第48話 天華
「……で?」
エヴァンジェリンが口を開く。
「そんなことよりハクト。エヴァのプディングはどこなの?」
ハクトの反応に少し間が空いた。
「……何言ってんだあんた」
「は? あんたこそ何言ってんの、エヴァはそれを食べに来たんだけど」
「待て、今はそれどころじゃ……」
「はいは~い、プディングなら用意できてるっすよ!」
足音とともに非常階段の方から声が届く。
サブリナがトレイを手に屋上に上がって来るところだった。
その後ろには、ジェイムズとミラの姿もある。
「リッカが急に部屋を出て行ったから何ごとかと思ったけど、やっぱりハクト、帰って来てたのね」
ステッキを突くジェイムズを押し退けるようにして、ミラが前に出る。
「ハクトくんッ? どうしたのですか、その肩は!」
悲鳴のような声をあげながら、彼女はハクトのそばに駆け寄った。
「あ、ああこれはちょっと……傷は塞がっているから大丈夫だよ、ミラ」
「そんな……だ、だとしても尋常ではない傷口ですが……」
そう狼狽するミラだったが、不意に彼女の首がぐりっ、とエヴァンジェリンの方に向いた。
嫌な予感がする。
「もしかして……わたしのハクトくんを傷つけたのは、この人ですか?」
視線に気付いたエヴァンジェリンが、口元に手をやって甲高い笑い声を立てる。
「きゃはっ、何こいつ! いきなりエヴァのことにらんで来たんだけど! ハクトがザコの癖にエヴァに喧嘩売って来たのが悪いんじゃん? ていうかエヴァと立ち会ってその程度の怪我で済んでまだマシな方でしょ、ザコがさぁ!」
「ザコ……ザコ? よく分かりませんね、誰のことを言っているのでしょうか」
ミラの両目に妖しい青い光を宿った。
「まさかとは思いますが……あなたはハクトくんのことを傷つけたうえに……今、罵ったんですか? よりにもよって、このわたしの前で?」
エヴァンジェリンも迎え討つように凶悪な笑みを浮かべる。
「ウケる、ワーバニーでもないただの人なんてザコですらないんだけど。そんなヤツがエヴァをにらんで来るとかさぁ、ザコ以下でも身の程って言葉くらいは知ってるよねぇ? ねぇえ?」
まずい。
予想はできたが、ミラとエヴァンジェリンは混ぜてはいけないタイプの劇物同士だった。二人を止めなければ。
「まあまあ! 君がリッカ姫のお師匠っすよね?」
と、そこへサブリナがエヴァンジェリンの目の前にトレイを突き出した。
上に載った皿でオレンジ色のプディングが揺れている。
「ほ~ら、お待ちかねのプディングっすよ、甘くておいしいっすよ!」
「……まじでプディング作ってるウェイトレスがいるじゃん」
「サブリナ特製、キャロットプディングのレモンソースがけ。どうぞめしあがれ!」
毒気を抜かれたように上目遣いでプディングの皿を受け取るエヴァンジェリン。
そのままプディングをスプーンですくって、ひと口含む。
「……!」
と、エヴァンジェリンの耳がぴくりと跳ね起きた。無言で二さじ、三さじとすくって口に運ぶ。
「どうっすか?」
「……悪くないじゃん」
と、スプーンを咥えたまま応じる。
「気に入ってもらえて嬉しいっす。いや~ちっちゃくて髪がふわふわ、可愛いコっすねえ」
「気をつけろ、サブリナ。そう見えるのはガワだけだから」
「ガワって何よ」
まだ横でミラがただならぬ気配を放っているが、とりあえずの衝突は避けられたようだ。少なくともエヴァンジェリンはすっかり大人しくなった。
ジェイムズが赤黒い空を見上げて細く息をついた。
「それで、空の上にいるアレが……つまり世界の終わりなのよね。リッカの師匠を連れて来るところまでは予定通りだと思うけど、ここからどうするのよ?」
「さあね。エヴァは来いって言うから来ただけだし。で、エヴァが彼岸を離れたからあんな感じでリヴァイアサンが完全顕現しちゃったんじゃん。あんた達もこうなる覚悟はできたんだよねぇ? 今さら何慌ててんの、ウケる」
