第43話 捨身

「さっきの怪物をやっつけるんすか? いいっすね、やっちゃえやっちゃえ!」

 能天気な声の方を振り返ると、ミラの後ろからサブリナが顔を出していた。


「煽ってどうするの。危険な目に遭うのはリッカ達なのよ」

 渋顔のジェイムズが一緒に医務室に入って来る。

「煽ってるんじゃなくて応援っすよ。あんな怪物、うちらにはどうすることもできないんすから応援するしかないじゃないすか、ぎゃっはは!」


「何だ、ぞろぞろと。怪我人のいる医務室だぞ」

 と、医務室でウィスキーボトルをらっぱ飲みしていた怪我人が言っている。

「ホールからシチューもらって来たんすよ。温かいうちにどうぞ~」

 サブリナは小鍋に入れたシチューを医務室で振る舞い始めた。あとで医療スタッフに叱られないだろうか。


「はい、姫の分」

「うむ……」

 サブリナは皿に盛ったシチューをリッカに手渡しながら言った。

「リッカ姫はうちのVIPなんすから、勝手にいなくなったら嫌っすよ」

 犬歯を見せて笑っているが、目元は真剣だ。


「……」

「うちにはねえ、夢があるんす。やりたいことを色々考えてるんすよ。〈カルバノグ〉で稼いだら〈サブリナズ・ケータリング・アンド・デリバリーサービス〉を立ち上げて、たくさん儲けて、高級な服とお化粧きめて金に飽かせた豪邸建てて美男子を侍らせて、ゆくゆくは街を牛耳って……」

「胸焼けするくらいゲスな夢ね」

 ジェイムズが呆れた声を漏らす。

「ぎゃはは! まあゲスってのはこの世の欲にまみれた存在っすからね、この世が大好きなんすよ!」

 サブリナは自信満々に胸を張る。

「だからうち、この街が無くなるのは嫌っす。でもそれはもちろん、リッカ姫がいる街っすよ。姫がいないのに笑顔で接客だなんて絶対に無理、そんなんじゃもう〈カルバノグ〉で稼げないっす。うちの夢が初手で詰んじゃうんすよ。それはもっと嫌!」


「……サブリナの我欲はさておき、あたしもこのコと同じ意見よ」

 ジェイムズも静かに口を開いた。

「揺るぎない決意のもと自らの命をして、世界を救う――その振る舞いをして、人はあんたを英雄と呼ぶかも知れない。でもあたしに言わせればそんなの単なるむごい人柱、あんたにそんなつまらないものになって欲しくなんかないの」

「……そうですね。真の英雄とは困難に立ち向かい、その困難を打ち砕き、そして勝利の拳を天に掲げるものです。ハクトくんの師匠を名乗るのなら、真の英雄たる気概をもってしかるべきですよ、リッカさん」

