第35話 牙刃
赤い角を切断されたクロードは、片脚を引き摺りながらゆらりと立ち上がった。
「……このワーバニーの力に、何かが欠けていると思っていた」
ハクトは無言でその彼を振り返る。
斬られた角から、大量の血が流れてクロードの顔面を染めていた。
「そう。一瞬で移動してみせる、君達の動きさ。僕も迅雷の速度で動くことができているけど、どこか違う。僕の動きには決定的に欠けているものがある――そのままその欠けているものに気付けなかったら、僕は今の一撃で斬られていただろうね。でも瀬戸際でそれが何か、分かった気がする……こういうことなんだよね、ハクト」
ハクトは静かに告げた。
「……リープ、だ」
クロードは全てのクリティカルポイントを斬られる寸前、意識的にリープを使う方法を自力で見出した。
そしてハクト達のクリティカルヒットに、カウンターを入れてみせたのだ。
「……リープ……?」
「……俺達の周囲に広がるこの赤い空間がテリトリー。テリトリーを展開する技をマークという。お前が言っていた“命の核”というのがクリティカルポイントだ。テリトリーの中でクリティカルポイントを見極める。それがステアという技だ」
「……」
クロードは笑顔でハクトの言葉を聞いている。顔を流れる大量の血は気にならないようだ。
「そしてゼロ時間で移動する技が、リープ。今お前が実践してみせた動きだ。マーク、ステア、リープ。この三つの技を組み合わせて、クリティカルポイントを一瞬で断つ。俺達ワーバニーだけが使える技、クリティカルヒットだ」
「クリティカルヒット……そうか、ふうん……」
クロードはやおら左手のタスクを肩に担いだ。
「ついでにこの赤い武器のことも教えてくれないか。君の真似をしてみたら、意外とうまくいったんだよ」
刀の形状をしたハクトのものとよく似ている。その刀身には、リッカの血がまとわりついていた。
その存在を認識しつつも、あの瞬間までわざとタスクを使おうとしなかったのだ。
恐らく、ハクト達の裏をかくために。
ハクトはもう一度、倒れたままのリッカの方を見た。早く助けなくては。
「彼岸から呼び出す武器の記憶……タスクだ」
「タスク、ね。ありがとう、教えてくれて。手探りで試行錯誤するよりずっと理解が進む気がするよ。でも、いいのかい。クリティカルヒット――それって君の、とっておきだろう? 全部バラしちゃったら、君の優位は無くなるんじゃないのかな?」
刀の柄を強く握りしめたハクトの右手は白く色が変わっている。
「……これで本当に、条件は全部一緒だろ」
「そうかい。君の甘さは、まだ抜けていないようだね」
と、クロードは肩に担いだ刀を血振りした。刀身を濡らしていたリッカの血が地面に飛ぶ。
「甘さなんかじゃない――」
ハクトは右手の刀をゆっくりと眼前に持ち上げ、柄尻を左手で握り込んだ。
「俺のクリティカルヒットは、師匠に伝授された大事な技だ。見様見真似のお前とは違う。だから俺は――本当の技がどういうものかはっきりと告げて、真正面からお前を叩き潰さなくちゃならないんだ」
刀身越しに、クロードをにらみ据えた。ハクトの両目が赤く光る。
「あはは……いいぞ、ハクト。君にそんな顔ができるとはね。そうだよ、ずっとその顔が見たかったんだ、僕は!」
クロードの両目も赤く光った。
額から流れ続ける大量の血で、彼の全身が赤く染まっている。
それは到底、人の身体から流れ出る血の量ではない。
体内に取り込んだ膨大な量の彼岸ノ血が、斬り落とされた角から溢れ出ているのかも知れない。
ハクトとクロードは同時に身を沈め、地を蹴った。
リープ――。
時間が制止する。
動いているのはハクトとクロードの二人だけだ。
「おおおおおおッ!」
凄まじい速度で二人の刀がぶつかって、赤い雷光が周囲に放たれた。
