43 見知らぬ草原にて

 清々しい風がマリーの横を通り過ぎた。一面に広がる草原は、一定の感覚で風に煽られるので、海に立っているかのように錯覚させる。


 どこまでも続くその草原は、地平線の彼方までつづいていた。


「どこ、ここ?」


 マリーは見知らぬ草原にいた。


「マーガレットー! カルネラー! いるー?」


 かれこれ十分ほど、マーガレットとカルネラを呼び続けた。


 けれど、二人が現れる気配はなく、木霊することのない草原では自分の声がでているのかさえ、疑ってしまい、呼ぶ声は次第に小さくなっていく。


 どこか別の並行世界に飛ばされたと考えるならば、いつかマーガレットと共に密林へと飛ばされたときと一緒だ。


 でも確かに違っていることがある。あの学院で冠をしていた少女は確かにマリーその人であった。


「仮に……私が元の世界にもどる手段があったとしても、私の居場所は、ない、か」


 マリーは草原の中で膝を抱えて縮こまってしまった。



 心のどこかで理解していた気がする。いつか偽りのマリーだと知れて、追放される日がくると。

 でも、そんな日はいつまでたってもこないとも思っていた。いつまでもあの学院生活が続くと思っていた。

 でも、現実は違っていた。何にでも終わりは来る。そして、マリーにも訪れた。


「そういえば、あの時は、ボロ布一枚の格好をしてたっけか」


 無限に続く花畑で目覚めたときを懐かしむ。学院の制服にはマーガレットが調整してくれた縫い目が残っていた。


(なんだかんだいって、私はあの世界に馴染んていたのよね) 


 もし自分が偽りのマリーで、学院にいた冠の少女が本物のマリーだとするなら、自分は一体なんだったんだろうか。


 見知らぬ花畑で目覚め、女王を演じ、ルイスとカルネラと友達になった。そして学院で様々な人々と知り合った。必ずしも友好的ではなかったけれども、彼らとの出会いはマリーの世界に色を付けていた。


「リンド・リムウェル、ボーア・シュトレイゼン、ローズ・ヴァレンシュタイン、フリーダ・ユスタナシア…………カルネラ・アルスバーン、ルイス・アステリカ」


 忘れようとも忘れられない。彼らとの出会いはマリーにとっての宝であったから。


 だが、それと同時に記憶にいる彼らがどこか遠い存在のように思えてきて、無性に孤独感を覚えた。寂しさであろうか。彼らとの出会いは無意味だったのか。

 

 シュレディンガーの猫。箱の中に猫を入れ、量子的な振る舞いをする放射線をきっかけにして死亡する装置を用意する。

 量子とは、物質やエネルギーの最小単位であり、原子や分子を構成する粒子の総称。この微視的な世界では、量子は観測される場合と観測されない場合で振る舞いを変える。


 さて、この量子的なふるまいは、猫の生死をも不確定にするのだろうか。


 結局、猫の生死は観測されるまで不確定であり、開けるまで生きているか死んでいるか分からない状態が重ね合わせになるという結論に至った。


(箱の中の猫が、死んでもあり生きてもいると解釈するなら、箱を開けたとき生きてる猫がいたら、生きてると観測したなら、死んでいた猫はどこにいくのかしら。あの世界には二人の私がいて本当の現実に収縮するのだとしたら、本当だったのは、冠をしていたあの子であって、私は虚構だった)


「考えてみれば、当たり前か」


 見知らぬ花畑で目覚めた少女は、記憶を喪ったまま、その世界の女王を演じていた。

 自分が、偽りのマリーであり、虚構で、嘘であったと思うと笑えてくる。


 マリーは立ち上がって宣言した。


「さあ、ここが私の本当の世界ね! 私を楽しませてみなさいよ!」


 だが、そこは果てしなく続く草原だけが広がり、マリーに答えるものはいない。

 ただ、ただ、静寂を返すのみだ。


「あは、あはは、ははは……」


 マリーの頬を涙が伝った。


「なんで、どうして、私が虚構だった、嘘だっただけなのに、なんで、私、泣いて……」


 涙を拭うマリーだったが、拭えば拭うほど溢れんばかりの涙がながれた。


 マリーは気づいてしまった。もう学院には戻れない。マーガレットとカルネラにも会えない。学院のみんなにも会えない。


 マリーの帰りたいところはもうないのだと。


「うわああああああああああああん」


 マリーは、人目を気にしなくていいこの草原で、思う存分、気がやすまるまで声をあげて泣いているのだった。

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