第25話 帰還

 傾いた日差しが、ハクト達の影を長く伸ばす。

 耳をつんざくような叫び声の余韻は消え、吹き抜ける風に草木の揺れる音がするばかりだ。


 直前までクロードが倒れていた場所には、彼が作った血だまりだけが残っている。

「……き、消えましたよ……?」

「うん……」

 ミラがハクトの方を見るが、ハクトにも何が起こったか理解できていない。

 彼はそのままリッカの方を見た。

「師匠、今の赤い光、テリトリー……だよな。あいつ、マークを使ったのかな」

「うむ……わたし達は意識的にマークという技を使ってテリトリーを展開しているが、そもそもは彼岸由来の力だ。奴はバニーになりかけていたゆえ、本能的に同じような技を繰り出すことができたとしても、ありえない話ではない」


 だとすれば、リープの力をも自力で発現させたということになるだろう。

 クロードの姿は今、影も形もない。


「……じゃあ、クロードはまだ生きている……?」

「バニーとしては、あるいはな。だがその存在をクロードと呼べるかどうかは疑問だ……クロードという、あの男の人格は喪われているはずゆえ」

「……」

 そうハクトに告げて、リッカはマンティコアの倒れた場所に足を向けた。


 そこには大ぶりのエッグが無数に転がって、夕陽の反射してきらめいている。


 それを見たミラが感嘆の声をあげた。

「これは……凄いですね、エッグがこんなに。一体どこから?」

「バニーを倒すとそこにエッグが生じるのだ。マンティコアのような巨体ともなれば、さすがに量が多いな」

「バニーから、エッグが……?」

 不思議そうに繰り返すミラの目の前で、リッカはエッグのひとつを拾い上げるとそれにかぶりついた。


「ちょッ! ちょっと何をしているのですか、リッカさん! 今しがたエッグを食べたクロードくんがどうなったか見ていなかったのですかッ? ペッしなさい、ペッ!」

 リッカの肩を激しく揺さぶるミラの横で、ハクトも拾ったエッグをひと口かじった。

「うわあッ? ハクトくんッ!」

「安心してくれ。クロードと俺達は違う。ワーバニーはエッグを食べて失った体力を回復させるんだ」

「……ッ?」

 ミラは口を開きっぱなしのまま絶句している。


 平気な様子でエッグの回収を続ける二人を見て、彼女は吐息を漏らすように笑った。

「……長年ギルドにいますが、今日は知らないことばかり見聞きします。ギルドマスターとしての自信を失いそうですよ」

 エッグを頬張りながら、リッカは肩をすくめる。

「気持ちは分かる。わたしもこの短時間で想定外のことが重なり過ぎたように感じている。ここは一度引き上げて、状況を整理する必要があるだろう」

「そうだな……エッグを回収したら、セーフハウスに戻ろうか、師匠」

「うむ」

 リッカはポーチからスキットルを取り出して、中の酒をあおった。


「ええ……リッカさんの言う通り、今回のことは状況を整理してギルドに報告しなくては」


 ミラはあらためて辺りを見回す。

 クロードの作った血だまりで目を止めると、しばらくして口を開いた。


「……ねえハクトくん。クロードくんの先ほどの口振りでおおよその察しはついていますが、念のため確認させてください」

「ん?」

 あらかたエッグを回収し終えたハクトは腰を伸ばしながらミラに顔を向ける。


「本当は……彼なのでしょう? ワーレンで相棒のあなたを裏切ったのは。彼はあなたの手柄を奪い、あなたを縦穴の底へ落として殺そうとした……違いますか?」

 さすがに、ことここに至ればあえて語らずとも分かってしまうものらしい。

「……」

 ハクトは黙ってうなずいた。


 ミラは大きく溜息をついて、ボブカットの髪を指で梳く。

 夕陽の逆光になっていて、その表情ははっきりとは見えない。


「そうですかそうですか……クロードくんときたら、よりによってわたしのハクトくんにそんな真似を……ね」

 髪に手をやったまま天を仰いだミラの、唇だけが早口で動く。

「許せませんね。ええ許せませんよ、何を勘違いしていたのでしょう。本当に許せない、ハクトくんを殺していいのはわたしだけだというのに、ねえハクトくん。ああでも、クロードくんの欺瞞を見破れなかったわたし自身も許せませんね。許せないと言えば、ハクトくん、あなたはどうして先に教えておいてくれなかったんです? あらかじめ事実を確認できていれば、クロードくんにやって良いことと悪いことの区別を分からせることができていたはずなのに。ああもう、全てが許せなくて何だか愉快になってきましたね、え、えへへ……」

 またも自分の思考にとらわれて不穏な空気をまとい始めるミラから、ハクトとリッカはそれとなく距離を取った。

 そっと後ずさりして単車の方に近付く。


「どこに行くんですか?」

 いきなりミラの首がぐりんと回ってこちらを向いた。

 ハクト達は思わずびくりと身をすくめる。


「……そろそろ、帰ろうかと……」

「状況を整理する必要があると言いましたよね? 二人も一緒に来てください」


「い、いやしかしもうすっかり陽が傾いているからな。今日の所は解散した方がいいと思うが」

「そ、そうだね。そういうことだからミラ、俺達はこれで……」

 ミラが大股で歩み寄り、異様に強い力でリッカとハクトの肩を掴んだ。

「ひッ」

「……異常事態が起こっていると考えるべきです。全容を把握するためには当事者であるあなた達の証言が欠かせません。何より明らかに普通の存在ではないあなた達について、しっかりと話を聞かなくてはならないでしょう……」


 逆光のなか、爛々と光るミラの青い瞳が迫る。

「まさかこのまま……逃げられるとでも……思っているのですか……?」


「……」

 怖すぎる。


 こうしてハクトとリッカは、大人しくギルドマスターに連行されることにした。


 夕刻。

 三人がオリエンテムレプスに戻ると街は騒然としていた。

 マンティコアという仮説上の怪物が出現したことが知れ渡っているのだ。

 そこへギルドマスターが無傷で帰還したことで歓声が沸き、誰しもが彼女の話を聞きたがった。


「特異個体マンティコアは処理しましたので、ひとまずは安心してください。詳しい経緯はまたあらためて説明します。ただし状況はいまだ不透明です。ギルドから正式に案内を出すまで、ハンターのみなさんはワーレンでの活動を控えるようにしてください」

 ミラはそれだけ周囲とギルドスタッフに告げ、ハクトとリッカをギルド本部内に引き入れた。


 二人とも黒いマントで耳と尻尾を隠している。

 ワーレンに向かう時着ていたマントは戦闘中に脱ぎ捨てていたが、リッカの単車に予備を積んであったのだ。


 ギルド本部の最上階――そこはフロア全体がギルドマスターであるミラの執務室と私邸に割り当てられていた。

 てっきり無機質な取調室のような場所に連れて行かれるものと覚悟していたハクトは、彼女の豪華な私邸に通されて少し拍子抜けした。

 “白百合”の異名をもつミラにふさわしく、白を基調としたインテリアで整えられた瀟洒しょうしゃな空間だった。


「……今日のような不測の事態を速やかに収束できたのは、二人の協力があってこそ――」

 戸惑いを隠せないまま室内を見回しているハクト達の背に、ミラが声をかける。


「ギルドマスターとして、まず二人にはお礼を言わなくてはいけません。ハクトくん、リッカさん……ありがとうございます」

 振り返った二人に、ミラは青い瞳を細めて笑顔を見せた。



つづく

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