衝突の勢いで同時に仰け反ったハクトとクロードが、再び刀を振り上げる。
もう一度ぶつかった二人の刀身からほとばしる雷光。
二合、三合、刃を合わせるたびに赤い雷が走る。
次第にぶつかる間隔が短くなっていく。
もはやリープ中の空間においても、刀身の動きは目にも止まらない速度となった。
二人の周囲は、絶え間ない雷光と雷鳴に包まれる。
無数に繰り出される全ての斬撃が相手のクリティカルポイントを狙い、それを防いでいるのだ。
クリティカルヒットを連続して放ち続けている状態に等しい。
ハクトの体力が急速に消耗していく。
だがそれはクロードも同じはずだった。
時おり、細身だったクロードの肉体が脈動するかのように倍のサイズに膨らんでは元に戻る。
角を斬られて大量の彼岸ノ血を放出したことで、肉体全体の制御ができなくなっているのだろう。
太腿や肩の傷も決して浅くはない。
二人の限界が近付いている。
防ぎきれない斬撃が、ハクトやクロードの頬や胸元を裂き始めていた。
そして唐突にその時が訪れた。
不意にハクトの両脚から、力が失われる。
「――!」
ついに体力の限界を迎えたのだ。
彼の上体が崩れるように沈み込む。
そのハクトの首筋を狙って、クロードは刀を大上段に構えていた。
「楽しかったよ、ハクト! 君に出会えて良かった!」
だがその刃は振り下ろされることはなかった。
動きを止めたクロードの赤い目が、ゆっくりと下を向く。
「……!」
倒れ込みながら放たれたハクトの刺突が、刃を上にしてクロードの胸を貫いていた。
ハクトはもう一度踏み止まり、相手の顔をにらみ上げた。
「……俺はそうは思わない」
彼の両目が赤く光る。
視える。
クロードのクリティカルポイントは、三箇所。
胸、喉、眉間の一直線。
クロードの胸を貫く刃を、全力で上へと斬り上げる。
「はあああああッ!」
「……ぐうううッ、ハ――ハクトオオオオオオッ!」
ハクトは感覚を失った両脚を踏みしめ、ただ斬撃へ意識を集中させる。
上へ――。
「……あああああああああああああッ!」
ハクトのタスクが振り抜かれた。
クリティカルヒット。
赤い剣閃がクロードの胸から頭頂部までを、縦に両断していた。
周囲の時間が再び、動き出す。
ハクトとクロードは、同時に膝を着いた。
クロードからは噴き上がる大量の血――もはや彼岸ノ血と区別はつかない。
降りしきる血飛沫のなか、ハクトは両肩を大きく上下させながら赤く不定形に崩れていくクロードを見ている。
辺りには依然として波のようなバニーの群れが行き交っている。
彼らの攻撃の応酬は、周囲に満ちていたバニーの何体かを巻き込んでいたようだ。
ハクトは震える指で手近に転がっていたエッグに手を伸ばし、それにかじりついた。
「……これで僕は……今度こそ本当にフィナーレを迎える訳だな」
どこから声がしているのか、クロードの言葉が聞こえた。
「見届けてくれるのが君で良かったよ、ハクト……この際だ、笑って送ってくれよ」
エッグの残りを飲み込んだハクトは、ややあって応じた。
「……お前の願いを聞いてやる義理なんてない」
険しい表情のまま、彼は言葉を継ぐ。
「……けど、お前の始末をつける役目を負うとしたら、俺だった」
「いいね、それ――」
愉快そうな声だけが届く。
「あはは」
短い笑い声とともに声は途絶えた。
クロードが膝を着いていた場所には、少し大ぶりなエッグが転がっていた。
噴き上がっていた彼岸ノ血は、全て地面の下に吸い込まれたようだ。
ハクトは膝を起こして、クロードだったエッグを拾い上げる。
「……彼岸に還れ、クロード」
そう言って、彼はそのエッグを地割れの中へと投げ込んだ。
つづく
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