24 黒猫アルストロメリア

 マリーはいまが戦争中だと感じつつも、日常へと戻った。いつものように学院の制服に着替えて狐面をつける。


「よし!」


 じめじめとした空気がエスカリエに訪れていた。


「さて、今日はどこへいきましょう? カルネラ、まだ私の行っていないところある?」

「そうですね。学院にはメイド養成学校、騎士養成学校、学院前には商店街があります」


 マリーは腕を抱えて考える素振りをした。学院裏には、昨日行ったばっかだし、今日は正面の気分だった。


「商店街へいきましょう。何か食べたいわ」



 エクアトール学院の大通りには、魚屋、肉屋から仕立て屋にまで様々な商店が立ち並んでいた。

 噴水広間を抜けて後ろを振り返ると、噴水の作り出す蜃気楼のおかげで大通りから学院はみえない造りになっている。


 エクアトール学院の生徒は、授業のない日はこの大通りで働いているようだ。若い人影をちらほら見かけた。


 マリーは、レストランのテラス席に座って、あたりの様子を見た。眼帯をつけた八百屋の店主に、松葉杖を持った肉屋の店主。


 マリーたちが座るテーブルに魚介類をメインとした料理が給仕された。ウエイターの顔の半分は包帯で覆われていた。


「ああ、ここにいる大人は、戦争あがりが多いですからね」


 カルネラはマリーのグラスにぶどうジュースを注ぎながら言った。


「戦争あがり?」

「元エスカリエと敵対していた国の兵士です。エスカリエの捕虜となった兵士は、エスカリエ法に基づき、適正を奪われます。足が早ければ足を、目がいいなら目を、といった具合に。ここにいる彼らは第二の適正で働いている者たちです」

「働かせたいけど、脅威は避けたいのね。でも、そう簡単に人の大切なものを奪っていいのかしら?」


(まあ、敵対していた兵士が、奴隷にならずに働くにはこういうやり方しかないのだろうけど)


 敗戦国の兵士の運命は、死か奴隷かと考えると、今の状況は及第点といったところか。


 そもそも戦争をしないことが最善だと思うのだった。マリーはエスカリエの女王であり、戦争をけしかけた当事者だけど、なぜ戦争をしているのかは記憶にない。


「完全なる世界が、戦争のない世界を指すのかもしれないしね」


 カルネラとマーガレットに聞こえない声で呟いた。


「ねえ、戦争のない世界を造るにはどうしたらいいと思う?」


 マーガレットは口元を布で拭くと、淡々とした口調で言った。


「簡単な話です。マリー様が世界を統一し、絶対王者として君臨すれば敵はいなくなります」


「ちょっと強引すぎやしない?」


「全人類を幸福にする方法に似ていますね。全人類に今、幸福だと感じているか挙手させます。そして、手を挙げなかった者を殺していく。すると、幸福な人類だけが生き残ることになる。これはあくまで思考実験ですが」


「さすがにバイオレンスだわ」


 この世界で行われている戦争もまた、カルネラのいう思考実験と同じことなのかもしれない。


「もっと平穏にいく方法はないのかしら……」


 マリーがため息まじりに外を眺めると、一匹の黒猫が魚屋の魚をくわえて逃げていくのが見えた。黒猫ミーアかと思ったが、あいにくマリーには猫を識別する力はなかった。


 少なくとも商品を持ち逃げした猫がどうなるかは想像できた。


「ちょっと、私、見てくる。二人はここで待ってていいから!」

「マリー様!」


 マーガレットとカルネラをおいてレストランを後にした。



「たしかこの裏路地に入っていくのが見えたけれど……」


 突き刺すような腐敗した臭い、商店街の華々しさと違ってじめじめとした空気感が漂っている。


 幾ばくかの人間が毛布にくるまり、地面に横になっている。髪はぼさぼさ、体を欠損したもの、ずっと何かに祈るもの、身動き一つしないもの、その先に黒猫を見つけ、後を追った。


