20 不完全な世界の顕現(オープン・ザ・パラレル)
学院に戻ってようやくシグルスは開放された。シグルスはまだ狐面の少女が女王マリーだと理解できていない。
「メアリー殿ぉぉぉぉ」とローズがマリーの元へやってきたので、マリー? メアリー? と、シグルスは余計混乱した。
「どうだったのだ!? 我らは、地下三階層まで探したが見つけられなかったぞ!」
「手に入れたわよ。ほら」
マリーは手に入れたスクロールを見せびらかす。
「流石、メアリー殿だ!」
「褒めても何もでないわよ」
リンドは相変わらず白衣を引きずって本を読んでいた。
「リンド、もうちょっと白衣気にならないの?」
「僕はこれでもリスペクトしてるんだ。これは当主様のスタイルだよ」
マリーはリンドに『第五次元空間の完全性の喪失』の写本を渡した。
「見つけてくれたんだ? ありがとう」
存外、誰かの役に立つのは気分がいいものなのかもしれない。
「これで研究が捗るよ。ボーアの研究も大詰めだ」
「ボーア先生は今どれくらい進んでいらっしゃるのでしょうか?」
「んー、いまアルファ40ってところだね。これから学院の裏手で《不完全な世界の顕現》を詠唱する予定だよ」
「リンド・リムウェル卿が詠唱するのですか!?」
「そうだよ。フラワーロードの僕なら《想いの力》の眠気に耐えられるだろうってことでね」
「マリー様」
「何よ?」
「見に行きましょう」
「はあ、カルネラ、あなたね。言うと思ったわ。まあ、別にいいのだけれど」
学院の裏手には、研究塔から外に出られる。雑草と木々が生い茂り、全く整備されてない様子だった。整備したところで《不完全な世界の顕現》を詠唱されるので、もはや実験場となっている。
シグルスは仕事に戻り、ローズと甲冑の少女四人がついてきていた。
すでにある程度の機材が屋外に出されていて、白衣を着たボーア・シュトレイゼンと助手のエドモント・ウィップ以下数名の研究者が作業をしている。
屋外に出されたテーブルの上に黒猫ミーヤがくつろいでいた。
「ややー、来たのかね! 陛下も案外暇なんですな!」
「あんた不敬罪で訴えてやろうかしら?」
「陛下が言われると冗談にもなりませぬな。ワッハッハッハ」
とうとうローズの頭のモヤモヤが限界にきたのだった。
「マーガレット殿。さっきからメアリー殿を、マリー様と呼んだり、陛下と呼んだり、一体なんなのだ?」
「メアリー様は学院に来て早いですから、まだ名前を覚えられてないのです」
マーガレットは適当に嘘をついてローズは納得した。
「てか、こんなに機材もってきて何がはじまるのかしら?」
「《不完全な世界の顕現》によるアルファ世界の召喚です。アルファ世界というのは、この世界よりも科学技術が発達している並行世界のことです。エスカリエで見られる飛躍した科学技術はこの召喚によるものです」
「ここにいる全員が観測者というわけだよ。もしかしたら研究者の誰かがいなくなる場合だってあるからね。全員が協力者であり、共犯なんだ」
リンドは写本のスクロールを読み漁った。ところどころ、文字でない記号が使われている。言語で表現できないところを記号で表現する。やってることは翻訳と同じだが、記号のまま理解できるにこしたことはない。リンドにはこの本を読めるほどの学識があった。
「なるほどね。雨は現象だから召喚は困難と書いてある。確かに、原理から何まですべて想像しようとすると困難になるね」
リンドは一通り読み終えるとスクロールを濡れないところにおいた。
研究室から持ち出された機材には、時計がいくつかある。
秒針のある普通の時計から、水時計、砂時計、振り子時計、日時計、デジタル時計が置かれている。
しかし、どれも相対的な時間を計るものであり、絶対的な時間を計るものはない。
今日は何年何月何日で何時何分何十秒なのかを宇宙から導くことはできない。
並行世界を召喚して現実になったとしても、その変化を計測する方法はこの宇宙からは導けない。
時間とは、人類の創作だった。
リンド・リムウェルは砂時計を逆さにむけると、空に向かって人差し指と中指、二本指を差し出した。
「《
淡い光がリンドリムウェルの指から放たれた。世界を書き換える。別の並行世界を召喚する力だ。空間が水面のようにたわみ、次の瞬間には別の世界が現れた。
先程まで快晴だった空に雲が出現し、雨が振り始めた。
マーガレットは研究室から持ち出されたであろう傘の中にマリーをいれた。雨に打たれ退避してきた黒猫ミーアをマリーは抱きかかえた。
研究者たちは濡れることをお構いなしに観測をはじめた。
ボーアにいたっては、雨でできた水たまりを掬い舐めている次第だ。
「おお、これは本当の雨でございますな、リンド・リムウェル卿。今度はコーヒーを降らせることはできますでしょうか? これがすべてコーヒーだったらワタクシはもう淹れるということをせずにすむのですが」
「それはできないよ。ボーア」
「驚きました。これは現象の召喚ではないですか。空に雲を召喚して、いや、空に水を召喚して、いや、それでも雨を再現するのは無理そうですね。一体どうやって?」
「カルネラは深く考えすぎなんだよ」
《想いの力》は存在可能な世界を召喚する。現象を召喚しようとすると、原理から何まで想像する必要があると言われている。
マリーはリンドが逆さにした砂時計を確認した。砂はすべて落ちきっていた。マリーは無限に続く花畑で、花畑が海に変わったことを思い出した。あのときも、全てを想う必要はなかった。
「そうか、これは時間の圧縮なんだわ」
「時間の圧縮ですか?」
「この場所に雨が降る日は必ず存在する。過去でも未来でも、なんなら並行世界でも、いい。私たちはその雨が降る時まで待って、その時間が切り取られたって解釈は出来ないかしら?」
カルネラはなるほどと思索に耽った。
「流石、姫様。当主様の姉君なだけあるね。ほとんど、正解だよ。これは《想いの力》の時間の圧縮の性質を利用している。雨という現象を召喚するよりも、雨が降るまで待ってその時間を切り取ったほうが百倍簡単だからね。元の世界と、何年か、いや何百年かの銀河のズレが生じているかもしれない。でも、僕たちは銀河のズレを感じることができないんだ。今日が、何年何月何日で、何時何分何十秒なのかを宇宙から導くことはできないんだ。これが《想いの力》、《不完全な世界の顕現》さ」
《不完全な世界の顕現》、並行世界の一部を召喚する力。この《想いの力》に復元力はなく、召喚した世界は残り続ける。
もちろん、現象の召喚なら現象はいつか終わりを迎えるので消えることになる。
リンドリムウェルの膨大な知識は、当主様からの受け売りだった。マリーは姉君という言葉に引っかかる。
「リンド、その当主様っていうのは?」
「アルストル家当主メリア・アルストル。アルストロメリアといったほうが姫様には分かりやすいかもね。当主様から、姫様は姉君だと聞いているよ」
雨が上がった。
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