第24話 咆哮
単車の座席から投げ出されたクロードは地面に倒れて動かなくなった。
彼の周囲に血だまりが広がる。
エッグは――クロードの手を離れ、彼の側に転がっていた。
地面を滑りながら着地したマンティコアが激しく咆哮をあげる。
ハクトとリッカは単車から跳び降りて、マンティコアの前に立ち塞がった。
同時に足元へマークし、刀と小太刀のタスクを手にした二人の両目が赤い光を放つ。
「行こう、師匠」
「うむ」
ステアによって視界に広がる彼岸ノ血脈。
ワーレンの中より密度は減っているが、マンティコアを繋ぐクリティカルポイントは五箇所――いや六箇所ある。
マンティコアがその両翼を大きく広げた。
また飛ぶ気か――?
その翼の向こう側に、高く跳ぶ白い単車が現れた。下半身だけで単車を操っているミラは、ハルバードを両手で掴んでいる。
上空からオレンジ色の斧刃がマンティコアの翼に振り下ろされた。
斬撃とともに辺りに赤い羽毛と鮮血が激しく飛び散り、マンティコアが身もだえする。
「わたしにはまだ見極めることができていませんが――」
ミラは着地した単車のうえで槍斧を回転させ、バニーの軸足を薙いだ。怪物の体勢が大きく崩れる。
「二人の技には何か特別なものを感じます。見せてください、その力!」
「望むところだ」
リッカの唇に笑みが浮かんだ。
視えるクリティカルポイントは、右胸、左肩、右肘、左翼、左腿、そして――。
首。
今だ、跳べ。
「リープッ!」
ハクトは地を蹴った。
同時に、周囲の時間が止まったように感じる。
静止した世界で、自分以外に動いているのはリッカだけだ。
ハクトの刺突が怪物の右胸を貫き、そのまま左肩へ斬り上げる。
リッカの斬撃は左翼を裂き、左の腿を斬り下げた。流れるように閃いた彼女の小太刀はマンティコアの右腕を肘から切断している。
空中にいるハクト。
大上段から振り下ろした刀が、マンティコアの首根本に深く入った。
クリティカルヒット。
周囲の時間が動き始める。
着地したハクトのかたわらに、マンティコアの巨大な頭部が落ちた。
噴き上がったバニーの血が辺りに雨のように降りしきるなか、地響きを立ててその巨体が倒れる。
「……」
ハクトは肩で息をしながら、自分の師を見やった。
彼の視線を受け止めたリッカは、笑顔でうなずく。
「……上出来だ」
それを聞いてハクトの口元にも笑みが浮かんだ。
マンティコアを倒した。
異様な巨体は崩れるように地に染み込んで消えていく。
「た……倒したというのですか、本当に……あのバニーを……マンティコアを? 信じられません……」
その様子を見守るミラの青い瞳は、驚愕に見開かれていた。
そこへかすかなうめき声が届く。
見るとクロードが血塗れの身体を引きずり、巨大エッグに手をかけている所だった。
「ク、クロードくん! 動いてはいけません、今手当てを――」
駆け寄ろうとするミラに、クロードはライフルの銃口を向けた。
「……そ、それ以上、近付かないで……」
「え……」
クロードは巨大なエッグを抱きかかえるようにして身を起こした。彼の腹部からは今も濃い血液が溢れ出ている。
「照準が覚束ない……下手したらあなたの頭を撃ち抜いてしまうかも知れないよ」
「な、何を言っているのですか? すぐに洗浄と応急処置をしてギルドの治療を受けるべきです!」
「ギルドには戻れない」
クロードはそう口にするなり、したたかに血を吐いた。
自分の血に汚れた蒼白な顔で続ける。
「だってハクトがそこにいるから……彼の話を聞いたんだろう、ギルドマスター。そしてそのうえでハクトと行動をともにしているということは……つまり、それがあなたの裁定なんだ」
「……」
ミラは一瞬、口を噤んだがすぐに続けた。