エヴァンジェリンは屋上の柵にもたれて平然とプディングを食べている。
「またエヴァはそういう底意地の悪いことを言う。ほら、頬にソースが付いてるぞ」
鼻白んでいるジェイムズをよそに、リッカがエヴァの頬を拭ってやる。
「別にホントのことだし」
「師匠……あんたが甘やかすから大師匠はこんなんなったんじゃないのか?」
「だからこんなんって何よ。てか、ねぇそこのウェイトレスさんさぁ」
「うちはサブリナっすよ」
「じゃあサブリナ。このプディング、おかわりもってきてよ」
エヴァンジェリンがハクトの名を呼ぶまでかなり時間がかかった気がするが、サブリナの名はすぐに覚えたようだ。これがスイーツの力だろうか。
「あー……いや、たくさん作ってたんすけどね……今はおかわりを出せなくて……」
「はぁ? 何それ」
「ミラ姫が全部食べちゃった」
と、サブリナがミラの方を指差す。
彼女は悪びれることなく、うなずいた。
「そこにあったものですから。美味しかったです」
「ねぇええええッ? まじこいつ何なの、ありえないんだけど! 勝手に人のプディング食べてんなよ! そこにあったら食べるとか、その辺の犬よりしつけがなってないじゃん!」
「犬は利口ですからね」
「あんたの話をしてんだよッ!」
この二人はどうやってもダメらしい。
文句を続けようとするエヴァンジェリンの声を吹き飛ばすように、凄まじい大音が辺りに轟いた。
「……ッ!」
頭上を覆い尽くす怪物の咆哮だ。
リヴァイアサンの巨体が大きくうねり、その頭部が露になる。
鱗のような棘状の突起でびっしりと覆われた爬虫類を思わせる細長い頭部。
頭頂部から伸びている、耳のような二本の突起。
大きく裂けた口の中に並ぶ鋭い歯列。
深淵を思わせる虚ろなふたつの眼窩がこちらを見下ろしていた。
小さく舌打ちをしたエヴァンジェリンは、空になったプディングの皿をサブリナに投げ返す。
「ここまでね……サブリナ、ちゃんとプディングのおかわり作っとくのよ。後で食べるから」
「り、了解っす」
荒野で逃げている時よりも間近に迫った怪物の姿に、サブリナも気圧されている。
「で、ザコ弟子ども。さっきそこのおじさんが訊いてたけどさぁ、あんた達ならアレ、どうする?」
「どう、と言われてもあんな怪物に小細工が通じるとは思えないけどな」
ハクトの言葉に、エヴァンジェリンは軽く耳を振った。
「ザコの癖に、いいとこ突くじゃん」
「ふむ、もてるすべての力でぶつけるしかないということだな」
「……そういうこと」
エヴァンジェリンは、大きく両腕を広げると胸の前でひとつ大きな柏手を打つ。
ぱん、という音とともに彼女の全身は紅蓮の炎に包み込まれた。
額から二本の角、そして背中から美しい翼が燃え広がる。
その姿を目の当たりにしたリッカは小さく息を呑んだ。
「……さっきのエヴァの口振りからすると、ハクトもこの新しい力を手にしているのだな?」
「ああ、俺も例の“彼岸ノ華”を食べたからな。大師匠みたいに翼を生やしたことはないけど……」
「空も飛ばずにアレをどう相手にすんのよ? あまあまなこと言ってついて来れなきゃ置いていくから」
突き放すようなエヴァンジェリンの言葉に、ハクトとリッカは目配せを交わした。
分かっている。彼女はそういう人だ。
ハクトは拳を、リッカは踵を足元に打ちつけた。
ハクトは眩い雷光に、リッカは凍てつく冷気に包まれる。
鋭い一本の角が、ハクトの右こめかみとリッカの左こめかみに生じた。
その二人の背中には、美しく赤い翼が鮮やかに広がっている。
つづく
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