52 成れ果ての世界

 森と草原。一匹の大鷲が両翼を広げマリーたちの上空を優雅に飛んだ。

 もはや人類がいる様子はなく、金属は錆び草木が絡みついて、倒壊した家屋には苔が生え、小動物が顔を出し此方を覗く。草原を見ると、鹿が草をついばんでいた。

 動物の楽園だ。


「この世界は――」


 マリーはこの世界を知っていた。いつか飛ばされた密林の世界だ。


「この世界は、アマリリスがいた世界からおよそ300年先の未来、正確には299年と数ヶ月、300年経つ直前の時間だな」


 アルストロメリアは吐きかけたが、なんとか我慢する。人が居ない分、世界酔いは少なくなる。


 マリーは疑問に思った。なぜこの世界なのか。アマリリスの目指した完全なる世界の結末がこの世界なのかと。


「ああ、聞きたいことは分かるぜ。でもよ、こういう話は本人に聞いたほうが手っ取り早い。こっちだ」


 マリーはアルストロメリアの揺れる黒髪の後を追った。


 地面には砂利と一緒に緑がかった水晶が落ちていた。いくつかの森は、枯死した林が散見された。

 それでもなお、緑を取り戻そうという植物の意思が辺りを包み込んでいる。


「ここだな」


 アルストロメリアが足をとめ、マリーが先を確認した。


 何百年に渡る風化と侵食によって、大地は限りなく平坦になり、無数の丘をなだらかにしていた。


 そして、その中に、手を組み仰向けに倒れた少女がいて、鉄が錆びて朽ちていくかのように足がなく、虫食いの林檎のように体が欠けてもなお、不死であるゆえに、死ねない少女がいた。


 その瞳孔は常に開いており、その目にはもう何も映ることはない。


「アマ……リリス……?」


「ああ、そうだ。それがやつの結末だ。アマリリスは完全なる世界を放棄した。神であるのに、人として生きようとした。世界に情を抱いたのが、オレたちの原罪であるというのに、あまつさえ、こいつは人として生きようとした。そして、その身は朽ちてもなお、生き続ける不死の呪いとなる。成れ果てたんだよ、こいつは」


「アマリリスが!? どうして!?」

「さあな、それは本人にしか分からないだろうよ。いや。大体予想はつくんだがな」


 アルストロメリアは後ろ髪をかくと、ため息をついて腰を下ろした。アルストロメリアもまた、成れ果てかけた経験があった。アマリリスを一方的に責めることはできない。


 マリーはアマリリスの元に駆けより、アマリリスの手を握った。その手はまだ温かい。


「アマリリス!」

「――あら? どこかであったかしら。懐かしい声――」


 その声は掠れて、紡がれた。


「そんな……どうして……」


 マリーは己の無力さを悔しがった。アマリリスを助けられる選択肢があったかもしれないが、マリーにその選択を選ぶことができなかった。その無力さに。



 マリーたちが打ちひしがれていると、両翼を生やし、神官服を着た一匹のカエルがやって来た。その手には分厚い本がある。カルヴェイユだ。


 カルヴェイユは、神の見習いアマリリスに《想いの力》を授けた神で、神の使者だ。神たちに上下関係はなく、神と同時に神の使者となる。


「ほう、誰かと思えばあなた達でしたか」

「カルヴェイユ!」

「カエル……!」


 アルストロメリアはカルヴェイユに敵意の視線を向けた。


「アルストロメリア様、争いはやめましょう。ワタクシにはすべきことがありますゆえ」

「……ちっ」


 カルヴェイユはアマリリスに言葉をかけた。


「アマリリス様。覚えておいでですか? カルヴェイユでございます」

「――あ、あ、カルヴェイユ、来てくれたの。わたし、駄目だった――みたい――」


「ええ、承知しておりますとも。アマリリス様、ワタクシの力で生まれ変わらせてさしあげましょう」


「――生まれ変わ――り?」


「ワタクシの《想いの力》は再生を根源とする力。新しい体、新しい世界を用意しますので、そこでもう一度、完全なる世界を目指してくださいまし」


「もう――一度、世界を――やり直せるの?」

「左様でございます」


「――――そっか。――――ねえ、カルヴェイユ、頼みたいことがあるんだ」


「なんでございましょうか?」


「わたし――子どもつくれなかったからさ。――その子の教育をお願いしたいの。わたしの子供として――」


「わかりました。では、ワタクシの力で、その世界には学院を創りましょう」


「がく――いん――?」

「同じような年頃の子供たちが集まり、勉学を学ぶ所でございます。きっと、学びある生活が期待できましょう」


「そう――なら、お願いするわ。ねえ、カルヴェイユ、ずっと考えていたんだ。もし子どもが産まれたらなんて名付けようかなって、なんて、あはは、でもそれも無意味だったみたい」


「お聞かせ願えますか?」


「『Amaryllis(アマリリス)』からとって『mary(マリー)』、その子の名前はマリー」


 春一番を思わせる風がマリーの横を通りすぎた。そう、これがマリーの由来だ。


 カルヴェイユは世界を再生する際、人類に記憶されていたアマリリスという記憶をマリーに入れ替えた。

 そして学院のある世界が創造、否、再生された。


「あと――これがわたしの最後の《想いの力》ね――」


 アマリリスは震える手を天空へと向けて、二本指を差し出した。詠唱されるのは《完全なる世界の顕現》、数百年に渡る想いの具現化だ。


「《完全なる世界の顕現エターナル・フラワーガーデン》」


 無限庭園を意味する《想いの力》により、この世界に花が咲き始めた。それはアマリリスが願っていた平和への花、この世界で死んでいった者たちへの手向けの花だ。


 無限に続く花畑がこの世界の全てを覆い尽くした。


 マリーが言葉を漏らす。


「私、この景色知っている。私が最初に目覚めた場所だ」

「なるほど、これがお前の由来か」


 マリーは全てを理解した。自分がなぜ産まれたか。どうしてマリーと呼ばれたか。なぜ見知らぬ花畑で目覚めたか。なぜ学院のある世界に生まれたか。

 マリーの足についた色褪せることない花の色は、アマリリスが生きていた証だ。


 マリーはアマリリスの手を強く握る。


「私が継ぐ! 私が継ぐわ、アマリリス! あなたが言っていた。楽しくて喜んで、みんなが笑っているような世界を、私が創る! これが私の想いよ!」


 アマリリスにはもう聞こえていなかった。


 そのとき、アマリリスから発した光の粒がアマリリスの姿を形づくり、光で創られた黄金の冠をマリーに授けた。


 アマリリスはきっと300年前のあの日、この日が来ることを予想していたに違いない。


 それは《想いの力》の残滓、《永遠の冠》と呼ばれるもの。この冠は、全ての並行世界の記憶を共有できる力を持っている。


 マリーはその冠を授かると全ての記憶を思い出した。

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