第6話 師事

 何が起こったのだろう。


 バニーは不死身だ。受けた傷もすぐに再生させてしまう。


 ハンター達はバニーを攻撃するため武装しているが、それはある程度ダメージを与えると撤退するというバニーの習性をあてにしているに過ぎなかった。


 だが、リッカの一撃を受けたバニーはその場で動かなくなり、崩れるように姿を消したように見える。


「バニーを……倒したっていうことなのか?」

「うむ。バニーがこの世に存在するためのよすがを絶った。これこそがクリティカルヒット――ワーバニーにしかできない技だ」


「クリティカル……ヒット」

 ハクトは唾を飲み込んだ。


 ひょっとしたら自分は、とてつもない相手と出会ったのかも知れない。

 さきほどの人間離れした動きも驚くべきものだが、何より不死身のはずのバニーを倒すことができるというのは思いもよらない事実だった。


「……まさか……あんたに師事すれば、今のが俺にもできる、なんて言わないよな」


 リッカはその赤い瞳を細めて言った。

「無論、できる。できてもらわねば、困る」


「……!」

 ぞくりと背中に戦慄が走る。


 かつてハクトが漠然と待ち望んでいた“いつか”とは、確実に今この瞬間に違いなかった。

 今を逃せば、自分の“これから”は、絶対に訪れない。


「わたしを師匠と呼びたくなっただろう?」

 勝ち誇ったような様子のリッカに、ハクトは真顔でうなずいた。


「……ああ……あんたの言う通りだ。半裸のヤバい酔っ払いだと思っていた俺が悪かったよ」

「分かれば良いのだ。あと思っていても口に出すな、そういうことは」


 彼女と一緒にいれば、きっと本当の意味でハクトにとっての“これから”が始まる。彼のこれまでは、すべてリッカと出会うためにあった、そんな気さえして来る。


 ハクトは岩棚に両手をついた。

「お願いだ、リッカ。どうかあんたに師事させて欲しい」


 彼女はもったいぶるようにスキットルの酒をひと口あおると、微笑んだ。

「ふむ。リッカではなく師匠、だ。しかと励むのだぞ、弟子よ」

「……! もちろんだ、師匠!」

 ハクトもほっとしたように笑みをうかべてうなずいた。


「さっそくだが、ハクト――」

 ハクトが見ている先で、リッカはぬかるみの中を手で探り始めた。

「こっちに来て手伝ってくれ」

「……何をしているんだ?」

 ハクトはぬかるみの中に足を下ろす。


「……ふむ、あった」

 と、リッカが拾い上げたのは、赤く光る卵型の結晶だ。

「それは……エッグ?」

 リッカはハクトの方を見る。

「バニーを倒せば、エッグになる。どちらも“彼岸ノ血”を由来とする存在だからな」

「バニーが……エッグに?」

 初めて聞く話だが、そもそもバニーを倒せること自体、聞いたことのない話だ。

 慌ててハクトがぬかるみを探ると、確かに硬い手触りとともにエッグが指の先で転がった。


「すごい、こんな大量に」

 十個、二十個とぬかるみの中からエッグを見つけ出していく。

 ひとつひとつは掌に乗るような標準的なサイズだが、これだけの量があれば、かなりの報酬が期待できる。


「……狩猟、と言っていたのはこういうことか。バニーを倒して、エッグにすることが可能だなんて知れ渡ったらハンターズギルドがひっくり返るな……」

 とリッカの方を見ると、彼女は拾い上げたエッグのひとつにかじりついていた。


 口をもぐもぐさせながら、ハクトの視線に気づく。

「どうした?」

「いや喰ってるし」


 リッカは残りを口の中に放り込む。

「いまさら何を驚いている? お前もさっき喰らったではないか」

「あれは喰らったというより胃袋にねじ込まれたという表現がふさわしいかな」

「ワーバニーは“彼岸ノ血”との親和性が高い。身体が人側よりバニー側に寄っているがゆえ。ハクトもそこで倒れている間に弱っていた身体が復調したであろう?」


