第42話 急近陽菜 【水曜日:Wednesday】
「えっ、宮野さん。ちょ、ちょと待ってくれ。なんの話なんだ?」
権藤さんが目で俺にも同意を持てめている。
「そ、そうです。なんのことですか?」
「
宮野さんが発した名前に俺の中で疑問符が飛び交う。
なんでここで「窒息の家族」と「2-1の生存者」の作者の名前が出てくるんだ。
「ああ、ペンネームの話か。ペンネームなら造語だってなんだってありだろ? 俺だって辻堂カナタ。辻堂は小学生のときの同級生でかっこいいなと思ってた名字を拝借した。カナタは単純に遥か彼方へ。末広がり的なのでつけただけだ。それが?」
権藤さんは宮野さんがなにかの意図を持って話してると思ったようだ。
俺もそう思う。
ここは宮野さんの話に耳を傾けるのが正解だ。
「そうやって権藤さんに辻堂さんのペンネームの由来をきけたのも面白いですね」
「こんなときに由来を語ってもな。それで?」
「ええ」
宮野さんは涼やかに笑みを浮かべたあとまた真顔になった。
「急近陽菜。そのペンネームをアルファベットに変換すると
「なにかのアナグラムか?」
権藤さんはすぐにピンときたようだった。
「正解」
「ふたつならんだ。
「その言葉とは?」
「緊急避難」
「急近陽菜は緊急避難のアナグラムなのか? 宮野さん。カルネアデスの板か?」
「そう。この本がみんなの物資に入っていたのは運営側からのなにかしらのメッセージなんじゃないかなと思って。まあ、僕の考えがまったくの検討はずれで最近売れてる小説だから物資に入れたってことも考えられますけど」
カ、カル、ネアデスの板? はじめて聞く言葉だ。
「俺たちは厄介な海で溺れてるってことか?」
「そのカル、カルなんとかっていうのはなんですか?」
「一隻の船が難破して乗組員が海に投げ出されたんだ。ひとりの男が命からがら壊れた船の板にすがりつく。そこにもうひとり板につかまろうとする者が現れた。でもお互いに板につかまれば板そのものが沈んでいまうと思い、後からきた者を殺してしまった。その後救助された男が裁判にかけれたが無罪になったという寓話さ」
権藤さんが俺の問いにちゃんと回答してくれた。
なんとなく、権藤さんと宮野さんは比留間翔と三木元さん殺しの犯人から除外してもいいと思えた。
「そんな物語があったんですね」
知らなかった。
しかもそんなことがちゃんと法律でも認められてるんだ。
「それを緊急避難という」
宮野さんはそこで一度目をつむった。
「とりあえず。いまできる問題は解決させておこうか」
ふたたび目を開く。
「というと?」
権藤さんがそういうと宮野さんは見ていてくださいと返した。
宮野さんが遠巻きで俺らのことを気にしていた弓木さんのもとへ歩いていった。
この話を伝えるのか。
宮野さんは弓木さんと小鳥遊さんをこっちに連れてきた。
小鳥遊さんは相変わらず体調が悪そうだった。
ここでみんな情報共有をするってことかな。
「そんなに怖いのかな?」
宮野さんは弓木さんの手を引いて俺たち中心にまでエスコートしてきた。
「は、はい。とても。こんなに人が亡くなっているので」
「は? 怖い?」
「はい」
「比留間くんを殺したのに?」
え!?
宮野さんいまなんていったんですか?
権藤さんと小鳥遊さんは弓木さんのいる場所から数歩後退さった。
「な、なにをいってるんですか。言いがかりはやめてください。私はなにも知りません」
「比留間くんを殺したのは弓木可憐。きみだよ」
「み、宮野さんどうしてそんなことを言うんですか? 私があまり意見を言えないから罪を被せてしまおうってことですか?」
「単純なことだよ。ここにいた八人で左利きは弓木さんきみだけ。比留間くんの刃物の刺し傷は左利きの人間によってつけられたもの。あれが致命傷になった」
ズ、スゲー。
「きみは右の手首にスマートウォッチをしているね。まあ、女性の場合は利き腕に時計をすることもあるけど。他の七人はみんな左腕にスマートウォッチをしていた」
あっ、ほんとだ。
俺も左にスマートウォッチをしてる。
しかも右利きだ。
たぶん運営は俺らの利き腕を考慮して寝てるときにスマートウォッチをはめたんだ。
それがまさかこんな結果になるなんて。
「念のためにきみがスマートウォッチ操作しているときに利き腕を確認した。三木元さんにスマートウォッチの操作を教えるときもきみは左手で三木元さんのスマートウォッチを操作していた。それが左利きである証拠さ」
宮野さん比留間翔が死んでからそれをたしかめたんだ。
「これに対する答えをお聞かせ願えればありがたい。弓木可憐」
「だから知りません」
「そう、まだしらをきる気。これでも?」
宮野さんはつなぎのポケットからスマートウォッチを出した。
えっ? スマートウォッチを外したら死ぬんじゃないの? って宮野さんはまだ自分のスマートウォッチを左手にしてる。
どういうことだろ? 宮野さんは手に持っているスマートウォッチの液晶を長押ししてもう一回画面をタップした。
――やめろ。
――私、ずっとあなたを。
これって比留間翔と弓木さんの声。
そうか宮野さんが持ってるのは比留間翔のスマートウォッチか。
だとしたらこれはスマートウォッチに内蔵されていたボイスレコーダーの音声。
――可憐ちゃん。
――私の下の名前で呼んでくれた。
――とりあえず落ち着いて。なんで俺が刺されるのかわからないだけど。きみが好きなのは勇だろ? 俺が自分で言うのもアレだけどきみは比留間女子なんだろ?
