第8話 説明会①

 わずか一駅だけど電車で移動した。

 これからの戦いの向けて体力を温存しておくためだ。

 改札をくぐりわずか三分でこの地図が示している場所に着いた。


 へー意外とふつうの住宅街にあるんだ。

 説明会の会場であるサテライトオフィスは青い屋根にベージュの壁のよくある二階建ての家だった。

 こじんまりとした建物は一軒家だったものを改装したみたいだ。

 なんせ自動ドアがついていて、いまは立派な事務所になっている。


 見上げると二階の窓越しに人が見えた。

 二階も仕事場みたいだ。

 入口に表札らしきものないけど両開きの自動ドアの向こうには二階と同じようにたくさんの人がいた。


 家の大きさに対してけっこうな大所帯だ。

 恐る恐るの気持ちのなかに少しの希望を抱いて自動ドアをくぐる。

 ここで怯むようじゃ本なんか出せない、と自分に言い聞かせる。


 それでも振り子のように気持ちは揺れる。

 コンビニの面接のときだってここまでの緊張はなかった。

 それもしかたない出版のかかった一世一代の大勝負なんだから。 


 えんじ色の柔らかい絨毯マットが俺を迎えた。

 えっ!?

 建物のなかに入ってみてなおさら驚く。

 ここってまるでどこかの出版社の編集部みたいだ。


 向かい合った机が部屋の真ん中で三列も陣取っている。

 それぞれの机には一台ずつデスクトップのPCもある。

 固定電話で話している人や、山のように積み上げらた紙の束のあいだでキーボードを打ってる人もいた。


 椅子に座りながら防犯カメラを気にしている人もいる。

 ここってそんなに危険な場所か? ああ、原稿の紛失とか盗難対策か。

 作者にとっては我が子同然、命より大事なものだ。

 それは編集者や出版社にとっても同じだろう。


 俺は室内を観察するように見渡した。

 全員が全員カメラを意識してるわけじゃないことに気づく。

 防犯カメラの機種を変えたばかりでなんとなく見上げているだけかもしれない。


 これってどうやって使うんですかと小声で横の社員にきいてる人もいた。

 固定電話の使いかたを知らないのか? 新人かな? それだけ仕事が忙しいってことだよな。


 少なくとも俺は防犯カメラが店内を映していても気せずに仕事ができる。

 俺とってはそれくれらいあって当たり前のものだ。

 気づかないだけで街中だって防犯カメラで溢れている。

 

 俺から見て左斜めに裁判所の裁判長が座っていそうな机がある。

 机の上の左端に「受付」というプレートがあって白い固定電話も置かれている。


 俺を一瞥した受付の娘はいまめちゃくちゃ売れてる女優の「サクりん」にそっくりだった。

 見た目も雰囲気も似ていて系譜でいうなら同じ流派だろう。 

 「サクりん」がグラビアの雑誌は立ち読みが多くて俺は毎日、直し作業をしていた。

 「サクりん」似の娘は入社したてじゃないかというほどに幼く見える。

 新人女優っていわれればそうかもしれないとさえ思う。

 

 俺はワンショルダーリュックをクルっと体の前に回転させた。

 あらかじめクリアファイルに挟んでおいた説明会のことが書かれた紙を出し声をかける。

 

 「すみません。これ」


 「は、はい。ほ、ほ、本日のご、ご用件は?」 


 たどたどしい返しだった。

 まだ慣れてないかんじが伝わってくる。

 すごく緊張してるから、やっぱり入社して日が浅いんだろう。

 まだ新人研修の最中だっていう可能性もあるな。


 「サクりん」似の新入社員の初々しさに、逆に俺が勇気づけられた。

 この娘も一歩を踏み出したばっかりなんだ。


 「この紙に書かれている説明を聞きにきたんですけれど」


 「か、かしこまりました」


 「サクりん」似の受付が――ああというふう笑顔で返してくれた。

 「サクりん」似の娘は固定電話の受話器をあげ「内線3」というボタンを押した。

 受話器からプルルルという呼び出し音が漏れて俺にまで聞こえてきた。


 「サクりん似」の娘の視線がきょろきょろと宙を彷徨っている。

 まだ緊張してるみたいだ。

 これは俺にか? この電話に、か?


 たしかに電話は緊張する。

 若い子ならなおさらだろう。

 電話でのやりとりが嫌で会社を辞める人もいるらしい。

 チャット系アプリでパパっと連絡をとってる人にしてみれば、なんでいまだにこんな物を使ってるんだってことだよな。


 「サクりん」似の娘はすでの受話器の相手と話している。

 ほとんどが、はいだけで成立する会話みたいだ。


 ここってサテライトオフィスっていいながらも小さな出版社みたいだ、な。

 あっ!? そっか。

 「総合出版社財団」にも編プロがあるのかもしれない。

 ここは出版社じゃく編プロか~。

 それならあの原稿の量にも納得がいく。


 「サクりん」似の娘が手のひらを上にして俺の前に差し出した。

 「サクりん」似の娘の手の位置が俺の体から半分以上もずれていて心なしか視線もうしろを見ているようだった。


 「諸星様でいらっしゃいますね?」


 ん? 俺は背後から鷹揚おうような口調で呼びかけられた。

 

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