第23話 羽兎

 ミラの単車はマンティコアの足元に向かって勢いよく滑り込む。鋭くスピンする単車にハルバードの遠心力を乗せて、怪物の左足首を斬り裂いた。

 叫び声と共に体勢を崩すマンティコアに向かって、今度はリッカが上から岩壁を蹴る。


 手にした小太刀が、巨大バニーの右脚を一瞬で根元から切断した。

 たまらず音を立てて地面に転がるマンティコア。


「師匠!」

「まだ倒してはいない、動きを止めてから仕留める!」

 地面でもがくマンティコアを見据えながら、彼女はポーチからエッグを取り出してかじった。

 細い道だ。マンティコアの巨体は半分道から落ちかけている。


「構えろ、ハクト。二人で息を合わせて、マンティコアのクリティカルポイントを全て断つ」

「分かった」

 ハクトはバイクを降りて、地面に拳を当てた。足元から広がるテリトリーの中から再び刀を手に掴む。


「……彼女、今エッグを口に入れませんでしたか……?」

 マスクの眼窩をまじまじとリッカに向けているミラに、ハクトが言う。

「後で説明するから……とりあえず距離を取ってくれ、ミラ」


 ステア――。


 崖の縁でもがいているマンティコアの動きに目を凝らす。

 彼岸ノ血脈に繋がった怪物のクリティカルポイントが、視界に浮かんだ。


 今度は失敗できない。

 ハクトは腰を落として狙いを定めた。


 と、その時マンティコアがひと際大きく咆えた。

 怪物の背中が不自然に大きく盛り上がり、血飛沫をまき散らしながら裂ける。

「え……ッ?」


 背中の裂け目から飛び出して来たのは、赤い羽に覆われた翼だった。

 巨大なマンティコアのさらに倍ほどはある、長大な一対の羽。


 翼が広がった勢いで、マンティコアの身体は崖下へと滑り落ちる。

「い、今の何だッ?」

 崖際まで追いかけて下を覗き込んだハクトの顔を、下からの強烈な風圧が襲った。


 翼が巻き起こした風だ。

 一五メートルはあるマンティコアの巨体が、両翼を大きく羽ばたかせて崖の上まで浮き上がっているのだった。


 その姿を見上げたハクトの口の端が自然と歪む。

「……マジかよ……」

 ミラもリッカも呆気に取られている様子だ。

「つ、翼……」

「飛んで……いるだと?」


 マンティコアがもう一度大きく羽ばたいた。翼の巻き起こす風に、思わず腕で顔を覆う。

 再び顔を上げた時、すでにマンティコアはワーレンの入口付近まで飛び去っていた。


「……しまった」

 ハクトとミラが同時に単車のアクセルを握り、ハクトの背後にミラが飛び乗った。

 アクセルを全開にして、縦穴を巡る坂道を一気に駆け登る。


 岩壁の崩れる音がして、縦穴へ破片が落下していくのが見えた。

 マンティコアがワーレンの入口を突破したのだ。

「いけません、外に……!」


 外光が差し込んでいて明るくなっている部分が見えてきた。

 だが螺旋状の坂はまだ先が長く、もどかしい。

 ハクトの長い耳に、爆発音と断続的な銃声が届く。人々の悲鳴と怒号も聞こえた。


「……くそ、バニーが空を飛べるなんて聞いたことがないぞ!」

 焦りでアクセルを握る手に力がこもるが、すでに単車は全速力を出している。

「……進化、したのだな」

 リッカが言った。

「進化って……」

「彼岸ノ血を取り込んで自らを変異させたのだ。そう考えるしかないだろう」


 ワーレンでエッグを採集して生活の糧とする――。

 ハクト達はそうしたシンプルな人の営みを続けてきた一方で、ワーレンやバニーのことについては何ひとつ分かっていなかったのだ。


 ようやくたどり着いたワーレンの入口はマンティコアに破壊されてふた回り以上広がっていた。

 翼を生やした怪物は着地しており、その巨体が傾きかけた陽光に照らされている。

 斬り裂かれていた怪物の両脚は再生を終えている。