――勇くんと一緒にお腹の中にいた翔くんは同じ人間。同じ細胞。
――きみすこしおかしいよ?
――それは自覚してるの。でも妄想が止まらないの。そういう人って作家にぴったりだと思わない? 私が書く小説ってほとんど”死”がふたりを結びつけていく物語なの。
――小説ってなに書いたっていいと思うけどさ。とういか小説って現実ではできないこと。やっちゃいけないことを物語にして読者に楽しんでもらうわけじゃん。俺だってじっさいはハッキングもしないし。PCウィルスを送ったりもしない。
――ふつうだったら私にも自制心があるんだけど。この出られない閉鎖空間で翔くんと出逢えたことが運命だと思うの。それにブックマンは殺しあってもいいって言ってたし。
弓木さんの愛と殺意って同居できるってあの言葉はマジだったのか? 恋愛小説家志望。
これって恋愛小説なのか? つきつめて考えれば恋愛のような、違うような。
でも純文学ならありえる。
これは純愛か? ホラーか? ああ俺レベルではわからん。
この出来事が架空のできことで小説として発表されたなら日本二大文芸賞を受賞ってのもあるかもしれない。
宮野さんがそこでスマートウォッチの液晶をタップした。
「停止」か「一時停止」ボタンを押したんだろう。
「どう。まだ聞きたい? 死んだ者のスマートウォッチは簡単にはずれるみたい。これって月曜日に仮説として比留間くんからきいていたことなんだよね。皮肉だけど比留間くん犠牲によってそれが証明されてしまうなんて。僕は比留間くんがいなくなって心底悲しいんだよ」
宮野さんがついに王手をかけたか。
「あ~あ。バレちゃったか」
弓木さんは開き直った。
まさか弓木さんがこんな人だったなんて。
でも兆候はあった。
「録音された音声にもあったけどきみ比留間女子なんだろ?」
「私は恋愛小説家志望なんだけど、小説の中身が重いってよく言われるんだよね。公募の選評でもそう」
弓木さんが眼鏡をはずした。
その目はキリっとしている。
眼鏡によって表情を和らげていたみたいだ。
意外と目力がある。
人は見かけじゃないな。
俺ここにきて何回それを思ったんだろう。
門倉さんが床に放り投げたオードブルの具材を拾ってあげていた弓木さんはもういない。
「むかしから可憐。可憐。可憐な乙女になるように。名前の由来だって可憐になるようにって名づけたらしいけど。なんでかな~。真逆に育っちゃった。嫉妬で男を殺すとかそういうドロドロの恋愛がだい、だい、だ~~い好きなの」
いま思ったばっかりなのに見かけと作風はまったく別なんだ。
作家の人格と作品は比例しないともいわれてるしな。
弓木さんは恋愛小説家志望。
純愛だ、純白だ、運命だっていうのだけが恋愛小説じゃない。
ときどきミステリ小説と銘打ってるほうがよっぽど恋愛小説じゃないかって作品もある。
弓木さんもそっちのタイプか。
「きみはスプラッター小説のほうが向いていたかもね?」
宮野さんの洞察力がここでもまた最大限に活かされた形になった。
小鳥遊さんは青天の霹靂で萌え袖で口元を押さえたまま声を失っていた。
「それって喜んでいいのかな?」
「さあ。でもなんできみは比留間くんの部屋の扉を開けっぱなしにしておいたの? 鍵さえ閉めて自分の部屋のどこかにでも隠しおけば分配ポイントが付与されたあとでも遺体は見つからなかったかもしれないのに」
「私の部屋も開けっ放しだから」
どういうこと? そこになんの意味が?
「そういうこと、か」
宮野さんは理解できるのか?
「わかるの?」
「ああ。他の部屋はみんな鍵をしているはずだ。放射状に配置されている部屋のなかで扉をすこし開けておいたのがきみの部屋と比留間くんの部屋。つまりふたりの部屋と部屋のあいだは空気を介在して繋がっている」
「すごーい。そういう気持ちもわっかちゃんうんだ? 私と彼のあいだに障壁はいらないの。小説で表現したいことってそういう部分じゃない。宮野さんみたいな感性鋭い読者って最高!」
「僕だって伊達に読書しつづけてきたわけじゃないからね。小説作品ならそこまでめずらしい感性でもない」
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