「……治療を受けなさい、クロードくん。あなたのやったことを問い質すのはそれからです。そして罪を犯したのなら、しっかりと罰を受けて償うのです」
クロードは肩を震わせるようにして笑った。
「罪を……償うだって……? あは……僕に罪なんかないよ。ないとも。あるのは、僕が巨大なエッグをワーレンから持ち帰ったという事実だけだ。その……曇りなき栄誉だけだ。だからそう、ギルドマスター……あなたの裁定が、間違っているんだ」
ハクトが口を開いた。
「……諦めろ、クロード。傷が深い……そのまま意地を張っていてもバニーになるか、死ぬだけだぞ」
クロードはハクトに悲壮な目を向ける。その両目から涙のように赤い液体が流れ出た。
「……ふざけないでよ、ハクト……諦めるはずがないじゃないか。僕がそんな半端な覚悟でこのエッグを持ち帰ったとでも言うのかい? あはは、僕を見くびらないで欲しいな! ここで諦めるくらいなら、最初から別の道を選んでいるッ!」
「クロードッ!」
「もういいです、クロードくん。主張したいことがあるなら、正式な裁きの場でしてください。今は傷を――」
ミラが一歩を踏み出すと同時にクロードのライフルが火を噴いた。弾丸がミラの頬を掠める。
「近付かないで、と言ったはずだよ……」
「……!」
クロードはもう一度大量の血をその場に吐き出した。
「そ……それに僕はね……このままバニーになるつもりも、死ぬつもりもないんだよ……ハクト。君だって瀕死の状態から生き延びることができたんだしね……」
彼は赤く染まった虚ろな瞳でハクトを見つめている。
「……その新しい身体と力を手にいれたのは……エッグを食べたから、なんだってね?」
「……おい、クロード!」
不意に戦慄がはしった。
「あは、あはははッ! ならやることは決まってるよねッ? そうさ、こんな所で僕が終わる訳にはいかないんだッ! 君のことを殺す約束だものね、ハクトッ!」
「やめろ、クロードッ!」
制止する間もなく、クロードは抱きかかえていた巨大エッグにかぶりついた。噛まずに飲み込み、さらにもうひと口かじって飲み込んだ。
「……愚か者……!」
リッカが低い声で言った。
だがその声は、辺りに響き渡るクロードの絶叫にかき消されている。
全身の苦痛を紛らわせるためか、クロードは地面に額を何度も打ち付ける。その部分が割れて血が噴き出た。食い縛った歯が破片を飛ばす。
それでも硬直して筋張った手を伸ばし、エッグを削り取ると口に押し込んだ。
傷からの大量の出血に加え、彼の目や耳や鼻からはとめどなく赤い液体が溢れていくが、エッグを食べる手は止まらない。
もはや人の形をした赤い塊がエッグを貪り食っているようにしか見えなかった。
「クロードくん……なぜ……!」
ミラはその凄惨な光景に、蒼白な顔で口元を押さえている。
「……師匠、クロードは……」
ハクトがリッカを見ると、彼女は小さく首を振った。
「あのまま意識を失うだろう。ワーバニーではなく、バニーになるだけだ。お前がケリをつけてやれ」
「……」
果たしてクロードは、赤い液体に塗れたまま動かなくなった。
その右手には、巨大なエッグの最後のひとかけらが握られたままだ。
ハクトは静かに刀のタスクを構え直す。
だが、その時。
「おおおあああああああああッ!」
喉が張り裂けんばかりの咆哮とともに、クロードの全身が仰け反り、血塗れの額が地面に激しく打ち付けられた。
どくん。
クロードを中心に、まばゆく輝く赤い円が広がった。
「……ッ?」
テリトリー……?
光る円はすぐに消えた。
そしてクロードの姿も、その場所から跡形もなく消え失せていた。
つづく
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