 自らも“白百合”という二つ名とともに英雄と称されているミラは、ジェイムズの言葉にうなずく。


 リッカは黙々とシチューを口に運んでいたが、器を空にするとぽつりと言った。

「……まったく、揃いも揃って好き勝手を言うものだ」


「師匠……」

「たとえわたしが聞き入れても、エヴァが聞き入れるとは思えないし、どちらに転んでも確実にこの街を危険に曝すことにもなる……きっと後悔するぞ」

「そんなのみんなとっくに覚悟のうえっすよ、姫。うちがこの街の住民代表として請け負うっす」

「お前が住民代表とは世も末だな……いや、すでにこの世は末か」

 リッカは窓の外に広がる崩壊した荒野を見やった。赤いバニーに満ちた荒野は、夕陽を浴びて一層に赤い。


 こちらを向き直った彼女の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。

「まあ……たまには弟子の頼みのひとつでも聞いてやらなくてはな」


「師匠!」

 ハクトが弾んだ声をあげる。

「愚か者、喜ぶ所ではない。事態は何も変わっていないうえに切迫しているのだ。エヴァという存在が彼岸に還ってしまうまで、時間はもうあまり残されていないゆえ」


 ミラが首を傾げる。

「しかし実際問題として……その彼岸にいるというエヴァンジェリンさんに、どうやってアプローチするのですか?」


「それは――」

「ダイヴ、だな」

 リッカが答える前にハクトがそう言うと、彼女は少し驚いたように眉をあげたが、次いで小さく顎を引いた。


「ダイヴ……?」

「ミラも、マンティコアに襲われたクロードが一瞬で姿を消した様子を見ただろ? あれが、ダイヴという技なんだ。あの時、あいつは一度彼岸に渡ったらしい」


 テリトリーからテリトリーへ移動する技――ダイヴ。

 だがその技は本来、と以前リッカが言っていた。


 ならば何のためにある技なのか。

 聞きそびれていたが、“鎮め”のために使う技としか考えられない。


「これまでわたしが移動のために使ったダイヴは彼岸を通り抜けるだけだったゆえ、実際に彼岸へ渡ったとは言い難い。本当のダイヴは彼岸に渡ったらそれきり――戻って来ることを想定していないのだ」

 言葉通り、身を投げるということダイヴだ。

「そしてエヴァはその先にいる。彼女の元に行く手段があるとすればダイヴだけだ。ダイヴによって彼岸に渡り、エヴァを説得し、彼女を連れて再び此岸に戻って来る――どれもこれもおよそ容易たやすい話ではないが、やると決めたからにはやるしかないだろう」


 窓辺から身を起こそうとするリッカを、ハクトは手で制した。

「待ってくれ師匠、行くのは俺だ」

「……何だと?」


「あんたが行ったら、彼岸から戻って来ないかも知れないだろ?」

 今のリッカはハクトの言葉を聞き入れてくれてはいるのだろうが、いざとなったら考えが変わってしまうかも知れない。

「その危惧も分からないではないが、そもそもお前はダイヴをしたことがないだろう」

「師匠に見せてもらったから大丈夫だ。感覚は掴めてる」

 クロードごとダイヴした時に見た、一面の赤い花畑は今もはっきりと脳裏にある。

「……だとしてもハクトはエヴァと初対面だ。それでどうやって彼女を説得するつもりだ?」


「いえ、リッカさん。ここは彼に任せましょう。エヴァンジェリンさんと面識のないハクトくんだからこそゼロベースで対話ができるのだと思います。少なくとも、一度彼女を彼岸へと送り出したあなたが交渉するよりは、いい」

 ミラの言葉に一理あると感じたのだろう。リッカは束の間、言葉を噤む。

「……だが」

「成長した弟子を信じて見守ってあげるのも、師匠の役目なのでは?」

「む……」

 小さく呻いたリッカは、やおらウィスキーのボトルに口をつけるとぐびぐびと喉を鳴らして中身を飲み干した。


「……ジェイムズ、ボトルをもう一本おかわりだ!」

「はいはい、まったく無茶な呑み方して……」


 酒で熱を帯びた目を、にらむようにハクトに向けるリッカ。

「いいかハクト。わたしが次のボトルを空ける前に戻って来い。絶対だぞ」

 ハクトはその目を真っ直ぐ見返す。

「ああ。前に言っただろ、師匠。俺がいるべき場所は、あんたのそばだよ」


 ハクトは、ゆっくりとその場に膝を着き、床に右の拳を当てた。

 マーク――。

 赤く輝く円が、彼を中心に医務室いっぱいに広がる。


「……なあ師匠、エヴァンジェリンってどういう人なんだ?」

「わたしと違って酒を一滴も呑まない。代わりに甘いものに目が無いな」

「酔ってんの? そういうことじゃなくて。人となりとか……」

「あ、じゃあハクトくんがそのコ連れて来たら、うちが甘いプディング作ってあげるっすよ!」

 サブリナが頭上で手を振っている。


 何となく、肩に入っていた力が抜けた気がする。

「まあいいか。それじゃあ師匠、行って来るよ」

「ああ。行って来い」

 リッカの赤い瞳は穏やかだ。彼女は彼女で、覚悟を決めたのかも知れない。


 ハクトは大きく息を吸って叫んだ。

「ダイヴッ!」


 同時に、彼の姿がその場から消える。



つづく

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