第46話 脱兎
斬られた左肩の傷はまだ塞がっていないが、腕が動くほどには回復した。やはり辺りに咲く赤い花は、ワーバニーにとってエッグのような効力がある。
いや、恐らくはそれ以上――かつてクロードが使った赤い雷をハクトがその身に宿すことができたのも、この花の力によるものだろう。
理屈は分からない。
タスクが武器の記憶を呼び出すものだと聞いたが、同じようにクロードと対峙した記憶がハクトに同じ力をもたらしたのかも知れない。
とにかく、これでもう一度戦える。
ハクトは地面に突き立てた刀を順手に握り直し、引き抜いた。
雷鳴とともに赤い電刃が光芒を放つ。
こちらに向き直ったエヴァンジェリンが、ため息をついて軽く顎を反らせた。
「……まだやんの?」
「ああ。俺があんたを連れて帰るのを、師匠は今も待っているからな」
刀を引き手に構え、彼は口に溜まった血を横に吐き捨てた。
「……師匠は“鎮め”にびびって逃げたんじゃない。世界の崩壊に立ち向かう覚悟を決めたんだ」
薄笑いを浮かべ、担いでいた大太刀を振り下ろすエヴァンジェリン。
「ふぅん……自分と引き換えに世界を守る――そのさだめを受け入れる覚悟は無いのに?」
「あんたも、さだめって言葉を使うんだな。そんな理不尽なさだめなんてあってたまるか……!」
「理不尽……? きゃはははッ!」
エヴァンジェリンは甲高い笑い声をあげた。燃え上がるような瞳でハクトをにらみ据える。
「ウケる、何あまあまなこと言ってんの、お兄さんッ! そんな次元の話じゃなくない? 世界がそういう仕組みなだけ。この世界のできごとは本質的に前触れがないし、辻褄合わせもないの!」
「――!」
その言葉は、初めてリッカと会った時に彼女が口にしたものだった。
「遅かれ早かれ人の生は必ず終わる。それを理不尽だとか言うヤツいる? ただの決まりごとじゃん。そういうのをさぁ、さだめ――って言うんでしょ。ワーバニーにとっての“鎮め”も同じだっつってんの。不老不死のワーバニーの生が終わるのは、“鎮め”の時なんだもん」
――それがあるがまま、自然の理だ。
脳裏に、彼岸について語ったリッカの声が蘇る。
エヴァンジェリンとリッカは、確かに師弟だ。考え方にどこか通底するものがある。
「だからさぁ……その決まりごとを無視してわがままを通そうとするお兄さんには、エヴァすごくムカついてんの。ワーバニーになりたての、しかもエヴァに手も足も出ないようなザコが、自分の身勝手でエヴァの覚悟を日和っただの言って踏みにじってくるんだから、当然だよねぇッ?」
エヴァンジェリンの大太刀が燃え上がり、その炎が彼女の全身を包み込んだ。
炎の奔流とともに迫るエヴァンジェリンの大太刀が、空を切る。雷光を残し、ハクトは上空へと避けていた。
「……あんたの怒りは理解できる。これがわがままってことも。俺は師匠と別れたくない、確かに身勝手なわがままだ」
空中で大上段に刀を構えるハクト。落雷のような太刀筋が、エヴァンジェリンに振り下ろされる。
大太刀のひと振りでそれをいなした彼女だが、ハクトから繰り出される剣撃は止まらない。
炎と雷が幾合もぶつかり合い、彼らの周囲が見る間に焦土と化す。
「けど、それだけだ! 一緒にいたい、たったそれだけのわがままだ、それの何が悪いッ? なあ、あんたと師匠は違ったのか。決まりごとだからって割り切れるのか!」
ハクトの叫びが電撃をまとう。
「嫌じゃ……なかったのかよッ!」
「だったら、何ッ?」
エヴァンジェリンの叫びは、炎と化した。
下段からの斬り上げが爆炎となって空気を焼く。入り身に避けたハクト、銀髪の毛先が少し焼かれた。
「別れるのが嫌だったら、世界が滅んでもいいのッ? こっわ、あんた頭おかしいんじゃないのッ?」
