ヒガン・バニー 〜相棒に裏切られて死の淵をさまよった俺、奈落の底でウサミミ美女に弟子入りしてクリティカルヒットを伝授される〜

マガミアキ

第1話 転落

 はてしないほどに広く、そこしれないほどに深い、大空洞。

 その場所は、“ワーレン”と呼ばれていた。


 ワーレンの巨大な縦穴に、爆音が響き渡る。


 縦穴の岩壁を螺旋らせん状に登る急峻な坂道を、うなりをあげながら二台の単車が走り上がって来るのだ。

 ひとつ運転を誤れば崖下の奈落へと転落するような細く険しい道だ。

 とはいえ出口に繋がるのはこの道しかない。


 後ろの単車に乗車しているハクトは、アクセルを緩めずに背後を振り返った。

「……!」

 後方に広がる洞窟の奥は暗くて見通すことができない。

 だが暗闇の向こう側から確実に、気配が迫ってきているのを感じる。


 顔を前に向ければ視界の先は明るい。出口まであと少しなのだ。

「くそ……もっと速度出ないのか、これ!」

 声に焦りがにじむ。


 前を行くもう一台の単車を運転しているのはハクトの相棒である、クロードだ。

 こちらを振り返って叫んだ。

「……まずい、追い付かれたよッ!」


 ハクトが再び背後に目をやると、猛然と追いかけてくる怪物の群れが見えた。


 小柄な体格で濡れたような赤い肌をもつ、俊敏な人型の怪物。

 頭部から伸びる長い耳のような二本の突起物にちなんで、その怪物は――。


 ”バニー”。


 そう呼ばれていた。

 ワーレンとは、バニーの巣窟を意味する言葉だ。


 先頭の一体が、岩壁を蹴ってハクト目掛けて跳びかかって来た。

 肩のライフルを片手で掴んで銃口を向ける。


 放たれた銃弾はバニーの頭部を正確に撃ち抜いた。


 後ろに吹き飛んだそのバニーは、空中で身を翻して着地する。すでに頭部の傷は消えていた。

 バニーは不死身だ。武器によって牽制することはできても倒すことはできない。


 ハクトはさらに跳びかかって来た別のバニーを銃身で殴り飛ばした。

 やはり単車の調子が悪い。速度が出ない。


「気を付けるんだ、ハクト! 防具をやられたら取り返しがつかないよ!」

 前を走るクロードが叫ぶ。

「分かってる!」


 バニーは感染する。


 バニーの爪牙による攻撃を受けるのみならず、ワーレンに満ちる濃い瘴気に曝されるだけでも人はその因子に感染してバニー化してしまうのだ。

 バニーに襲われた場合、逃げる以外に選択肢は無い。


 瘴気への曝露ばくろを防ぐために、ハクトのようなハンターは全身を隙間なく覆う防具を装備している。

 頭部も気密性の高いフルフェイスマスクで覆われ、ワーレンの中では外気を吸わないようにボンベを使って呼吸していた。

 シンプルな形状のマスクは、どこか髑髏スカルのシルエットに似ている。


「クロード、俺の荷物を頼む。単車の調子が悪くて速度が出ない!」

「だけどそれは……君が手に入れたエッグだろ。やっと見つけた大物じゃないか」


 ワーレン内部に生まれる“エッグ”と呼ばれる結晶体状の万能資源を採取する――それがハンターの仕事だった。


「……俺達二人で、手に入れたエッグだ。お前だったら安全に運べるし、身軽になった方が俺は自分の身を守りやすい」

 クロードは何発か背後のバニーに向けてライフルを撃った後、少しスピードを落としてハクトの単車と並んだ。

 重たいバックパックを、黙ってクロードに差し出すハクト。


 ハクトのバックパックを手にして、クロードはマスクの向こうでため息をついたようだった。

「嬉しいよ。僕を信頼してくれているんだね」

「今さら何だ。相棒だろ? とにかく無事にここを抜けるんだ。これだけ大きなエッグだしギルドからの報酬も期待できるぞ、山分けだ」


 バックパックを背負い、クロードは少しスピードを上げた。

「でも同時に悲しいな。悲しいほどに、君は人がいい――そして甘い」