 煮炊きに使っていた焚き火が散らばったのか、ギルドの拠点やハンターのキャンプ等のあちこちから火の手が上がっていた。


 マンティコアを取り囲んだハンター達がライフル弾を一斉に浴びせかけている。怪物の足止めはできているようだが、ダメージが通っている風には見えない。


 と、マンティコアが無造作に振るった腕に弾き飛ばされたハンターのひとりがハクト達の側に転がった。

「……だ、大丈夫か」

 耳を隠している暇はない。

 慌ててハクトがそのハンターを助け起こすと、相手は痛みをこらえつつ何だあの化け物は、と呻いた。

 地面に転がった時に身体を打ったようだが、無事であるようだ。


 ミラはマスクを外して素顔を曝すと、辺りに声を声を張り上げた。

「みなさん危険です、ただちに撤退してください! そのバニーは特異個体、マンティコア! 通常の装備では太刀打ちできません!」

 単車を走らせながら、周囲に繰り返し呼びかけた。

「撤退してください! 大探索は中断します! 身の安全を確保してください!」


 何台か車両が破壊されていたが、さいわいまだ動けなくなるほどの傷を負った者はいなかった。車両や徒歩で、まばらに散らばりながらミラの指示通りにワーレンの周囲から撤退していく。

 ハクトが助け起こしたハンターも慌ててそれを追って逃げていった。彼のウサミミを気にしている余裕も無かったようだ。


 マンティコアがこの場を離れていく人々を追う気配は無い。


 破壊された貨物車両のひとつ、鉄格子を積んだ荷台に近付いていく。鉄格子のなかには、鎖で固定された巨大エッグがあった。

「やっぱりあのエッグが目当てか……!」

「これ以上彼岸ノ血を取り込んだらあのマンティコアがどう変異するか知れたものではない。今度こそクリティカルヒットを決めるぞ、ハクト!」

「ああ!」

 リッカに肩を叩かれたハクトは単車のアクセルを噴かせた。


 マンティコアは鉄格子の隙間に爪を入れると力任せに押し曲げ、そのまま頭上高くに放り投げる。

 空中から落下した鉄格子は曲がった場所からばらばらに壊れた。


 地面に転がった巨大エッグにマンティコアが一歩を踏み出すのが見える。


 その時、ハクトの目の前でマンティコアの足元が爆発した。

 思わず単車を停めるハクト。


 向かい側から単車で接近してくる、クロードの姿に気付く。

 クロードは車上でグレネードのピンを抜き、マンティコアに投げ付ける。


「いけませんクロードくん! 撤退してください!」

 ミラの呼びかけを無視し、グレネードの爆発に紛れながら高速でマンティコアに向かっていくクロード。

 単車を急旋回させながら鎖を掴み、その先に繋がった巨大エッグを拾い上げた。

「なるほど、これだけ巨大なエッグなら、呼び寄せるバニーも巨大という訳だね!」

 クロードに向かって咆えるマンティコア。

 彼は残ったグレネードのピンを抜き、グレネードポーチごと巨大なバニーに投げつけた。

「でもこのエッグは僕のものだ! バニーの餌にするつもりはないんだよ!」


 ひと際激しい爆発が空気を震わせ、ハクトとリッカは反射的に車上で身を低くした。


 すでにクロードは立ち昇る粉塵に背を向けて単車を走らせている。そのまま撤退する気だ。

 だが次の瞬間、粉塵を吹き飛ばしてマンティコアは一気に彼との距離を詰めていた。


 猛スピードで単車を駆るクロードの真横に、翼を広げたマンティコアが並ぶ。

 クロードは飛翔する怪物の巨体を見上げて、言った。


「グレネード全弾ぶつけても無傷だなんて――反則だよね……!」


 彼がライフルの銃口を向けたのと同時に、マンティコアの腕が薙ぎ払われた。

 怪物の爪は彼の防具を突き破り、腹部の肉を深々と引き裂いた。



つづく

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