 ものごいの声を無視し、己の慈悲を押し殺し、先に進んだ。


 裏路地を抜けると石造りの道は終わり、一面が花で埋まった丘が見えてきた。マリーは道なりに進んでいった。たまに匂う甘い香りは無限に続く花畑を思い出させた。


 丘の頂上は展望台になっていて、エスカリエ王城と王都の街並みを一望できた。大きな岩が鎮座しており文字が刻まれている。


『我が英雄たち、此処ニ眠ル。 アマリリス・ルーン・エスカリエ』


「アマリリス……? ここって慰霊碑?」


 マリーが慰霊碑に刻まれた文字を触ろうとしたとき、


「お触り厳禁だよ、お嬢ちゃん」


 慌てて手を引っ込めると、小柄で白ひげをたくえた作業服を着たお爺さんがいた。慰霊碑に水をかけて、慣れた手付きで汚れを落とし、周囲の花畑の手入れをはじめた。


「ははは、冗談だよ。ここに来る人も珍しいからね。ここは戦争で死んだ者、エスカリエにゆかりのある人が埋葬される。まあ、集団墓地みたいなもんさ。でもね、われわれは彼らの死があって今を生きることができる。生かされてるのさ。だからこうやって、感謝の意味を込めて手入れしているんだよ。おっと、久々の来客だったから喋りすぎてしまった」


 マリーはしばらく、丘からみえる王城と、王都の街並みを眺めた。この丘に眠る者、そして今を生きる者に応えて、マリーは世界を豊かにしなければならない。それが、女王としての務めであるし、アマリリスの望んだ世界だと信じて。



 ふと、先程追っていた黒猫がとある石の前にいるのを見つけた。くすねたであろう魚はただ石の前に置かれていた。


 マリーが黒猫に近づくと、猫は振り返りマリーと目が合った。その瞳はどこかマリーと似たものがあった。


「哀れだニャ。人間というものは」


 その声は黒猫から発せられていた。


 あらゆる並行世界の観測者である彼女は、魂のみ移動させることで猫の姿になることができる。


 巷では、『魂を食らう猫』として噂されているが、その真意を知るものはわずかだ。


 その黒猫の名は、


「オレは、アルストロメリアだニャ。完全の神になるべくこの世界に顕現した。神の出来損ないだニャ」


「アルストロメリア……?」


 アルストロメリアを名乗る黒猫は、ペロペロと前足を舐めて毛づくろいをはじめた。

 まさしく猫だった。

 アルストロメリアは妹だと聞いていたが、まさか人間の姿ですらないとは思いもしなかった。


「ん? ああ、勘違いするんじゃないニャ。オレが猫の姿でいるのは、事故というやつだニャ。この世界にたまたま猫がいたから猫になったわけで、別に好きで猫になってるわけじゃないニャ」


 そう弁明する黒猫アルストロメリアだったが、語尾のニャは好きでやってるようにしか思えない。


「ここで何をしているの?」

「ん? ああ。見てわからないかニャ。供物だニャ。ここに眠る者は、オレが最初に慣れた人間であり、オレを最初にメリア・アルストルと呼んだ愚かな人間であり、もっとも哀れな人間だニャ」


 聞きたいことは山ほどある。アマリリスのこと。《想いの力》のこと。そして、マリー本人のこと。でも、カルヴェイユの時と同じく、記憶を喪っていることに後ろめたさを感じて言葉を詰まらせた。


「ところで、アマリリス。お前は完全なる世界を望むか、不完全な世界を望むか、それともありのままの世界を望むか?」


 間違いない魂を食らう猫の質問だ。


 黒猫アルストロメリアの背後から禍々しいオーラが放たれた。それは《想いの力》の詠唱時にみられる現象の一つだったが、暗闇に引きずり込まれる感覚になる。


 だが、マリーはすぐに禍々しいオーラから開放された。


 黒猫アルストロメリアは大きなあくびをして、


「……試しただけニャ。別にお前に死相はニャいから、意味がないニャ。ふむ、アマリリス。まさか、使命を忘れているんじゃないかニャ? 完全なる世界を創ることがオレたちの使命だニャ。まさか忘れているとか言わないかニャ?」


 マリーはそのとき魂が分裂するような不思議な感覚に陥った。まるで誰かが乗り移った感覚だ。


「もちろんよ、アルストロメリア。誰にもの言ってるのかしら? 私は、この世界を導く者よ」

「……そうかニャ。なら問題ないニャ。さて、オレはそろそろ行くとするかニャ。新たなる世界へ」


 黒猫アルストロメリアは丘を下りどこかへ消えていった。


 結局、数分も経たないうちにマーガレットとカルネラに見つかり、マリーはマーガレットにきつく叱られた。


 三人で王城へ帰還する際、最後にマリーは夕焼けに染まる王城と王都の街並みを眺めていた。


「この世界を、私が、完全なる世界にしなきゃいけないんだ」


 マリーは夕焼けの光景にアルストロメリアとの出会いを心にに刻む。今度は絶対に忘れないように。そして、ふと気づいた。


「あれ? アルストロメリア、私のことアマリリスと呼んでいたような?」


 謎がさらに深まった。

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