 確かに、今はかなり調子がいい。

 いつのまにかバニーの攻撃や落下の衝撃で受けた傷までもが回復していた。


「“彼岸ノ血”の結晶たるエッグがワーバニーの活力となったとしても不思議なことではあるまい。エッグを口にしていれば飢えも渇きも感じない。それなりに便利だぞ」

 と言いながらリッカはスキットルをあおった。

「……酒は呑むんだな」

「酒は飢えや渇きとは関わりのない、はるか高位の欲求だ。お前も喰らってみるがいい」


 言われるままに手元のエッグに歯を立てる。

 意外と柔らかい。口の中に広がるのは、思いもよらず酸味と甘みが絡みあった爽やかな風味だった。

 ある種の果実にかぶりついたような感覚だ。


「……うまい……?」

「そう、エッグは美味なのだ。食べ過ぎると眠れなくなるから気をつけることだ」

 リッカは残ったエッグをポーチの中に収納した。


「さて、あらかたエッグは回収できたな。行くぞ」

 エッグをもうひと口頬張りながら、ハクトが問う。

「行くって、どこへ?」


「この下だ」

「下……?」

 彼は思わず足元を見下ろした。


 ランタンを手にしたリッカが先に立って、二人は洞窟の中をしばらく進んでいる。


「それにしても……ワーレンの深層ってのは蒸し暑い所なんだな……」

 歩きながらハクトは額を拭った。

 今度は手に赤い液体が付着していない。ワーバニーとなった彼の身体が瘴気を肌から吸収しているのかも知れない。


 リッカがこちらを振り返る。

「暑いのは場所の問題ではなく、お前の身体の問題だな」

「え?」


「ワーバニーは、人と比べて身体能力が高い分、体温もかなり高い。長い耳からいくらか放熱しているが、そのように服を着込んでいてはどうしても体内に熱がこもる。下手をすれば自分の体温で自分の頭の中を茹でてしまうぞ。できるだけ肌は露出させておくことだ。人と違い、“彼岸ノ血”に身を曝しても悪影響はないゆえ」


 ハクトはまだハンターの防具を身につけていた。ワーレンを探索する際に装備する、ツナギ状に全身を包むものだ。

 身体にフィットしている防具のジッパーを下ろし、もろ肌脱ぎになって上半身だけ裸になる。

「……ホントだ、ずっと楽になった。そうか、師匠が下着姿なのはこういう理由があったんだな」

 リッカが眉根を寄せた。

「愚か者、これは下着などではない。ブラとショーツに型が近いだけで、生地のしっかりとした防具だ」


「そうだったのか……泥酔したあげくどこかに服を脱ぎ散らかしてワーレンをさまよっていた訳じゃなかったんだな」

「奇行が過ぎるわ。お前はわたしをどういう目で見ているのだ」

「酒で限界な人……」

「誰が限界か、無礼な弟子め。わたしに酒の限界などあるはずも無い」

「……そういう所を言ってるんだけどな」


 先を歩いていたリッカが、ふと足を止めた。彼女の足元から先が崖になっている。


 ランタンに照らし出されているのは、今歩いている洞穴よりさらに巨大に広がる大空洞の、入り口のような場所だった。

 行く手は広大過ぎて、光は吸い込まれ、どれほどの規模かもはっきりとしない。


 暗闇にちらちらと夜空の星のように瞬いて見えるのは、あちこちでエッグが放っている光だろう。


「ここからワーレンのさらに深層に行くことができる」

 リッカは言った。

「いわゆる、ネザー・ワーレンと呼ばれている区画だな」


 ネザー・ワーレン。


 ギルドでは噂しか聞いたことがない。

 それは生半可な装備では生きて帰ってくることすらできないという、本当に到達したハンターがいるのかすら怪しい区画の名称だった。



つづく

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