第50話 会心
どれだけの間、刀を振り続けていただろう。
赤黒い夜空の端に、
いくらクリティカルヒットを放とうが、無限にも思えるリヴァイアサンのクリティカルポイントのすべてを壊すことはできない。つけた傷も回復する。
それでもハクトとリッカ、エヴァンジェリンの絶え間ない攻撃によってその巨体の再生が間に合わなくなりつつあった。
棘状の鱗に覆われていた細長い身体のいたる所に、深い亀裂が残っている。それはリヴァイアサン自身の顕現によって崩壊したワーレンを思わせた。
雷光と化したハクトの身体は、目にも止まらぬ速度でリヴァイアサンが生み出すバニーや光線からの攻撃を避け、斬撃を繰り出し続けている。
やがてリヴァイアサンの身体が弓なりに大きくたわんだ。
薄暗闇の向こうから、浮き上がるように爬虫類を思わせる怪物の頭部が出現する。
すべてを吹き飛ばさんばかりの凄まじい咆哮が、大気を鳴動させた。
ついにリヴァイアサンが、こちらを向いたのだ。
「きゃっはは、うるさッ! ようやくエヴァ達のことがうざくなってきたとかマジぃ? ウケる、反応のろのろじゃん!」
火炎をまとうエヴァがハクトの横に降り立った。口調は相変わらずだが、肩で息をしている。
「いくら回復できると言っても、クリティカルポイントを斬られれば痛むものだ」
氷塊でバニーの一体を砕いたリッカも、そう言って大きく息をついた。脇腹の傷口に貼られていた絆創膏はすでに剝がされている。
「……効いてるってことだよな」
刀を構え直すハクトは、リヴァイアサンの頭部を正面に見据えた。
全身を覆う赤い瞳とは対照的に、獰猛な顔に穿たれた両目は黒く虚ろだ。
その虚ろな眼窩の中央――額の辺りに縦に大きく亀裂が走った。
地鳴りのような音とともに、亀裂が横に開いていく。
亀裂の奥には頭部のほとんどを占める大きさの、ひと際巨大な赤い目がひとつ、収まっていた。
赤い水をたたえた湖面を眺めているかのようだ。
血脈のように絡み合う虹彩が広がり、瞳孔が収縮していく。
「あれが本命か……!」
思わずハクトの喉の奥が鳴った。
「……さすがにあんなものから光線ぶちかまされたらヤバいかもねぇ」
「攻撃を放つ前に相手へ大きな損傷を与えれば、意識を逸らせるかも知れない」
そう言うなり、エヴァンジェリンとリッカが翼を広げた。
ハクトもそれを追って空を飛ぶ。
猛然とリヴァイアサンへ肉薄するリッカとエヴァンジェリンの気合が重なった。
「ぁああああああッ!」
業火をまとう大太刀が怪物の喉笛を深々と焼き斬り、凍てつく小太刀は怪物の頭部から伸びるウサギの耳のような突起を凍裂させる。
つんざくような咆哮をあげるリヴァイアサン。
しかし攻撃の前兆は止まらない。
その頭部の巨眼を狙って急接近していたハクトはその時、相手の瞳孔が一気に収束するのを見た。
赤い閃光。
巨大な光の奔流を避けきれず、ハクトは背中の右翼を吹き飛ばされた。
「ハクトッ!」
リッカの叫ぶ声が聞こえた気がした。
回転しながら勢いよく落下していくハクト。
そんななか、彼の頭の中は不思議と静かだった。
これまでのことが脳裏をよぎっている。
かつてのハクトはただ自らの
それが今は翼を生やして大空を駆け、雷を操ってリヴァイアサンという規格外の怪物を相手にしている。
世界を崩壊から救うために、戦っているのだ。
いつの間にかずいぶんと、変わったものだ。
この世界のできごとは本質的に前触れがないし、辻褄合わせもない。
ハクトの師と、その師は彼にそう言った。
そうだ。
だから。
だからこそ。
跳び出した一歩で、いつだってどうとでもなる。
ハクトの両目が見開かれた。
「……おおおあああああああッ!」
