第5話 一閃

 ひとしきり笑った後、ハクトはリッカに向き直って言った。

「……とにかく、ありがとう。リッカ、あんたは俺の命の恩人だ」

「気にするな、お前が自ら選び取った今だ。わたしはお前に選択肢を与えたに過ぎない」

 と、彼女はスキットルの酒をあおった。


「そうは言っても何か礼をさせてもらわないと、このままじゃ俺の気が済まないな」

「礼か……」


 リッカは顔を上に向けて考えていたが、何か思いついた様子でハクトを見た。

「それなら――」

「酒以外で俺にできることなら何でもやるよ」


「……え、あれ? なぜ酒がダメなのだ」

「ダメじゃないが、あんたに酒なんか渡したらその場で呑み干して終わりだろう。それだとあまり意味がない」

「い、意味はあるだろう、ほかでもない酒だぞ?」

 図星を突かれてうろたえているリッカに、ハクトは尋ねた。


「……そういえば、まだ教えてもらっていなかったな。結局、あんたは何者なんだ。ワーバニーという特別な存在なのは分かったけど、こんなワーレンの奥地で何をしているんだ?」

「それはお前と同じだが」

「エッグハンター……なのか?」


 ハクトは疑わし気にリッカの姿を見回した。

 ハンターにしてはあまりに無防備だ。所持品は酒を主にした雑貨と、ランタンのみ。とてもワーレンの深層に乗り込むような装備ではない。


 しかも彼女の容姿は目立つ。

 その美貌もさることながら、こんなウサ耳つけた薄着の酔いどれハンターがギルドに出入りしていればとっくに騒ぎになっているだろう。


「目的がエッグゆえ、エッグハンターには違いない。ただしわたしの場合、エッグを手に入れる手段は採集ではなく、だがな」

「狩猟……って」

 ハクトがさらに尋ねようとしたその時。


 洞窟の奥でずん、と地響きのような重く低い音がした。


 長い耳をぴくりとそちらに向けたリッカが口を閉ざす。音はハクトにも聞こえていた。

「……何の音だ? 近かったな」

 ぱらぱらと頭上から岩壁の破片が落ちてきた。

「いや、遠い。ここよりさらにはるか下だろう。お前はまだ慣れていないだろうが、ワーバニーの耳はいいのだ。しかし今の震動……まさか……」


 リッカは深刻な顔で口元に指を当てて思案している。

 そのまま、赤い瞳をハクトの方に向けた。


「ハクト……先ほどの礼、の話だが」

「ん? ああ、うん」

「しばらくわたしの仕事を手伝う――というのはどうだ」


「仕事って……エッグハントか?」

「そのようなものだ。思い過ごしであればいいのだが、少し立て込んでくるような予感がする。無理強いはせぬ。相棒に手酷く裏切られたのだろう、他人との仕事が嫌になることもあろうしな」


 ハクトは笑顔で首を振った。

「確かにそうかも知れないけど、恩人のあんたなら別だよ」

「そうか。しばらくというのがどれほどの期間になるかわたしにも判然とせぬが、それでも良いか?」

「ああ、むしろ俺からも頼む。このままハンターズギルドに戻る訳にもいかないし、この先どうするか見当もつなかった所だったんだ。誘ってくれて嬉しいよ」

「……決まりだな」


 リッカの差し出した右手を、ハクトは右手でしっかりとつかんだ。


「よし、ではハクト。これからわたしのことは師匠と呼ぶがいい」

「え? それは嫌だな」

「ふむ」

 リッカは軽くうなずいて言った。


「……拒否が早すぎる! 二つ返事で応じる流れだろう、ここは!」

「いやだって俺、師匠ならもうギルドにいるし……」


 リッカはため息をついた。

「ギルドの徒弟制か。お前今、ハンターズギルドに戻る訳にもいかない、と自分で言っていたではないか」

「それはそうだけど」

「考えてもみるがいい、わたし達はワーバニーだ。ともに仕事をするなら、ワーバニーとしての能力を活かした立ち回りを覚えるべきだ。そしてわたしならそれをお前に伝えることができると言っている」

