第21話 槍斧

 もう一度大きく岩壁が崩れ、ハクト達は後ろに跳び退すさった。

 崩れた岩の向こう側にいた、赤い影。


 ハクトは驚愕に目を見開いた。

「これ……バニー……なのか?」


 頭部の細長い二本の耳に、赤く濡れたような肌。それらは確かにバニーのものだが、他は似ても似つかなかった。

 分厚い肉で盛り上がった肩に胴、太く長い手足。

 鋭い牙のような歯列が覗く大きく裂けた口――その奥から低い唸り声が響く。

 それはもはやウサギというより、大型の肉食獣を彷彿とさせた。


 その体高は一五メートル近くあり、ネザー・ワーレンで遭遇した巨大バニーすらはるかにしのぐ。

 岩壁で囲まれた空間を埋め尽くすような巨体だ。

 その頭や肩が岩壁に触れ、瓦礫を落とす。


「……ギルドマスターよ。わたし達に刃を向けている場合では無さそうだぞ」

 超巨大バニーの影を見上げて、リッカがミラに声をかける。


 ハルバードを頭上に掲げたままのミラは、すっかり冷静さを取り戻しているようだ。ゆっくりと息を吐く。

「ええ確かに。一度ここから離れるべきでしょうね、狭い場所では危険です」

「よし……一斉に動くぞ」


 超巨大バニーの首がゆっくりと巡り、ハクト達を見下ろした。

 唸り声が大きくなる。


「今だッ!」

 リッカの声を合図に、ハクトは身を返して出口の細い横穴に向かって全力で走った。

 二人を追うようにミラも横穴へと駆ける。


 バニーの激しい咆哮が背後から聞こえた。

 思わず振り返ると、巨大な影がすぐ真後ろにまで迫っていた。

 ――速い。


 怪物の太い腕が振り下ろされ、岩壁を破壊した。

 崩れた岩が横穴の入り口を塞ぐ。


「……!」

 ハクト達三人は、寸前で横穴に滑り込んでいた。

「足を止めるな、走れッ!」

 横穴を走り抜けた直後、その横穴も衝撃で崩れ落ちて粉塵が巻き上がった。


 ハクトは荒い息のまま、瓦礫の山と化した横穴の跡を凝視する。

 追撃の気配は無い。


 やがて粉塵が落ち着くとともに辺りに静寂が戻った。

 結果的には、彼岸ノ血脈が乱れていたあの場所を封印できたことになるのだろうか。


 大きく息を吐いて両手を膝に置くハクト。

「……な、何だったんだ……今の化け物は……!」


「……“マンティコア”……ですね」

 ミラのつぶやきが彼の耳に届く。


「え?」

 

「……ギルドにおける、危機管理用語です。ネザー・ワーレンのように、彼岸ノ血が濃い場所では巨大化したバニーの特異個体が生まれます。現在の観測では最大でも五メートル級ですが、それらを凌駕する超大型の特異個体が生まれる可能性は否定できません。そうした未知の特異個体にギルドは“マンティコア”と名前を付けていたのです」


「マンティコア、か……確かに予測される脅威にあらかじめ名付けておけば、いざという時に対処がしやすいかも知れないな」

 リッカが言うと、ミラは小さく首を振った。

「いえ、ですがまさか実在しているとは……正直、わたしも仮説レベルの話に過ぎないと考えていました。しかも彼岸ノ血が薄い、こんな上層に出現するなんて――」


 ずしん、とまた大きな揺れが辺りを包んだ。

 崩れた横穴の瓦礫ががらがらと崩れる。


「どうやら……また来るようですね」

 ミラは崩れた横穴の方を見やりながら、そばに停車してあった純白の単車に乗り込んだ。

「状況が変わりました。今はハクトくんを見つけただけでも良しとしましょう。二人は先にこの場を離れてください。あの怪物はわたしが引き付けておきますので」


「……」

 リッカは顎先に指を当てて思案顔をしていたが、やがて口を開いた。

「いや、あれを放ってはおけない。マンティコアと言ったか……あの特異個体は明らかに乱れた血脈の場所から現れた。言うなればあれは、彼岸ノ血脈の――膿だ」


 さらに大きな衝撃が瓦礫の奥から届く。

 赤く輝く瞳で、リッカは岩壁の向こう側を見据えた。

「……あれはこの場で狩るべきだ」


 大型のバニーを相手にするのは難しいと、リッカは言っていた。

 ネザー・ワーレンで遭遇した大型を倒したのは彼女だ。ハクト自身は小型相手にクリティカルヒットを一度成功させただけだし、それがマンティコアという超大型との戦いでどう変化するのか見当もつかない。


