第9話 拠点

 リッカは淡々とした調子で言葉を続けた。


「街の規模が大きくなれば、エッグの消費量も増える。それにともなってエッグハンターによる回収量も増えてくる。それは人の営みが続くなかで止めることのできない流れだ。以前と比べれば、エッグによる抑えは格段に弱まっているだろうが――しかしそれはある意味、起こるべくして起こっている事態だと思う」


「そ……それ、師匠以外に気付いている人はいるのか? このままエッグを採り続けると危ないって……」

「ギルドの言う、はぐれバニー――か? その出現頻度とエッグの回収量を比較すれば相関関係は認められるかも知れない。だがそれだけで直ちに危機と結びつけ、エッグのある豊かな暮らしを捨てようと考える者はいないだろうな。誰しも緩やかな危機に対しては鈍感なものだ」

 リッカはエッグをもうひと口かじる。

「何より、確証が無い。ゆえにわたしが今話したことも、わたしの勘違いだった、という可能性も充分にありえるぞ」


「いやでも……」

 確かに彼女の語ることに確証はない。

 だがネザー・ワーレンに立ち入った今、本能的な説得力を感じる。


「だから――」

 ハクトはエッグを頬張るリッカの横顔を見つめた。

「だから、師匠は……手に入れたエッグをわざわざネザー・ワーレンに捨てに来ているのか」


「捨てているのではなく、還している。今さらエッグを資源とする人の営みを止めることはできないが、彼岸ノ血の循環が悪化するのを緩やかにできればと考えて――わたしはこうしてエッグハンターの真似事をしているという訳だな」

 そう言ってリッカは残りのエッグを川に投げ捨てた。


 川面に上がった赤い飛沫を見つめてハクトはつぶやいた。

「……街を守るために人知れずエッグハンターをしているんだな、師匠」


「いや、それは少しいい方に捉えすぎだぞ、ハクト。街の安全が脅かされれば、わたしはどこで酒を買い求めたらいいのだ。極めて利己的な話だよ」


「……」

 よりたくさんのエッグを回収すれば、それだけ人々の生活は潤う。そしてギルドからそれに見合った報酬を受け取る。

 ハクトはこれまで、そうしたエッグハンターの仕事に疑問は感じていなかった。

 だが、リッカの言うようにそうしたハンターの仕事がいずれ街に危機をもたらすものだとしたら。


「何だか俺……師匠へのお礼とは別に、師匠のことを手伝わなければならない気がする……」

 彼はつぶやいた。

 ハクトがこうしてワーバニーとなったのは、何かの巡り合わせのようにも感じる。


「そうか。まあわたしの仕事の見通しがつくまでは約束通り手伝ってもらうが、その先はお前の判断に任せよう。繰り返すが、確証の無い話だ、強要はしない」

 そう言いながら、リッカはまたスキットルをあおる。


 その時、またどこか遠くの方でずん、と地響きのような音がした。

「……」

 リッカとハクトの長い耳が同時にぴくりと動く。


 スキットルから口を離したリッカが、にわかに深刻な表情を見せる。

「……そんな、まさか……」


「何だ? 今の音、何か思い当たることでもあるのか?」


 泣きそうな顔をハクトに向ける。

「わたしとしたことが! 酒を切らしてしまった!」


「こら師匠。真面目にやれ」

「わたしはこの上もなく真面目だ! ちょうどいい、一度ワーレンを出るぞ、ハクト」

 と、リッカはランタンを拾い上げた。

「お前が回収した分のエッグはそのまま持ち帰って報酬に変えよう。それだけあれば充分だ」

「わ、分かった」

 何やらはぐらかされたような気がする。


「よし。では、跳ぶぞ」

 リッカがハクトの腕をとる。

「跳ぶってどこ――」


 気がついた時、ハクトはどこか明るい部屋の中にいた。

「――に」


 今までいた洞窟の岩場はどこにもない。

 しっかりとした板張りの床の上に立っている。


「……は?」


 隣にいたリッカが、目の前の大きな窓を開け放つ。

 流れ込んだそよ風がカーテンを緩やかに揺らした。

 カーテンの向こうには、森の緑が見えた。木々を透かして、柔らかな日差しが差し込んできている。


「え? ここ、地上か……?」

 うろたえているハクトの前で、リッカは細い腰を反らし、外に向かって大きく背伸びをしている。

「うむむ……む、いい天気だな。そう、ワーレンの外にあるわたしのセーフハウスだ。それよりハクト、気分は大丈夫か?」

「気分……」


 言われた途端、ぐらりと視界が揺れて、ハクトは立っていられずに床に膝を着いた。

 凄まじい眩暈めまいに襲われている。

「……な……何だこれ……」


「リープの応用だ。あらかじめマークしておけば、こうしてテリトリーからテリトリーへ一瞬で移動することができる」

 リッカはことも無げにそう言った。

「だが慣れないうちは、うまく目的地に跳べないこともあるし、そのように強い眩暈めまいを起こすこともある。危険だからいくら弟子でも当分やり方は教えてやれないぞ。真似しようとするなよ?」


「やりたくても……できないよ、こんなこと……!」

 吐き気のような悪寒が波のように押し寄せては引いていく。一気に冷や汗が浮かんでくる。


「まあ、そこで休んでいろ。一度に色々あって疲れただろう」

 リッカはハクトを助け起こして、そばのソファに座らせた。

「わたしはシャワーを浴びて来る。寝ていてもいいぞ」

 と言い残して、リッカは隣の部屋へと姿を消した。


「シャワー……」

 残されたハクトは、ぐったりとしたまま部屋を見渡した。

 エッグのエネルギー変換を利用した照明、調理器具、冷蔵庫といった家具が揃えられている。

 街の中にある、一般的な部屋とそう変わりはない。

 きれいに片付いていてあまり生活感は無いが、正面の壁一面に酒瓶が大量に並んでいる所が、リッカの部屋らしいといえばらしい。


 部屋の向こうから、シャワーを浴びていると思しき水の音が聞こえてきた。


 エッグをワーレンに還すという行為をしているリッカも、人の営みそのものを否定はしていなかった。


 エッグのある生活は豊かだ。

 もしエッグが無ければ、熱いシャワーをいつでも浴びることだってできなくなる。ハクト自身も、エッグというエネルギー源に頼らない生活なんて想像できない。

 それでも、このまま放って置くとそうした生活自体が失われてしまう可能性があるのだ。


 何か、選ぶべき道筋があるのだろうか。今のハクトにはまるで分からなかった。


「……朝、なんだな」

 窓の外を眺めて彼はつぶやいた。


 クロードの攻撃を受けてワーレンの底に転落したのも、まだ昼間の時間帯だった。

 あれからまる一日近くは経っているということだろう。

 最初にエッグを食べた後に意識を喪っているし、思ったより長時間ワーレンの中にいたらしい。防護マスクが無ければワーレン内で活動できない以前であれば考えられないことだった。


 ふと、ソファのサイドテーブルに目をやる。そこに写真立てが置いてあった。

 何の気なしに手にとって見る。


 写真に写っているのはリッカの姿だった。見た目は今と変わらない。


 リッカの傍らに、もう一人写っている。

 まだあどけなさを残す美しい少女だ。


 真っ直ぐな黒髪をしているリッカに対して、少女の髪は茶色でゆるく波打っている。

 あまり似てはいないが、二人の頭部には長い耳が二本、同じように伸びていた。


「……ワーバニー……なのか?」

 写真のリッカは少し戸惑っているような様子だが、少女は屈託のない笑顔をこちらに向けている。



つづく

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