第30話 波兎

 何分ほど揺れていたのだろうか、しばらくして地震は収まった。


 シーツに包まったサブリナが、ふらふらとバルコニーに出て来た。

「な、何なんすかあ……今の凄い揺れ……というかここどこっすかあ?」


「今起きたのか、サブリナ……あんたは怪我してない?」

 サブリナは寝ぼけ眼でハクト達の顔を見上げている。

「……何すか、そのウサミミ。二人して……かわいい」


「無事のようだな。足元、グラスが割れているからあまり不用意に動くな」

 リッカがむにゃむにゃ言っているサブリナを持ち上げてデッキチェアの上に乗せると、居間に戻った。


 部屋の中もかなり荒れている。家具の位置は大きく動いていて、開いた食器棚から中身が床に落ち、スタンドライトも倒れていた。高価そうな調度品がひどい有様だ。


 そこへ、ツナギの防具に白いロングコートを纏って武装したミラが戻って来た。

「みなさん、無事ですかッ?」

 起きたばかりとは思えないほど完全にギルドマスターモードになっている。


「俺達なら大丈夫だよ。部屋は大変なことになってるけど……」

 ミラはほっとしたように微笑んだ。

「あなた達に怪我がないのならそれは別にいいのですよ。寝室にあるハクトくんの等身大人形も無事でしたし、むしろこれくらいの被害で済んで幸いでした」

「うん、ん? え、ごめん待って。何か途中で変な単語が聞こえた」


 リッカがミラに尋ねた。

「今の揺れについて何か情報が入っていないか? ワーレンの状況が気になる」

「いえ、それはまだですが……この建物の屋上に監視塔があります。そこからならワーレンの辺りまで見渡すことができますよ」

「案内してくれ」


 ミラに連れられて、非常階段を上に昇る。

 屋上に出ると、ギルドから街中へ向けて非常放送が繰り返し流れているのが聞こえた。――地震の原因は調査中です。身の安全を確保し、再びの揺れに備えてください――。


 屋上に少し高い塔が設けられていて、そこから望遠鏡を使って街の周囲を見渡せるようになっていた。

「ワーレンはあちらです」

 ミラに示された方角に向けて、リッカが望遠鏡を覗き込んだ。

「……!」

 と、すぐに目を離して肉眼でその方向を見据えた。


「何か見えたのか?」

 ハクトが彼女の視線を追うと、街とワーレンの間に広がる荒野が目に入った。


「……?」

 そこに何かいびつな黒い道のようなものが見える。

 ハクトも望遠鏡を覗いてみた。


「……地割れ……?」

 ワーレンのある丘の辺りから街に向かい数キロに渡って、幾重にも折れ曲がりながら地面に深い亀裂が走っていた。

 亀裂の底は見えず、ただ黒々とした暗闇を見せている。

「さっきの地震でできたのか。道理で大きかった訳だ……ん?」


 亀裂を見ていると、その縁が動いているように見えた。じわじわと何か赤いものが、傷口から血がにじみ出て来るように荒野へと広がっていく。

「何だ……?」

 ハクトは望遠鏡の倍率を上げて、もう一度覗き込む。


 小柄な体躯に濡れたような赤い肌、頭部から伸びる長い耳のような二本の突起物をもつ人型の怪物――。

「バニー……!」

 赤いものの正体は、無数のバニー達が作る巨大な群れだった。凄まじい数のバニーが、亀裂の底から地上へと溢れ出てきている。

「あの地割れの下はワーレンなのか!」


「……何ですって?」

 ミラがハクトに代わって望遠鏡を覗く。

「……はぐれバニーがあんなに……いえ、あれはもうはぐれなんて規模ではないですね。大変です……二人とも失礼、わたしは一度ギルド本部に入ります!」

 彼女はそう言い残すと身を翻し、非常階段に向かって走り去って行った。


「……師匠」

 ハクトはミラの顔を見やった。

 彼女は顎に指を当てて考え込んでいる

「うむ。地震は彼岸の崩壊を示すものに間違いないだろうが……バニーの大量発生という現象とはいまいち結びつかないな」

