第20話 二師

「……ハクトくん……なのですか」

 問いかけるミラに向かってハクトは慎重にうなずいた。


 相手はギルドマスターだ。

 ギルドの裏切り者扱いとなっているはずのハクトの話を、まともに聞いてくれるだろうか。


「……ハクトくん……ああ、本当にハクトくんなのですね! よ、良かった、無事でしたか!」

 だがミラは投げ捨てるようにハルバードを手放すと、ハクトの側に駆け寄って両肩に手を置いた。

「し、心配しました! 崖から転落したと聞きましたが、やはり嘘だったのですね!」


「や、やはり……? ミラ、あんたはクロードの報告を受けてこの大探索を決めたんじゃなかったのか?」

「それはそうなのですが、ハクトくんのことについてだけはどうしても腑に落ちなかったのです。あなたはわたしの弟子、ワーレンで相棒を襲うなんて真似をするはずがないですから。クロードくんを疑うのは本意ではないものの……それ以前に師匠が弟子を信じない訳にはいかないでしょう?」


 ミラがギルドマスターという要職に就いたこともあり、ハクトがハンターとしてひとり立ちしてからは彼女との接点もほとんど無くなった。

 それでも彼女は変わらず師匠としてハクトの無実を信じ、気にかけてくれていたようだ。


「何か特別な事情があったのではないかと思いました。ギルドマスターであるわたし自らが大探索の指揮をとることにしたのも、調査の過程であなたの消息が分かるかも知れないと踏んだからです。それがこんなに早く出会えるなんて……来て正解でした」


「ありがとう、ミラ……」

 立場を越えて親身になってくれているミラ。

 ハクトはまだどこか緊張したまま、彼女に笑みを向けた。

「……ふむ」

 ミラの穏やかな様子に、リッカは拍子抜けしたように構えを解く。


「ですが」

 不意にミラの顔がそんなリッカの方を向く。

「……この方はどなたですか? ただ者ではないことは分かりますが、一体ハクトくんとどういう関係なのです」

「この人はリッカ。俺の……師匠だ」


 それを聞いたミラの動きが固まった。


 不自然なほど長い時間動きを止めているので、ハクトが声をかける。

「ミラ?」


 マスクを被った頭部が、くきっ、とぎこちなく傾げられる。

「し……しょ……う?」


 ハクトの肩へ置かれた両手に力がこもり、みしりと肩の腱が鳴った。

「痛ッ……?」


「し、師匠と言いましたか、ハクトくん。ハクトくんハクトくんねえハクトくん。え? な、何を言っているのですか? まったく分かりません。ハクトくんの師匠はわたし。そうでしょう? い、今のは言い間違い。そうに決まっています」