エヴァンジェリンの口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。
「ワーバニーは不死身だから、世界の崩壊を乗り切れるかも知れない。けどその先にある何もないザコ世界でエヴァ達だけが永遠に生き続けるの。何それ、引くほど終わってないッ? そんな寂しい思いをするぐらいなら、死んだ方がマシじゃん!」
後ろに跳んで横薙ぎの太刀筋を避けるハクトに向かって、エヴァンジェリンはさらに大きく踏み込む。
「でもエヴァが世界を守れば……ッ! 少なくとも弟子には――リッカには、寂しい思いをさせずに済む! そう考えるしかないじゃんッ!」
渾身の斬り下げに、再び辺りは業火に包まれた。
「――!」
エヴァンジェリンは、大太刀を振り切ることができていない。
「……安心したよ」
激しい炎に包まれてなおハクトはしっかりと地を踏みしめ、彼女の豪剣を刀で受け止めていた。
「やっぱりあんたは、師匠の師匠なんだな……」
ハクトから放たれる轟雷が火炎を散らす。
同時にエヴァンジェリンの大太刀も大きく弾かれた。
「この……ザコ……ッ!」
それでも彼女は体勢を崩していない。返す太刀がハクトの首筋を薙ぎ払う。
だがその刃が捉えたのは、雷の残光だった。
ハクトの刀は、すでにエヴァンジェリンの首筋に当てられ、皮一枚でぴたりと止められている。
「……」
軽く息を弾ませながら、ハクトの刃を見つめるエヴァンジェリン。しばらくして、不意に彼女の頭部から二本の角が消失した。同時に周囲の業火も立ち消える。
ハクトも大きく息を吐き出して、刀を引いた。彼の額から角が消失する。
途端に脚から力が抜けて、彼はその場に尻もちをついた。
「……言うほど、俺はザコじゃなかっただろ」
荒い息の下でそう言うと、エヴァンジェリンは顔をしかめて彼を見下ろした。
「……うっざ、調子に乗んな。彼岸で寝てるうちにエヴァの腕が鈍っただけだし」
二人の火雷が生み出した熱を拭うように、一陣の風が辺りを吹き渡る。
地面に座ったままのハクトの銀髪が緩く揺れた。
「……師匠は、あんたと一緒に撮った写真を今も部屋に飾っていたよ」
呟くようにハクトが言うと、エヴァンジェリンも呟くように言葉を返した。
「あのザコ弟子……」
「大師匠」
ハクトは彼女を見上げて改めて告げた。
「一緒に来てくれ。師匠は、此岸であんたが来るのを待っている」
「……」
エヴァンジェリンは表情を変えずに言う。
「エヴァがここを離れたら人の世界が崩壊するのに?」
「だからその前にリヴァイアサンを狩るんだよ……そうだ、言い忘れてたけど、あんたを待っているのは師匠だけじゃない」
と、ハクトは立ち上がった。
「は?」
「覚悟なら人の方だって固めてるってことだ。今頃、酒場のウェイトレスがあんたのためにプディングを作ってる所だと思うよ」
「……今の此岸には、頭のおかしいヤツしかいないの?」
「ゼロじゃなかったみたいだな。大師匠、あんたの言うようにさだめっていうのはあるのかも知れない。でもそんなのどうせ後付けだ。俺に言わせれば、これから俺達のやり遂げることが、俺達のさだめだよ」
「……」
エヴァンジェリンは、ハクトに一瞥をくれると大太刀を肩に、黙って歩き出した。赤い花の咲き乱れる丘を下った先に、彼岸ノ血の水辺が見える。
その背を見ていると、彼女は立ち止まらずに彼に声をかけた。
「名前、ハクトだっけ」
「あ、ああ……」
「何をそこでぼんやりしてんのハクト、彼岸を脱出するんでしょ?」
「力を貸してくれるんだな!」
「勘違いしないで、エヴァは久々にプディング食べたくなっただけ」
わずかに振り返ったエヴァンジェリンの表情に、ハクトは初めて彼女の笑顔を見た気がした。
つづく
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