「言われてみれば、確かに……でも師匠が酔っ払いってどうなんだろう?」

「ばかめ、世の師匠というものはだいたいが酒におぼれているものだ」

「でたらめを言うな」


 堂々と偏見を言い放つリッカの耳が、再びぴくりと動いた。

 また何か音が聞こえる。


 押し寄せて来るようなざわざわとした気配が、闇の向こうから近付いて来ている。


 今度こそ、音は近い。

 しかもこれはハンターならばよく知っている気配だ。ハクトは思わず緊張に身構えた。

 今、彼の武器は全て失われているのだ。


 一方のリッカは先ほどと違って平然としている。

 鷹揚おうように立ち上がると、ポニーテールにした黒髪を指で後ろにやった。

「先ほどの地震のせいか……興奮しているようだな。丁度良い、お前にワーバニーの何たるかを実際に見せてやるとするか」


 岩棚から降り、ぬかるみに足を下ろす。

「逃げた方が良くないか! 俺もだが、あんただって何も武器をもっていないだろう」

 呼びかけるハクトに、リッカは不敵な笑みを返す。


「……問題ない、ハクトはそこにいろ」

 その両目が、赤く光を放った。


 しなやかな片脚を高くかかげ、勢いよくぬかるみに打ち下ろす。

 ぬかるみが跳ね上がるとともに、足元が赤く輝いた。

「……!」

 ぬかるみはリッカを中心とした十数メートルほどの円状に絶え間なく波立ちながら赤い光を放っている。

 それは真紅の花弁が無数に咲き乱れているかのようだった。


 暗闇の向こうの気配が、猛スピードで接近する。

 跳びはねるようにしてこちらへ向かって来る小柄な体躯が見えた。


 バニーの大群だ。


 リッカは身を屈め、円形に赤く輝くぬかるみの中へ両手をさし入れた。

 引き上げた両手に握られていたのは、刃渡り六十センチほどの小太刀だった。

「地面の中から、武器……?」

 その小太刀も赤い光を放っている。


「上だ、リッカ!」

 彼女目掛けて、バニーが一斉に跳びかかっていく。


 次の瞬間、赤い閃光が洞窟内にほとばしった。


 ぬかるみの飛沫が辺りに散る中、跳びかかったはずのバニーの身体がすべて空中で真っ二つに切断されている。


 リッカは、いつの間にかバニーの群れの後方にいた。

 地を這うような低い体勢で、両手の小太刀を十字に構えている。 


 闇の中、瞳と、刃と、足元だけが、くっきりと赤く輝き浮かび上がっていた。


「斬って……移動した、のか……?」

 信じられないほどの速さだ。人が、目に見えない速度で動くことなどありえるのか。


 残ったバニーの群れは、再度リッカに向かって突進していく。

 リッカが跳躍したように見えたと同時に、再び暗闇に赤い光が閃いた。


「……!」

 ハクトが目で追うことができたのは、すでに群れの間を通り抜けて空中に舞っているリッカの姿だった


 直後、数十体はいたはずのバニーは全て同じように両断されて地面に落ちている。そのままずぶずぶと崩れるようにぬかるみの中へと消えていった。


 身軽にぬかるみの上に着地するリッカ。

「……ふむ、これで全部か。意外と少なかったな」


 息ひとつ乱さずそう言うと、彼女は両手の小太刀をくるくると回転させて足元に投げ込んだ。

 小太刀は吸い込まれるようにぬかるみの中へと消え、赤く輝いていた足元の円も消えた。


 あっけに取られてその様子を見ているハクトを、リッカが見やる。

 彼女は得意げにその豊かな胸を反らした。


「どうだ、ハクト。これがワーバニーというものだ」



つづく

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