第3話 アルバイト③

 とはいかない。

 さらにもう一往復の作業しなければならない場所がある。

 それは雑誌コーナーの下の段だ。

 客からしてみれば腰を屈めなければとれない週刊少年漫画や景品付きの雑誌が平置きされている場所。

 このゾーンも週刊少年漫画が多く立ち読みでぐちゃぐちゃになっていることが多い。


 雑誌コーナーの下を直し終えたあとは脇にあるコミック類の棚の単行本を整える。

 初版で百万部を刷るコミックを横目に売れ筋の漫画がずらりと並んでいる。

 コンビニに多くみられる紙の品質がすこし粗悪な分厚い漫画の真横はコミックエッセイと面白雑学。

 ここからは漫画のような文学のようなまるで淡水と海水が混ざったようなノージャンルの書籍。


 エンタメの賞をとった小説や一般大衆向けの小説、ミステリやホラーの文庫、ファンタジー系のライトノベルもある。

 コミック棚のいちばん左端にはハードカバーの小説が燦燦と光を放っている。

 漫画の単行本がほとんどを占めるこの棚で一般文芸のハードカバーが五冊も並ぶなんてことは滅多にない。

 

 急近きゅうきん陽菜ひな

 まったく素性がわからない覆面作家。 

 ある日突然、日本二大文芸賞のひつとに選出されてそのまま受賞。

 ノミネート一回で、しかも書籍として発売されていない作家の受賞はめずらしい。

 受賞後は一か月も経たずすぐに書籍が発売された。


 受賞作品の「窒息の家族」はある文芸誌に載っていた中編小説だった。

 緩やかに壊れていく家族を淡々と書き連ねた物語。

 些細なことで家族に亀裂が入り、そのまますれ違い、じょじょに家庭崩壊へと進む。


 最初から最後まで主人公のモノローグで綴られていて、あまり本を読まない人でも読みやすい。

 だけどラストの地の文で世界が百八十度変わる。

 一家心中した現場で主人公がすでに息絶えている家族を懐古しているというオチ。

 

 あまり抑揚もなく淡々としたストーリーだが最後の最後で驚愕のまま本を閉じることになる。

 読後の余韻がすさまじく、すぐにSNSやネット、口コミで広がっていった。


 急近陽菜は小学生のころにはすでに小説の形になるものを書いていたらしく、執筆歴もそこそこあるみたいだ。

 学生のときも文学部に在籍していてその機関誌で連載していたのが「窒息の家族」だった。

 急近陽菜が文芸賞を受賞後に満を持して出版したのが今ここに五冊並んでいる「2-1の生存者」だ。


 「窒息の家族」から作風は打って変わって「生」を渇望したサバイバルものの小説になっている。

 名前こそ違うが一家心中で生き残った主人公のその後ではないかといわれている。

 名前こそ違うといったが生き残った主人公が「窒息の家族」のままの名前でいるほうが無理だろう。

 事件に巻き込まれ祖父母や親類、施設なりに引き取られれば名字が変わるのがふつうだと思う。

 とはいえ急近陽菜はこの二冊の関連性についてなにひとつ明言していない。


 「2-1の生存者」もこれまた謎が謎を呼びシャーデンフロイデとは別の流れで売れている。

 これはあっても不思議じゃないことだけど一部には著名作家が別のペンネームで書いているなんて噂もある。


 俺は紆余曲折のすえに成功した人に惹かれてしまう。

 いつかは自分もなんて期待ができるから……


 ――オ゛ォォォォォォォォォォォ! オ゛ォォォォォォォォォォォ! オ゛ォォォォォォォォォォォ!


 モルグのシャウトのあとにドラムの連打が響く。

 今回は三十分も経たずにシャーデンフロイデがリピートされた。


 ――SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。SEN・ZAI・ICHI・GU。


 ランダム選曲だからしかたがないけどシャーデンフロイデが俺のやる気を少しだけ削いでいった。

 

 ――コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。コロス。


 メタルの気分じゃないんだよな。


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