第9話 説明会②
振り返ると燕尾服に黒のクロスタイをした七十代くらいの老人が背筋をピンと伸ばして立っている。
「はい。そうです」
白い手袋をつけた手を自分の腹の真ん中に持っていき深々と頭を下げた。
俺も礼をする。
紳士的なこの老人はきっと財団お抱えのコンシュルジュだろう。
「お待ちしておりました。ではこちらへ」
促されるまま俺はワンショルダーリュックに物を詰めて燕尾服の老紳士のあとについていく。
受付台の左脇を通っていくと突き当りに扉があった。
燕尾服の老紳士が押し扉を開き中へ入っていった。
俺もそのうしろをぴったりとついていく。
間接照明だけの薄暗い廊下をしばらく歩いた。
どことなく新築の家に使わている資材のようなにおいがしている。
距離にして二十歩くらいか歩いたか? 燕尾服の老紳士がまた突き当りにある扉を押して開くと扉の向こうにはリビングのような部屋があった。
おそらくこの建物の真正面の入り口から入って受付の左脇を通って廊下を直進すればここに着くはずだ。
俺は頭のなかで家の間取りを考えてみた。
だとしたらここはあの大勢の人が働いていた仕事場の真裏にある部屋ということになる。
あくまでこれは俺の想像だ。
ただこの部屋の広さに対してあまり物がない印象だった。
それにここには俺と燕尾服の老紳士以外誰もいない。
観葉植物が壁ぎりぎりに等間隔で並んでいるけど、それを除けば殺風景な部屋だ。
燕尾服の老紳士がさらに進んでいくとグレーの絨毯フロアのなかにコの字のパーテーションがあって中にぽつんと机と椅子があった。
椅子は机を挟んで対面するように置かれている。
コの字のパーテーションの右の角には大きな花瓶に挿さったオレンジ色の百合のような花がある。
この花だけがモノクロの部屋のなかでゆいいつ色を放っている。
「こちらへおかけください」
俺がまだ部屋を観察してると燕尾服の老紳士が汚れひとつない真っ白な手袋で俺側の椅子を引いた。
「あ、はい」
俺は言われたとおりそこに腰をかける。
まるでクッションを敷いてあるような柔らかさだった。
さすがは来客用の椅子、こんなに座り心地がいいとは驚きだ。
少ないながらも見れば見るほどこの部屋にあるすべての調度品が高そうに思えた。
厳選して置いてるようなかんじ。
ここの編プロって出版部数が数十万部の本の編集とかやってるのかな?
燕尾服の老紳士はいったん失礼いたしますと言い残しコの字のパーテーションの裏側へとさがっていった。
戻ってきたときは右の小脇に革製の料理のメニュー表みたいなのを挟み、高級料理を運ぶような銀色のカートを押してきた。
カートの上には真っ白なカゴが置かれている。
「こちらにお荷物をどうぞ」
真っ白なカゴの正体は荷物置きだった。
俺は、はいと答えて白いカゴの中にワンショルダーリュックを入れた。
「お飲み物はいかがいたしましょうか? コーヒー、紅茶、お茶など。なんなりと
お申しつけください」
「えっ、と。じゃあコーヒーをお願いします」
「かしこまりました。ミルクと砂糖はいかがいたしましょうか?」
「ミルクも砂糖も両方お願いします」
「かしこまりました。では苦みと渋みとコクの混ざった一級品コーヒーをお持ちいたしますので少々、お待ちください」
「はい」
やっぱり金かけてるみたいだ。
燕尾服の老紳士は小脇に抱えていた革製の料理のメニュー表みたいなファイルをぱたんと開いて俺の目の前に置いた。
「すぐにお持ちいたしますのでこちらにお目をお通しいただき、よろしければ署名、捺印ください」
「あ、はい。わかりました」
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あなたの夢叶えます!
協賛 企画賛同出版社一同
優秀賞 書籍化(商業出版) ※該当作品がない場合もあります。
特別賞 書籍化(商業出版) ※該当作品がない場合もあります。
※選外でも運営推薦で商業出版される可能性があります。
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あの封筒に入っていたものと同じ紙だ。
でもそれはただ上に置かれていただけのようでそれをめくると文字の羅列が並んでいた。
これって出版契約書ってやつか? いや、まだ俺の本の出版が決まったわけじゃない。
燕尾服の老紳士は燕尾服の胸ポケットから重そうな万年筆を取りだして置いた。
机に置かれたときにゴトっという音がした。
燕尾服の老紳士はまたコの字のパーテーションの裏に引き返していった。
そっちにキッチンがあるのか? そのあいだに俺は書類に目を通す。
難しいことが書いてあるかと思ったけどわりとよくあるかんじの文言だった。
ネットでもどこかのサイトに登録するのときや何かのアプリをインストールするときにはこんなかんじの契約項目に目を通して登録している。
それとあまり変わらない。
ただ金銭的な部分だけはちゃんと確認しておかないと。
自費出版だった場合は俺は高額な費用を払わなければならない。
ここまできて自費出版だった場合は俺の夢すべてが水の泡となってしまう。
おっ!?
ちゃんと商業出版らしい、ような? ん? これは? 創作期間(拘束期間ともいう)は当社管理施設での創作に打ち込んでいただくため外部との接触がいっさいできなくなることもあります、だって。
この拘束期間ってのはいわゆる数々の文豪という人が通ってきた旅館なんかに長期間泊まってやるアレのことか。
こちら指定の服に着替えてもらうっていうのも浴衣を着て腕を組みながら目の前の原稿と向き合うアレだな。
当社管理施設にてって書いてあるってことは「総合出版社財団」は自前でホテルや旅館を持ってるってことだよな!
財団だもんな、「財」。
もしかしてこれは俺がどこかで小説を書きながら要所要所で修正をしつつ出版できるレベルにまで育ててくれるってことなのか?
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