19 かくしごと
探している本はマリー・ルーン・エスカエリエがもっているらしい。もちろん、マリーには本を借りた記憶はない。
それよりも、マリー・ルーン・エスカリエという自分のフルネームを知れたことに驚いた。
「覚えてないのよね……」
マーガレットとカルネラに聞こえない声で呟いた。
「マリー様が借りているということでしょうか?」
「それがさ、覚えがないの。本を借りるのも今回が初めてだし」
マリーは変装してまで学院に潜入していたので、記憶を喪う前もエクアトール学院に来たことがないという仮定で話した。
マーガレットとカルネラは自然と聞いていたので、矛盾はないようだ。
マリーは記憶のどこかで引っかかるものを感じていた。
花畑で目覚めて以来、『第五次元空間の完全性の喪失』を何処かで見た気がした。
記憶を思い起こす。花畑、喋るカエル、王宮、廊下、ばらまかれた書類。
「あ!」
そういえば、あの日、会議を抜け出したあとカルネラにぶつかった。その時、床に散らばった資料の中に『第五次元空間の完全性の喪失』があった。
「そうだ! 思い出した! この前、カルネラが王宮に運んでた中にあったやつよ!」
「あれはボーア先生に頼まれて王宮に運んだものです。ルイス、いえマーガレットが当日のメイドだったので王宮の途中まで案内してもらっていました。まさか、あの資料の中にあったとは」
学院と王宮をつなぐ廊下ができて、カルネラはボーア・シュトレイゼンの使いで資料を運んでいた。
本来、学院裏手にある螺旋階段を使うはずだったが、あの廊下は大量の資料を運ぶのにうってつけだった。
当日メイドだったルイス・アステリカを道案内にして、ルイスが着替えで離れてる間に、案の定、カルネラは道に迷いマリーとぶつかった。
「なるほど、通りで学院にないわけです。しかし、マリー様、王宮に戻ればあると思いますが、マリー様の名前を使えるのは……」
「私か、ヴィルヘルムくらいってことよね」
(アマリリスの可能性もあるか)
とマリーは思うのだった。
普通に考えれば、マリーが注文して借りたというのが筋がいく。でもあいにく記憶がない。王宮に戻ったとしてもどこにあるのかさえわからない。
マリーは記憶を失っていることをまだマーガレットとカルネラに明かせないでいた。
「よし! 司書長のところにいきましょう! そのユリウス・ランダウアーっていう人なら写本の一つ二つ持ってるでしょう」
そうしてシグルス・ニーテンベルクは、狐面の生徒の無茶振りを受けたのだった。
「ちょっと、あなた司書長のところへ案内しなさいよ」と。
シグルス・ニーテンベルクは恐喝を受けている気分だった。
「それは厳しいかと思います。ユリウス様は滅多に学院に来ませんし。研究塔への連絡通路にはエスカリエ騎士に止められますので」
「あんたの意見はどうでもいいのよ」
シグルスはしぶしぶ狐面の少女の言いなりになるしかなかった。
学院から連絡通路を通ると司書長室がある。ボーアの研究室と同じ造りだ。連絡通路の入り口に二人のエスカリエ騎士が立ちふさがっている。
シグルスは流石に門番に止められたら狐面の少女でも諦めるだろうと考えた。
「ユリウス・ランダウアー様にお目通りをお願いしたい」
「無理だ。ユリウス様はご多忙であらせられる。日を改めよ」
シグルスは思惑どおりの騎士の返答に、もうひとつ演技をするのだった。
「どうしても通りたいのです」
「かの御仁の集中を乱さぬよう、誰も通してはいかん。諦めよ」
「なに? 通れないの?」
マリーの言葉はエスカリエ騎士の耳にはいった。
「残念だが、何の権限もない者を通すわけにはいかん」
「――おい。あれはマーガレット・ルイス・アステリカではないか? この前、冠花の儀に居た」
エスカリエ騎士はシグルスの後ろの三人をみた。冠花の儀に彼らエスカリエ騎士も参列していた。
女王陛下の無茶振りにより放たれたマーガレットの《完全なる世界の再現》をその盾で受けた記憶は新しい。
マーガレット・ルイス・アステリカに、近衛騎士に選ばれたカルネラ・アルスバーンも一緒だ。ならその間にいる狐面をした少女は言うまでもない。
シグルスはここまで言われたら狐面の少女も諦めるだろうと思っていた。