 すれ違い様に、ハクトの単車を蹴り飛ばす。


「……おいッ!」

 バランスを崩したハクトの単車は大きく蛇行し、岩壁へ乗り上げた。

 その隙に殺到するバニーの数体をライフルで殴り、銃弾を浴びせて振り切る。

「クロード!」

 叫びながら必死に単車を道へ戻す。


「君は確かな仕事をやり遂げた。これだけ大きなエッグを奪えばこの辺りのバニーの動きも沈静化するだろうし、エッグから得られるエネルギーは街の人々の生活を潤す。とても栄誉なことだ。そんな成果を安易に他人に託すなんて、僕にはとても信じられない行為だよ」

 ハクトに構わずクロードはスピードを上げる。

「……甘すぎるんだ! この先も相棒として仕事をともにこなすには君はあまりに甘すぎて――僕は身の危険すら感じるよ、ハクト!」

「な、何を言ってるんだ、クロード!」


「君の単車に細工したのは僕だ!」


 ハクトとクロードの距離が離れていく。

「何――」


「少し前に、ほんの些細な不具合を仕込んだんだ。走れなくなるほどのものでもないよ、ワーレンの深層で相棒が動けなくなるのはこっちにとってもリスクだ。だから別にこうなることを予期していた訳でもない――」

 ハクトは暴れるハンドルを必死に制御しながら無言でクロードの背中を見つめた。

「ただその些細な不具合が、君を出し抜く何かの機会を生んでくれるかもしれない――そう思った。分かるかい? 僕は、そういう男なんだよ」

「クロード、お前は……ッ!」


 クロードの構えたライフルが、真っ直ぐにハクトの頭部に向けられていた。

「そして僕達は今こんな状況にある。つまり今日、その時が来たってことだ!」


 反射的にハクトもライフルの銃口をクロードに向ける。だがトリガーに指がかからない。


 なぜ。


 疑問が頭の中を占めて指先が動かない。


「君もそう思うだろう? ここで僕の踏み台になって――散ってくれ、ハクトッ!」


 洞窟内に銃声が反響した。


 ハクトのマスクに直撃した弾丸が、シールドを破壊する。

 視界が瘴気の赤色に染まった。

「ぐ……うッ!」


 仰け反ったハクトに吊られて単車の前輪が跳ね上がり、速度を乗せて回転しながら宙を舞う。


 そのまま単車は崖下へと落下し、ハクトは道の上に投げ出された。


 倒れこむ彼をバニーの爪が無数に襲いかかる。

 防具が引き裂かれて傷ついた肌から血が飛んだ。


 ハクトは地面に転がりながらバニーを蹴り飛ばし、ライフルの銃把で殴りつけて銃弾を叩き込む。

 しかし次々に襲いかかる怪物の群れに瞬く間に圧し潰されてしまう。


 怪物の赤く濡れ光る体躯の向こうに、単車を止めてこちらを向いているクロードが見えた。


 彼の立つ場所には陽が差している。

 あそこにはもう、瘴気は届かない。


 マスクを外し、クロードは素顔を見せた。整ったその顔は、あどけないほどに柔和だ。

「……手柄を独り占めにしようとした君の不意打ちを、僕はかろうじて退けた。傷ついた君はバニーからの襲撃から逃げきれず、僕だけが命からがらエッグをギルドへと持ち帰る。そんな筋立てにするよ」

「クロード……ッ!」


 クロードの両目から、涙が流れて光った。

「ハクト、ごめん。許してくれとは言わないよ」

 彼の投げた何かが、ハクトの前に硬い音を立てて転がった。


 グレネードだ。


「ク……」

 すでに背を向けているクロードは、そのまままばゆい日差しの中に姿を消していく。


「……クロードオオオオッ!」

 バニーの群れに呑み込まれていくハクトの叫び声。

 それはグレネードの爆風にかき消された。


 吹き飛ばされたバニーの群れと一緒に、ハクトの身体は洞窟の深い奈落の底へと転落していった。



つづく

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