「バニーが地上へ出て来るってことは、ワーレンのエッグが大量に失われたってことだよな。この短期間で、一気に……?」

 自分で言っていても疑問は残る。

 失われたとは、どこに? そもそも、昨日のマンティコア出現以来、ワーレンに近付く者はいなかったはずだ。


「とにかく行って確かめるしかあるまい。ハクト、覚悟はいいか。長丁場になるぞ」

「もちろんだ!」


 ハクトとリッカは、同時に屋上の縁から下へ同時に跳び下りた。

 そのまますぐ下の階のミラ邸、バルコニーの手摺の上に着地する。


「ぎゃああッ、人が降って来た!」

 大人しくデッキチェアに座っていたらしいサブリナがそれを見て悲鳴をあげる。


「サブリナはまだ動かない方がいい。はぐれバニーが大量に出現したんだ。街中に入って来ないとも限らない。多分、ギルド最上階のここが一番安全だ」

 マントを脱ぎ捨て、自分のバックパックを背負いながらハクトが言った。

「えー、まじすか。どうしよう、お店をほったらかしにしたらマスターに叱られちゃうっす」

「いや……店なら昨夜ひと晩ほったらかしにしていただろうに。何よりジェイムズにしても、店どころではない状況だろう」

 リッカもポーチを腰に装着して、マントを近くのソファに投げかける。


「ねえねえ、やっぱり気になるんすけど、そのウサミミ、どこに売ってるんすか? というか、リッカ姫のマントの下、えっろ! 身体のライン、やっば! それ下着? 水着? そうだ姫、ちょっと〈カルバノグ〉でお給仕やってみないっすか。その格好、めっちゃウケると思うんす。蝶ネクタイ貸してあげるっす。あ、写真! 写真撮らせて!」

「うるッさいな、今はそれどころではない。行くぞ、ハクト!」

「ああ」

 リッカがバルコニーの手摺に足をかけたのを見て、ハクトも柵を乗り越えた。

「ぎゃああッ、落ちたッ?」


 サブリナの悲鳴を背に落下しながら、ハクトは途中の出窓や桟を掴み、速度を調整しながら地面に降り立った。

 同時にリッカも着地している。


 街中に聞こえるギルドの放送が変化していた。

 ――非常事態です。街周辺で大量のはぐれバニー出現を確認しました。すみやかに屋内へ避難し、安全を確保してください。武装できる人は街の防衛に当たってください。繰り返します――。


 単車を停めた場所まで駆け抜けて、ハクトはハンドルを握った。背後にリッカがしがみつくのを確認して、アクセルを全開にする。


 前輪が跳ね上がり、後輪走行になりながら単車が急発進した。


 早朝の路上は混乱した大勢の人が行き交って騒然としていた。人混みの間を器用にすり抜けてハクトの単車が疾駆する。


 ウサミミを露出していても、誰も気にしていないようだ。サブリナは二人のウサミミをアクセサリーだと思っていたようだし、案外、マントが無くても平気なのかも知れない。


 街を出ると、視界に荒野が広がった。

 荒野を割る、いたずら書きのような亀裂が、ひと際異質な光景を作り出している。かなり大規模な地割れだ。幅は広い所で三〇メートルほどはあるだろうか。


 行く手が赤い色に染まって見えた。

 大量のバニーが、跳びはねながら街に迫って来ているのだ。まるで、赤い波が押し寄せて来ているかのようだ。


「……大型のバニーはいないみたいだな」

「そうらしい。だがそれも時間の問題かも知れない、油断するなハクト」

 ハクトは小さく喉を鳴らし、アクセルを握り込む。


 とその時、遠くの地割れの辺りで何かが光った。

 それは赤い稲妻のように、二、三度、亀裂の底に向かって落ちて行く。

「……何かいるのか……?」


 それを確かめる暇も無く、単車はバニーの波の中へと突入した。



つづく

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