 髑髏スカルのマスクが、ハクトのすぐ目の前まで寄せられる。


「言い間違いではない。ハクトは今、わたしの弟子だ」

 横からリッカが言うと、ミラは再び動きを止めた。


「話せば長くなるけどミラ……俺はもう人じゃない。人とバニーの中間、この人と同じ――」

 ハクトはマントのフードをめくった。彼のウサミミが揺れた。

「ワーバニーなんだ」


「ワーバニー……?」


「もう俺はハンターとしてギルドに戻ることはできない。だから、事前にあんたへ伝えることもできなかった。ごめん、ミラ」

 ハクトはそう言って頭を下げた。

 ハンターとしてひとり立ちした後でも、師匠は師匠だ。

 不可抗力とはいえ、無断で師匠の下を去るのはやはり道理に合わない。謝罪すべきことなのだ。

「俺はこのリッカに師事してワーバニーとしての生き方を学んでる。今はリッカが、俺の師匠なんだ」


「……ハクトくんが……もう私の弟子では、ない……?」

 頭を下げたままのハクトの肩から、ミラの両手が力無く離れた。


「……そ、それはダメです」


 低くそうつぶやき、そのままふらふらと後ずさる。

「それはダメそれはダメそれはダメそれはダメそれはダメそれはダメ……」


 ミラは身を返して地面に落としたハルバードの柄を蹴り上げた。

 浮かせたハルバードを片手に掴む。


 ハルバードを回転させ、その石突で勢いよく地面を突いた。

 ハルバード全体が単車のような駆動音とともにオレンジ色の光を帯びた。


「ハクトくんッ! それはダメですッ!」

 悲鳴のようなミラの声が洞穴に響いた。


 豹変したミラの様子に、リッカが警戒の色を浮かべる。

「おい、ハクト……」

「あの人にごまかしは通じないから事実を伝えるしかなかったけど……やっぱりこうなったか」

 ハクトも身構えてミラに対峙する。


「何だと?」

「……こういう人なんだ、ミラは。非の打ち所がない英雄として知られているけど……昔から、ちょっと過保護なところがあるんだよ」

「ちょっと過保護……?」


 ミラはハルバードを軽々と振り回した。風を切る音とともにオレンジ色の光が彼女の周囲を帯のように照らす。


「ハクトくんはわたしの……わたしの弟子。わたしだけの弟子。誰にも渡しません。だからこの女は殺してしまいましょう。ああいえダメ、それではハクトくんがきっと悲しむ――」

 マスクで覆われたミラの表情は一切分からないが、鬼気迫る早口が続く。


「で、でもわたしではない師匠に染められたハクトくんなんてもうわたしのハクトくんではないですよね。これ以上わたしのものでない状態が続くなんて一秒たりとも耐えられません。そう、ですからあの女より先にハクトくんを何とかしなくては。そうですね、まずハクトくんだけを殺して、次にわたし自らを殺せばいいんですよ。そうすればハクトくんとわたしは……え、えへ。えへへへ……」


 リッカの片頬が引きつっている。

「あれは……ちょっと過保護というレベルか?」

「何というか、自分の思考に飲まれて暴走する癖があるんだよ」

「お前が一度わたしへの弟子入りを拒んだのは……これが理由か」

 ハクトが心もち青ざめた顔でうなずいた。


「決めました、そうですね、そうしましょう。それがいいですよね、ハクトくん! ハクトくんもそう思いますよね、ねえッ?」

 ミラのハルバードがうなりをあげた。大上段から斧刃が振り下ろされる。


 刃は空を切った。

 リッカはハクトと一緒にリープしてその斬撃を避けている。

「……今のは避けなければ当たっていたぞ!」

「だ、大丈夫。ひとしきり暴れたら落ち着くはずだから」

「それのどこが大丈夫なんだ」


 逃げる彼らを追ってハルバードの刃が次々に繰り出される。

 ハクトとリッカは、オレンジ色の光を引いて空を斬り裂く刃を避けることしかできない。

「リッカさんと言いましたね、あなたのせいですよ! ハクトくんは、わ、わたしだけの弟子なのに! ああひどい、それを……それをわたし自ら手にかけなくてはならないなんてッ!」


 避けながらリッカは小太刀を構えた。

「錯乱していても斬撃の鋭さはギルドマスターだな。力づくでも止めなければやられる……ハクトの元師匠相手に忍びないが、多少の怪我は覚悟してもらうか」


 その時、ずしん、という衝撃が三人のいる空間を揺らした。地響きではない。明らかにすぐ側の岩壁から震動が伝わった。

 岩壁が砕け、その一部ががらがらと周囲へ落下する。


 嵐のように振り回されていたハルバードが、ぴたりとミラの頭上で止まる。

「……今のは?」

 彼女の声音に、冷静さが戻った。


 ハクトとリッカも動きを止め、周囲の様子をうかがう。

「また地震だ……今度はでかい」

「いや違う。これは今までのものとは別――」

 リッカの言葉は轟音にかき消された。


 部屋の岩壁が爆ぜるように崩れる。

 岩壁に大きく開いた亀裂の向こう側で、赤く巨大な何かが動いた。



つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る