第4話 覚醒

 小ぶりとはいえ、そのエッグは喉を通るような大きさではない。

 しかしリッカは構わず口の奥底へねじ込んでいく。


「うぐッ、ぐ、ぐううッ!」

 エッグを押し込んだ指を抜くと、リッカは口が開かないようにハクトの顎を押さえつけた。

 喉の奥が完全に塞がって息ができない。


「耐えろよ……ッ!」

 リッカは片手でハクトの顎を押さえたまま、もう片手で首を締め上げた。

 喉の奥に詰まった異物を、首の骨が折れそうなほど凄まじい力で下へ、腹の中へとしごき落とす。

「よし、喉を通った!」


「……ッ!」

 同時に、身体の芯を溶けた金属で貫かれたかのような激痛と高熱に襲われる。


「……うごッ! ごああッ!」

 無意識に暴れるハクトの身体の上にリッカは馬乗りになり、彼の顎と口を両手で抑え込んだ。

「まだだハクト、まだ耐えろ!」

 ただでさえ視力が失われつつあったハクトの両目だ。視界は歪み、暗くなっていく。


「こっちを見ろ!」

 ぬかるみがはねるのにも構わず、リッカは鼻先が触れそうになるほどに顔を近づけて叫ぶ。

「わたしを見るんだ、ハクト! 絶対にここで意識を飛ばすな! そうなったら全てが終わりだぞ!」


「ぐうううッ!」

「わたしはお前の覚悟を確かに聞いたぞ! ああ大丈夫だ、お前なら必ず乗り越えられる! お前はこの先きっと何かをなしとげる!」


 全身の感覚はすでに失われ、引き裂くような激痛だけがハクトを包み込む。

 ただ、赤い光を宿す瞳――間近に寄せられたリッカの美しい顔だけに意識を向けた。


「そのためにわたしとお前はここで出会った、そんな気がするのだ! いいかハクト、お前はこの程度で終わったりはしないッ!」


 そうだ。

 この程度で――。


 目の奥に赤い閃光がはしったような気がした。


 ――終わったりはしない。


「あああああああああッ!」

 ハクトの口から、凄絶な咆哮がほとばしり、洞窟の闇を揺るがした。


 周囲に満ちる赤い瘴気のぬかるみが、その時ざわりと逆立ち、大きな波を作って二人を取り囲んだ。

「……!」

 大波は一瞬で立ち消える。

 ぬかるみの上にわずかな波紋を残すばかりだ。


 肩で息をしながら、リッカは汗の滲んだ顔をわずかにほころばせた。

 ハクトの上で身を起こす。

「……頑張ったな。もう大丈夫だろう」

「俺は……」

 言いかけるハクトの額をリッカが優しく撫でる。

「よくもちこたえた。もう人格を失うことはないはずだ、今は安心して休むといい」


 言われて気付いた。

 全身を包み込んだ激痛は嘘のように消え失せていて、息苦しさもなく、視界も明瞭だ。

 ただ火照るような熱が身体に残り、心地よいまでの倦怠感があるばかりだった。

「俺は……」

 まだ何かを言いかけたハクトだったが、額を撫でるリッカの指先に溶かされるように、そのまま眠りに落ちていった。


 夢も見ないような、深い眠りだった。

 意識を失っていたのは、どれほどの時間だったのか。

 ほんの数分か、あるいは数時間かも知れなかった。


 気付けばハクトは、硬い岩棚の上で横になっていた。

 リッカがぬかるみの上から運んでくれたのだろうか。


 身体はすっかり楽になっていた。むしろ爽快なほどに調子がいい。

「……助かった……のか」


 起き上がると、頭の上に何か妙な重さを感じた。

「……ん?」

 髪に手をやって探ろうとした所で、うめくような声が耳に届いた。


 見れば彼の横で、リッカがうずくまるようにして眠っている。

 うずくまるというか、腰を突き上げてうつ伏せにへたりこんだような格好だ。

 岩棚に顔面から飛び込んでそのまま気絶したらこんな体勢になるだろうかと思われるような酷い寝相だった。

 薄着なだけに、目のやり場に困る。


 突き上げた腰の上にある丸みをおびたふわふわした毛並みは、やはり尻尾――なのだろうか。

 こんな場所もウサギに似ている。


「リッカ」

 ハクトが肩を叩くと、彼女はむにゃむにゃと口を動かした。

「んんん……もう呑めないぞ……」

「ベタな夢だな」

「……残すなどとんでもない……全部いただきます……」

「この手の寝言でおかわりするパターンがあるのか。おいリッカ、起きてくれ」


 リッカがびくりと身を震わせて、その拍子に横に転がった。

「ん……おや、そこにあった樽酒たるざけはどこに……」

「その樽酒たるざけは夢だ。しっかりしてくれ」

 寝ぼけた様子でしばらくハクトを見つめていたリッカが口を開いた。


「誰だお前は?」

「嘘だろおい」


 リッカは額を押さえて軽く首を振った。

「ああ、いやすまない。起きぬけで少し記憶がな……きっと酒が足りていないのだ」

「いやむしろ呑み過ぎ――」

 ハクトの言葉が終わらないうちから、リッカはスキットルに口をつけてぐびぐびと酒をあおった。


「……ふう、これで良し。調子はどうだ、ハクトよ」

「……」

 記憶が戻ったらしい。

 呆れつつも、ハクトはうなずいた。

「うん……崖から落ちる前より調子がいいぐらいだ。いったい、俺に何が起こったんだ?」

「自分で見てみるか? その方が早い」

 と、リッカはポーチを探り、今度は手鏡を取り出した。


 渡された鏡を、ハクトは恐る恐る自らの方に向けた。

 見慣れた自分の顔が写し出されて、彼は少し安堵する。


 白に近い銀髪も、以前のまま変わらない。

 ただ、かつては青かった瞳が紅玉のような赤色に染まっていた。

 リッカの瞳の色と同じだ。


 これが――エッグを飲み込んだことの影響なのだろうか。

「……!」

 鏡を傾けてさらに上の方を映したハクトは、そこで小さく息を飲んだ。


 銀髪の間から、二本の突起が上に伸びている。それは銀髪と同じ毛並みに包まれた、まさにバニーとよく似た、ウサギの耳――。

 思わず手をやると、柔らかな手触りが指に触れた。触れられている感覚もある。紛れもなく、自分のものだった。

「こ……これは」


「言っただろう。お前は、人でもなく、バニーでもない、もうひとつの存在になったのだ」

「もうひとつの存在……」

「人とバニーの中間。言うなれば、“ワーバニー”だ」


「ワー……バニー……」


「そう。わたしと同じだよ」

 リッカはそう言って、自分の長い耳を指で摘まんでみせた。


「……」

 ハクトはあらためて頭に生えた耳を両手で掴んだ。先ほど起き上がった時に感じた妙な重さはこれだったのか。

 はっとして彼は自分の背中にも手をやる。

 腰の上に感じる。どうやらそこにもしっかりと丸い尻尾が生えているらしい。


 ハクトの様子にリッカはくすりと笑った。

「驚いたか? なかなか可愛く仕上がっているぞ」

「こんなの驚かない方が無理だろ――」

 そう言いながら、ハクトはつられて微笑んでしまった。


「けどまあ……はは、マジかよ!」

 あまりに突拍子もない身体の変化が、我ながら何だかとても愉快だった。

 どこか吹っ切れたように、ハクトは清々しく声をあげて笑った。



つづく

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