必死に突き出した刀がリヴァイアサンの鱗に突き刺さり、彼は怪物の身体の上にとどまった。
すでにリヴァイアサンの頭部にある赤い目はハクトの姿を追い、瞳孔を収束し始めている。
吹き飛ばされた翼の感覚は無い。だが、刀はまだ構えることができる。
ミラには、戦う術を教わった。
クロードに生き抜く覚悟を思い知らされ、エヴァンジェリンには選び取る決意を試された。
そして――リッカからは新しい命と新しい力、何より命を懸けるに値する大切なものをもらった。
これまで生きてきたなかでそのどれかひとつが欠けても、自分は今ここにいなかっただろう。
今の自分が、これまでの自分のすべてだ。
そのすべて。全身全霊をぶつける。
拳で足元を強く殴りつけて、ハクトは身体を起こした。
その
酷使し続けた彼の両目から、ひと筋の血が流れる。
その
全力で踏み込んだハクトの足を中心に、リヴァイアサンの体表が放射状に割れた。
その
周囲の時間が止まったように感じる。
目の前には、リヴァイアサンの巨大な赤い瞳が広がっている。
全力で突き込んだハクトの刃が、その中心に深々と吸い込まれる。
その一撃は――会心。
周囲の時間が動き始める。
辺りに雷鳴が響き渡った。
ハクトの身体はリヴァイアサンの目の中を高速で進み、そのまま後頭部まで突き抜けた。
彼の軌道を追うようにして、血潮が大空にほとばしる。
クリティカルヒット。
片翼のハクトはその先で勢いを失って落下し始めたが、その身体を空中でリッカが抱き止めた。
「ハクトッ!」
「……俺は大丈夫だ、師匠……それより――」
ハクトはリヴァイアサンの方に視線を向けた。
巨龍から放たれる膨大な量の血流が日の出前の空を赤く染め上げていく。
これまで加えてきた攻撃とは明らかに様子が違っていた。傷が再生しない。
血流が噴き上がるにつれて、鱗は剥がれて表皮が崩れ、細長い身体がのたうちながら千切れていくのだ。
「リヴァイアサンが……」
倒したのか。
ばらばらになった巨体は、さらに空中へ溶け込むように崩壊していく。
本当に、倒せたのか。
リヴァイアサンの巨大な頭だけが残る。その裂けた顎がこれ以上もなく大きく開かれ、耳を圧する衝撃波のような咆哮が放たれた。
リヴァイアサンを――狩ることができたのか。
その咆哮は、断末魔だった。
最後まで残ったリヴァイアサンの頭部も、血潮とともに空中に霧散していく。
「……」
ハクトとリッカは、身を寄せ合うようにしてしばらく無言でその様子を見つめていた。
そこへ大太刀を肩に担いだエヴァンジェリンが飛んで来る。
二人の視線の先を見やると、ぽつりと漏らした。
「終わったね」
「……そうだな。終わったのだ、ハクト」
リッカは我に返ったように穏やかな笑みをハクトに向けた。
「わたし達はやり遂げた。これほど誇らしいことはない。今は存分に誇れ、我が弟子よ」
「師匠……」
そうか――自分達は世界を、崩壊から守ることができたのか。
ハクトは軽く目を伏せた。
やり遂げたのだ。
「あんまり弟子を甘やかすもんじゃないわよ?」
さすがのエヴァンジェリンも疲れたような笑みをこぼしている。
リヴァイアサンから噴き上がった血は、空中で細かく結晶化して辺りに漂い始めた。
ハクトはその結晶のひとつを掌に受ける。
「これ……彼岸ノ血――だったのか」
小さな粒状のエッグだ。
掌のエッグが、強い光を反射する。
気付けば荒野の向こうに望む山際から、朝陽の一部が覗いていた。
大空に満ちた陽光に照らされ、辺りに漂うエッグが無数の光の粒となってまばゆく煌めいた。
つづく
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