 だがリッカの横顔を見て、ハクトも覚悟を決めた。師匠が決めたのなら、弟子はそれに従うのだ。


 マンティコアを、狩る。


 それにあのマンティコアの出現は――リッカは明言しないが――自分にも責任があるような気がしてならない。


「……狩る? 言うまでもないことですが、バニーは不死身ですよ。ましてあのような巨体、生半可な攻撃では撤退に追い込むことも難しいでしょう。わたしでもどれだけの時間足止めできるか……」

 ハクトは鼻白んでいる様子のミラに言った。

「……ミラ、詳しい話は今できないけど、俺達ワーバニーは、バニーを倒すことができる。そういう技を使えるんだ」


 髑髏スカルマスクの眼窩がハクトに向けられる。

「つまりそれが、リッカさんに師事して習得した技――なのですか?」

「……ああ」

 口を引き結んで、ハクトはしっかりと顎を引いた。


 そのハクトの表情をしばらく見つめていたミラは、小さくため息をつく。

「……いいでしょう。リッカさんがわたしのハクトくんにつまらない技術を教えていないかどうか、確認させてもらいます」

 彼女は車上でハルバードを回転させて構え直した。

「それに……あのような怪物をワーレン内に放置していては、他のハンターが襲われる事故がおきかねません。ギルドとしても何とかしなくてはならないのは間違いありませんから」


 瓦礫の向こうから激しい震動が絶え間なくこちら側へと伝わって来る。


 リッカは横穴の周囲にまで亀裂が広がって行く岩壁を視界に捉えたまま、口元に笑みを浮かべた。

「手伝い感謝する、ギルドマスター」

「ミラで結構です。別にあなたを手伝う気もありません、わたしはわたしのやるべきことをやるだけですので。くれぐれもわたしの邪魔はしないでくださいね」


 束の間、音と地響きが止まる。


 再び衝撃が岩壁に伝わった時、それは轟音と崩壊を伴った。

 瓦礫の向こう側から凄まじい勢いで飛び出して来たマンティコアの巨体が、向かい側の岩壁に衝突して辺りに破片を降らせる。

 マンティコアはすぐにハクト達の方に向き直った。

 超巨大バニーの咆哮が空気を震わせる。


「わたしが行きます!」

 ミラはハルバードの石突を地面に打ち付けた。うなりをあげて槍斧がオレンジ色の光を放つ。

 同時に単車のアクセルを全開にした。


 彼女の目の前に落下してきた岩の塊が、ハルバードによって切断される。


「岩を切断した……? あの力、ただの人のものとは思えないが」

 驚いているリッカに、ハクトが説明した。

「ミラのハルバードはブレイズサイクルの機構を応用したギルド特製なんだ。エッグのエネルギーが攻撃のパワーやスピード、バランスを増強してる」

 無論、そのような複雑な武器を自在に扱えるのはギルドマスターである彼女くらいなものだ。


 純白の単車は、洞穴の天井付近まで岩壁を一気に駆け上がる。


 そこからマンティコアの頭上を目掛けて跳躍した。


 落下の勢いそのままに単車ごと回転し、人車一体の全重量を乗せた斬撃をマンティコアの太い首根元に叩き込む。


「……はああああッ!」

 ミラの裂帛れっぱくの気合と共に、マンティコアの首が斧刃によって斬り裂かれた。


 血飛沫が辺りに舞うなか、着地したミラの白いロングコートが白い花弁のように翻っている。



つづく

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