「ということですので、今回は諦めるしかないようですね――」
「入場を許可する」
シグルスが言い終わる前に、エスカリエ騎士は連絡通路の道を開けた。
「え? なんでだ?」とシグルスは予想外の展開に戸惑ってる。
司書長室への連絡通路は火を使った照明で照らされている。もっともこの階層は地上にあるので、連絡通路の窓から太陽の光が差し込んでいた。
「マリー様、あまり派手な行動をとられると、変装の意味が」
「分かってるわよ」
マリーはマーガレットに忠告を受けた。
司書長室に入るとインクと本の匂いが漂ってきた。静寂の中に、ガリガリと紙と筆の擦れる音のみが聞こえる。
たくさんの縦積みされた本に、巻物、本棚。
その奥に、本に埋もれるように白ひげを蓄えた老人がみえた。
左手の親指を除く四本の指に、金属で造られた先端がペン先型になった指サックをつけて、一度に四行の文字列を書き写している。
ときたま、その指が長方形のインクの瓶に浸かるのをみると、親指を除いているのはそういうわけだろうと悟った。
ユリウスは人の気配に気づきマリーと目があった。その右目は眼帯で閉じられていた。それでも、ユリウスは視線を机に戻し筆を進めた。
「ご来客かね?」
「すっごい。同時に四行書いているなんて」
「珍しいかね? 写本は書き写すだけだから、一行一行考えて書く必要はないのだよ」
ユリウスは布を使い丁寧にインクを拭き取り、四本の指でそれぞれを指さした。
「シグルス・ニーテンベルク。ルイス・アステリカ。カルネラ・アルスバーン。そして、マリー・ルーン・エスカリエ」
マリー・ルーン・エスカリエ? と、シグルスは疑問符を浮かべた。
「全員の名前、覚えてるの?」
「全てでございます。ワタシは記憶を忘れられない能力を産まれながら持っております。ゆえに、ここで本を書き写しているわけです」
「なら、話が早いわね。『第五次元空間の完全性の喪失』って本の写本はあるかしら? もしくは、写本の制作を依頼したいわ」
「『第五次元空間の完全性の喪失』……ええ、記憶しております。カルヴェイユ様の書物でございますな。ふむ、《想いの力》の性質を書きあらわしたものです」
「内容まで覚えているの?」
「全てでございます、陛下。もちろん、読める、書けるからといって理解しているわけではございません」
ユリウスは新しい紙を取り出すと、また四本の指にインクを付け書き始めた。『第五次元空間の完全性の喪失』の内容を独り言のようにつぶやく。もちろん、マリーたちはそれを聞いていたが、到底聞いただけで理解できるものではない。
「アマリリス様の《完全なる世界の顕現》は最期まで不完全なままだったのです。完全なる世界ではなく、ありのままの並行世界を現実世界に召喚する力《不完全な世界の顕現》となりました。《想いの力》は原則、存在可能な事象のみ召喚できます。敵の体の中に釘を召喚することは、外傷なく敵の体に釘を埋め込める事実がなければ召喚できず。雨を降らそうにも、雨を降らせることができる事実がなければ召喚不能。ゆえに、人体と現象の召喚は困難とされている。同時に二人の《想いの力》が発動されたならば、世界線係数の大きいほうが優先される……」
ユリウスは書物の内容をありのまま綴っていった。そして、
「もう出来たの?」
「仕事ですので」
そういってユリウスは次の紙をとりだし、別の作業に取り掛かっていた。
ユリウスは、数学、地学、医学、あらゆる書物の写本をしているが、理解しているわけではない。ユリウスの指にウロボロスの指輪はなかった。ユリウスは《想いの力》を使えない。
司書長室を退出していく最中、マリーはユリウスから意外な質問を受けた。
「ところで、陛下。アマリリス様とは誰なのでしょうか? ワタシは学院、王宮、エスカリエの全ての人物の名前を記憶しておりますが、アマリリス様という方は存在しません。ワタシの完全記憶能力をもってしてもアマリリス様という方は見つけられないのですよ」
「さあね。私も、会ってみたいものだわ」
マリーは部屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます