第45話 火雷

 エヴァンジェリンは、大太刀を肩に担ぐように携え、悠然と歩いて距離を詰めて来る。

 小柄な体格に似合わないあの長大な刃が、彼女の得物のようだ。


「……タスク」

 エヴァンジェリンはテリトリーを展開することなく、何もない場所からあの武器を手に入れていた。


 テリトリーは彼岸と此岸の境界で、タスクは境界を通じて彼岸から呼び出す武器だという。

 そして今ハクトがいるこの場所は、彼岸だ。

 ならば――。

 半信半疑で右手を中空にかざす。


 そこに赤い刀が出現して彼の手の中に収まった。

「よし……!」

 彼岸という空間の中ではテリトリーが無くてもタスクを手にすることができる――そういう理屈なのだろう。


「ふぅん……」

 エヴァンジェリンがその様子を見て片眉をあげた。嘲るような笑みは絶やさない。

「それなりに勘はいいみたいね、お兄さん。けどさぁ――」

 喋りながら彼女は軽く地を蹴った。その瞬間に姿が消える。


「リープかッ?」

 考えるよりも先にハクトも動いていた。

 クロードと戦った時に得られた感覚だ。リープという一瞬で動く技に対して、同時にリープすれば相手の動きを捉えることができる。


 すでにハクトとの距離を詰めているエヴァンジェリン。

 大太刀の刃が、彼の首元に迫っていた。


 刃を合わせたが、勢いを殺しきれずにそのまま弾き飛ばされる。

「シンプルによわよわなんだよね! ねぇ、どこのザコが、誰をただじゃおかないって? ねぇえッ?」


 踏みとどまる両足が数メートル後ろに滑って赤い花弁をまき散らした。

 刀をもつ腕がしびれている。

 あの小柄な体格から生み出されたとは思えないような力の強さだ。


 ハクトは刀の柄を握り込み、相手に向かってリープした。

 懐に入って大太刀の間合いを潰すのだ。


 エヴァンジェリンが大太刀を振り切る前に彼女へと肉薄したハクトはそのまま刀を振り下ろす。

 少しくらい怪我をしてもらった方が大人しくなるだろう。


 しかし直後、ハクトは顎に衝撃を受けて仰け反った。

「……ッ!」

 下から真っ直ぐに伸びたエヴァンジェリンの踵が、彼の顎を蹴り飛ばしたのだ。

 ハクトはそのまま身体ごと反らせて後ろに転身した。間髪入れず薙ぎ払われた大太刀がその上を掠める。


 身を起こしたハクトは切っ先をエヴァンジェリンに突き付け、追撃を牽制した。


 彼女は薄笑いを浮かべ、二の太刀を頭上で止めている。

 赤く光る瞳で、刀の切っ先を見下ろしていた。

「ザぁコ。エヴァが自分の間合いを把握してないとでも思った? 洞察力も判断力も応用力もザコ。話になんないなぁ、お兄さん」


 この大師匠は間違いなく、強い。

 傲慢すぎるエヴァンジェリンの態度は、確かな実力に裏付けされている。

 両目に意識を集中させても、相手のクリティカルポイントは視えない。此岸でなければ彼岸ノ血脈が現出することはないらしい。

 クリティカルヒットによる一発逆転も見込めないということだ。


 だが――。

 ハクトは刀を構え直した。

「……まだだ。この程度で諦めるくらいなら、わざわざこんな所まで来るものか」

 喰らいつけないほどではない。


「そんなのエヴァの知ったことじゃないし。ってかこっちには時間が残されてないって言ったよね? いい加減お兄さんの相手してる暇なんて無いの。ザコの癖にさぁ……調子に乗るなッ!」


 鋭い声と同時に突如エヴァンジェリンの足元から突風が吹き上がり、辺りに咲く赤い花を散らせた。


「く……ッ?」

 思わず腕で顔を覆う。 

 無数に舞い上がる赤い花弁が、空中で炎をあげて燃え散った。


 肌を焼くような熱気を感じる。

 顔を覆う腕の下からただならぬ気配を放つエヴァンジェリンを見たハクトは、そこで息を飲んだ。


 彼女の両こめかみの辺りから、赤く燃え上がるような二本の角が生えていた。

 そしてその全身は、渦のような火炎に包まれている。


「まさか……」

 その姿に、ネザー・ワーレンで対峙したクロードの面影が重なる。

 クロードが身に帯びていたのは炎ではなく雷だった。角の数も違っている。

 だが目の前にいるエヴァンジェリンの姿は、彼が見せた変異と明らかに同種のものだった。


 炎を身にまとう彼女は、右手の大太刀を真っ直ぐ横に伸ばした。

「これが真のタスクよ。ザコ相手だろうが、全力で終わらせる」


 長い刀身が燃え上がる。

「此岸で死んだら彼岸に行くって言うけど、彼岸で死んだら逆に此岸に戻んのかな。そのまま彼岸に還っちゃうか。別にどっちでもいいや。とりま目障りだからエヴァの目の前から消えてくんないッ?」

 渦巻く火炎の塊と化したエヴァンジェリンが一瞬でハクトに迫る。

 薙ぎ払われた大太刀が、その軌道上の花畑を紅蓮の炎に染めた。


 後ろに跳躍して避けながら、ハクトは刀を上段に掲げる。

 少しくらいの怪我――では生ぬるい。手足の一本でも奪うくらいで掛からなければ、大師匠の動きを止めることすらできなさそうだ。


 燃え上がる炎の壁に突っ込むように、ハクトは彼女に目掛けてリープした。

「はあああッ!」

 炎の渦を、左上段から袈裟掛けに全力で斬り下ろす。


 手応えは、無い。

 斬りつけたはずのエヴァンジェリンが、炎のように揺らめいてその場から姿を消す。


「――!」

 ハクトは小さく息を吸った。炎の熱のなか、不意に背筋が冷たくなる。


 斜め頭上に見えたのは、大太刀を振りかざすエヴァンジェリン。

 その表情から、薄ら笑いは消えていた。


 咄嗟に刀を立てて防御する。

 が、全身を使って放たれた豪剣は受けるハクトの剣ごと無理矢理肩口に押し込まれた。


 エヴァンジェリンの口元から、低い声が漏れる。

「……ザコが」

 爆炎とともに大太刀が引かれ、ハクトは鮮血をまき散らしながら炎に包まれて十数メートル近く吹き飛ばされた。


「が……は……ッ!」

 赤い花を吹雪のように舞い散らせて地面に転がるハクト。

 全身を包んだ炎はすぐに消えた。だが骨の辺りまで斬られた左肩から、とめどなく血が溢れ出る。


「あーあ、まじ無駄な時間じゃん」

 と、血振りした大太刀を鷹揚に肩に担ぐ。エヴァンジェリンはもうハクトに背を向けている。


「……はあッ……はあッ……」

 出血の脈動に合わせてハクトの全身が脈打つ。

 仰向けに倒れて荒い息を繰り返す彼の目に、夜のように深い青空が映った。

 次第に狭くなっていくその視界の先で、ひと際鮮やかな赤い花が揺れる。


 ハクトはぎこちなく指を花に伸ばしてそれを引きちぎると、無造作に口に押し込んだ。

 血が満ちた口でむせながらも、必死で赤い花弁を飲み下す。


 ワーバニーは彼岸ノ血が結晶化したエッグを食べれば回復する。

 彼岸に生える花にも、似たような効果があるのではないか。


 少し、指に力が入るようになった気がする。

 別の花を茎ごと引き抜き、赤い花を口でむしり取って飲み込んだ。


「はあ……はあ……」

 全身を脈打たせるような激しい鼓動が治まっていく。荒い呼吸も次第に落ち着きを取り戻した。

 大きく深呼吸をすると、その呼気に赤い火花がぱちりと散った。


「……」

 ハクトはゆっくりと血に濡れた上半身を起こす。

 何かこれまでにない力が全身に満ちていた。


 ぱちり、ぱちりと彼の肌の上を赤い火花が奔る。

「真の、タスク……か」


 膝立ちになったハクトは刀を逆手に握り、その刀身を思いっきり地面に突き刺した。

 その瞬間、凄まじい轟音とともに彼の身体から赤い雷光が迸る。


 その音に、こちらを振り返るエヴァンジェリン。

「……!」


「よりによって、お前と同じ力だったとはな……クロード」

 ゆらりと立ち上がったハクトの額――右のこめかみから、鋭く赤い角が伸びている。



つづく

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