55 アマリリスの記憶 カタリナ・アルスバーン

 エスカリエの牧場には、今日も牛飼いの少女の声が響いていた。十代であろうか、少女は桃色がかった白い髪をしていて、頭には麦わら帽子があった。


「ライラ、ラクシュミー、森の方へ行ってはダメよ。森には狼がいるんですから」


 そういって少女は牛の頭をもって牛の進路を変えた。


 ライラ、ラクシュミーと名付けられた牛に、いや、少女には牛を区別をする力はなく、明日には、カレン、ソフィニアと呼ばれる牛に少女が話しだした。


「いえ、より正確に言うと、ワイルド・ウルフね。強靭な牙と大きな爪をもっているの。あなた達なんて、彼らのクロー・クラッシュで一撃なんですから」


 牛は困った様子でモーと鳴いた。


「あーあ、アタラクシア様が実際にいたらいいのになー。ライラ、ラクシュミー、知ってる? アタラクシア様は火、風、水、土の四大元素を操れる人類最初の魔法使いなの。これは偉大なことよ。ワイルド・ウルフの攻撃も風の魔法で躱して、火の魔法スロウ・ボライドで焼き尽くすんだから」


 そんな少女の語りを遮るように、遠くから農婦の声がした。


「カタリナー、早く乳絞っちゃいなさい」

「はーい」


 カタリナという少女は、牧場に響く透き通った声で返事をした。



 その牧場の石塀にて、アマリリスは顔を半分覗かせていた。右隣にはヴィルヘルムがいて、左隣にはオルヴェイトが耳に手を当て聞き耳を立てている。


「みた? ヴィルヘルム」

「ええ、なんというか、あれというか」

「痛いですな」


 オルヴェイトがヴィルヘルムの言葉を補足した。オルヴェイトはアマリリスに敗れて以来、アマリリスと共に行動している。

 もっともアマリリスがオルヴェイトを誘ったわけでなく、勝手について来ていた。


「《想いの力》には想像力が大切よ。彼女には《完全なる世界の再現》を教えるわ」

「あの少女に《想いの力》の適正があると」

「そうよ。まずは、彼女を引き込むことからね」


 そう聞くと、オルヴェイトが立ち上がった。


「よし、俺がいこう。まだ陛下になろうとするお方に認められてないからな。俺が役に立つことを示していかねば」


 アマリリスはオルヴェイトの存在に気づくと固まった。


「……あんた誰?」

「……オルヴェイト・アステリカです」


 オルヴェイトの顔に影が入る。

 アマリリスは、オルヴェイトを覚えてすらいなかったようだ。



 アマリリスは石塀からオルヴェイトの様子を観察していた。


 オルヴェイトがカタリナに近づくと、カタリナは後ずさった。さらにオルヴェイトが近づくと、カタリナは後ずさった。さらに近づいたことで、カタリナにビンタされていた。


 終いには、カタリナが家畜のために持っていた笛を鳴らして、わらわらと牛が集まっていた。


「一体、どんな頼み方したらそうなるのよ」

「さあ」


 アマリリスは仕方なく立ち上がった。


「近寄らないでください! 笛鳴らしますよ!」

「ち、違うんだ! そういう意味ではなくて!」


「おおおおりゃぁぁぁ!」


 アマリリスの鉄拳制裁がオルヴェイトの顔面にはいった。オルヴェイトは牛の群れにふっ飛ばされて、複数の牛に踏みつけられた。


「バッカじゃないの!? 完全に失敗してるじゃない!」


 だが結果的に、カタリナからしたら、変なおじさんに絡まれてるところをアマリリスに助けられたように見えたのかもしれない。


 カタリナは目をキラキラして言った。


「伝説の英雄アタラクシア様だ」

「アタラクシア?」


「アタラクシア冒険譚、第六章高原の大地にて、勇者アタラクシアは熊のような男に襲われた女の子を助けるのです。それは勇者たる行動であり、助けた女の子は神官として仲間になります」


「あの、何の話を言ってるのか、分からないのだけど」


「知らないのですか? アタラクシア冒険譚は私が書く物語なのですが」


「なるほど。つまり私が聞かされていたのは、あなたの物語の内容だったのね」

「助けた女の子は、仲間になります」


「あ、あーと、えーと、ちょっと、人違いだったかしらね。ね、ヴィルヘルム」

「アマリリス様、それは手遅れだと思われますな」


「アマリリス様! 勇者アマリリス様! 私を家来にしてください!」


 アマリリスは額に手を当てて、ため息をついた。そしてしばらくの思案の後、諦めてカタリナを家来にすることを決めた。


「いいでしょう。まだ何も知らない少女よ。家来となることを許しましょう。ところで、あなた名前は?」

「カタリナ・アルスバーンです!」

「カタ……」


 アマリリスはこの世界に降臨したばかりで、まだ人間の名前に慣れていなかった。

 そしてフルネームを言えないことを誤魔化すために、


「マルガレーテ」

「はい?」


「これからわたしは、あなたをマルガレーテと呼ぶわ。そんな、長い名前、覚えられないもの。あなたもマルガレーテと名乗りなさい」


「はい! マルガレーテ・カタリナ・アルスバーン。ということですね!」


「あれ? むしろ、長くなった気がするけど、まあ、いっか」


 このことをきっかけにファーストネームの前に花にちなんだ名をつける儀式、冠花かんなの義が生まれた。



 それから数ヶ月後。


 オルヴェイトは木に背をもたれかかると、酒の入った瓶の蓋を開け、アマリリスがマルガレーテに《想いの力》を教えてるのを眺めていた。


 オルヴェイトには《想いの力》の『適正』がなく、マルガレーテが《想いの力》を学んでる間は退屈していた。

 代わりに、マルガレーテの剣の稽古は、オルヴェイトがつけることになっている。


「《完全なる世界の再現》」

 

 マルガレーテは詠唱するが、何も起こらない。確かに、マルガレーテに《想いの力》の適正はある。差し出した二本指には、光が集まるが、まるで蛍が絶命するように光は消えていった。


「あれ? なんで消えちゃうのかしら?」

「ワタクシのときもそうでしたからな。アマリリス様の近くにいないと《想いの力》は使えないようです」

「ああ、そういうことね」


 アマリリスはロングソードを抜剣すると、その金色の髪を少し斬り落としマルガレーテの指に結びつけた。

 そして、その髪はどろりと溶けるようになると尻尾を噛んだ蛇の形をした黄金の指輪となった。


「ようは、私の一部を身に着けていればいいんでしょ。これで解決ね」


 この指輪は、後にウロボロスの指輪と呼ばれるようになった。

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