろうとしているのかはっきりとしない。

 だが自然と口から言葉が紡がれた。

「エヴァンジェリンを蘇らせるんだ。彼女の力を借りるんだよ」


 目を見開いて絶句しているリッカの横で、ミラが不審な声をあげる。

「エヴァンジェリンさんを蘇らせる……そんなことが可能なのですか?」

 彼女の問いには答えず、リッカは挑むような目をハクトに向けた。

「……エヴァの力を借りて……どうするというのだ」


「決まってる。んだ」

「……!」

「エヴァンジェリンを彼岸から連れ帰ることができたとしたら、その時点で封印は解けてリヴァイアサンが完全に復活してしまうだろう。俺と師匠、そしてエヴァンジェリンとで、それを倒すんだよ。リヴァイアサンは彼岸の崩壊そのもの――でも同時に彼岸から生まれたものでもあるんだ。つまりバニーと同じだ。リヴァイアサンはとてつもなくでかい、バニーだ」

 バニーと同じなら――、ハクトは告げた。


「クリティカルヒットで、彼岸に還すことができる」


 少し間を置いて、リッカがうめくように言う。

「リヴァイアサンを……狩る、だと……?」


 ハクトはしっかりとうなずいた。

 語っている間に、彼の中で覚悟が固まっていた。


「お、愚か者、たとえ三人がかりだったとしてもあのリヴァイアサンをそう簡単に倒せるものか。もし失敗すれば全てが台無しだ」

「不可能だ、とは言わないんだな。師匠」

「それは……!」


「二兎を追う者は一兎をも得ることができない。確かにそうだ。でも――」


 誰も犠牲にすることなく、世界を崩壊から救うのだ。


「二兎を得るためには、二兎を追わなきゃならないんだ」



つづく

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